3 シャイボーイと馬鹿正直
次の日の朝。
え、展開が早いって?
仕方ねーじゃん、昨日の部活 校庭100周して終わったんだぜ?
マジで100周したんだぞ?
俺も100周したんだぞ?
青学の彼奴らはいつも通りだとか言いながら走ってたけどさ、俺にとっては地獄だった……
でも走りながら彼奴らと結構話できたからよしとしよう。
うん。
割と仲良くなれたし。
「まあとりあえず……今日は打ちたい」
「ははは、また取り合いになるよ?」
「
やめてくれ」
校庭100周なんてもうごめんだ。
*
「おはようございまーす。あれ、手塚だけか」
「おはよう。ちょっと早く来すぎたかな」
部室に着くと、一人準備をする手塚しかいなかった。
今日もまたメンバーに絡まれたら厄介だなと思ってたから、そのことにちょっとホッとした。
「おはよう」
手塚も挨拶を返す。
挨拶もポーカーフェイスでやるのかこの男……
……まあ、"部長"だから、な
俺もまあ一応部長だし、そこらへんの辛さとかはわかってるつもりなんだよね。
「あ、そうだ、ちょうど良かった。手塚」
「……何だ」
「昨日ごめんな。俺のせいで皆走らせちまって」
俺がそう言うと、手塚はそのまま目をぱちくりとし、周助はぷっと笑った。
あれ、俺今何か変なこと言った?
「……いや、お前のせいではない。あまり気にするな。俺の方こそ、来たばかりのお前に校庭100周など、」
「あーあーいいんだって。俺は、お前が俺を特別扱いしなかったことに嬉しかったよ」
ニカッと笑うと、また手塚は瞬きをして固まり、その様子を見た周助が、またくすくすと笑う。
……何だこの空気。
何か俺だけ置いてきぼり感……
俺はたまらず周助に尋ねた。
「俺何か変なこと言った……?」
「っはははは、ちょ、タンマタンマははははは」
大爆笑する周助。
おいおい今のどこに大爆笑要素あったんだよ。
さては周助、変な所にツボあるな。
ちょっとして周助が落ち着くと、周助は最高、と言った。
いや何がだよ、主語をくれ主語を。
「キミって馬鹿正直だよね、はははははは」
「な、馬鹿とは何だ馬鹿とは!」
むっときて周助の頭にチョップでも食らわそうと周助に近付くと、そのまま腕を引かれ、俺は周助に部室の角に連れて行かれた。
「手塚はね、さっきみたいに正直な気持ちを真っ直ぐ言われたことがないんだよ」
「へ、」
小声で何を言われるかと思えば。
「だから反応に困ってたんだよ、手塚は」
「……ふーん」
必死に抑えようとしても、嫌でも自分の口角が上がるのがわかる。
「嬉しいの?」
「何かな、嬉しいってのもあるけど……」
「けど?」
年齢詐欺疑惑の超次元テニスをするお堅い部長、手塚。
それが俺の手塚のイメージだった。
でも今は……
「やっぱり、俺と変わらない……普通の中学生なんだなって」
「! ……ふふ、そうでしょ。意外と可愛いところもあるんだよ」
「可愛い?」
「手塚はシャイだからね、照れたり緊張したりすると眼鏡を触る癖があるんだ」
本人は気付いてないから内緒だよ、と言うと、準備を終えた周助はラケットを持って部室を出て行った。
シャイ、なのか。
手塚……
俺の中の"手塚像"が崩れていく。
すると、準備が終わったらしい手塚が 桐生、と俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「今からアップしに行くが……一緒に来るか?」
手塚はそう言うと眼鏡をくいっと上げた。
眼鏡を触る癖――
俺はフッと笑って、おう!と答えた。
*
「今日はいつも通りの基礎練習をする」
部員が集まった部活開始時間。
手塚は部員にこう指示した。
基礎練習か……試合はできないな。
「手塚!桐生と試合したい!」
「ダメだ」
「ちぇ」
菊丸が思い切って言うが、手塚よって一刀両断。
さすが手塚!
それから、基礎練習とやらが始まった。
1年は素振り、2・3年は軽く素振りをした後、サーブ練習やレシーブ練習などに分かれていくらしい。
今日はレギュラーも2・3年と同じメニューみたいだ。
良かった、乾汁的に。
「桐生」
「ん?何だ乾」
噂をすれば何とやら。
逆光眼鏡を光らせ、ノートを片手に近付く巨体――乾。
「素振り後の練習メニューは俺が部員一人一人分けているんだが、桐生はデータ不足でな。いくつか質問いいか?」
「おう」
乾ってレギュラー以外の奴のデータもちゃんと集計してんだ。
すげえなあ……
「プレイスタイルは?」
「オールラウンダー」
「得意技、決め技のようなものは?」
「んー特にねえな」
「苦手意識のあるコースは?」
「んー特になし」
乾は黙ってノートにメモをしていく。
今思えば一番用心するべきなのはデータマンの乾なのかもな。
すぐボロが出そうだ。
なんてったって俺は馬鹿正直だもんな。
ああ、いや、別に気にしてなんかねえから。
全っ然気にしてなんかねえから。
「最後に。――どこの大会で優勝した?」
「へ」
どこの大会で優勝した?
「昨日越前にそう言っていたから調べてみたんだが、試合記録が残っていなくてな」
あー言ったな、そういや。
「ちっさい大会だったからなー何て言ったけな、本当、小さい大会だよ」
本当は覚えているがここは仕方ない。
やっぱりデータマンは要注意だな……。
「わり、忘れた」
「……そうか」
乾は何かをノートに書くと、ふむ、と少し考えた。
今何書いたか超気になる。
「よし、桐生」
「ん?」
「今日はとりあえず手塚と同じメニューをやろう」
手塚キター!なんか朝から手塚と絡みに絡んですげえ仲良くなれそうな気がしてきた。
「了解。……時に乾、理由を聞いてもいいか?」
「オールラウンダーと苦手意識が特にない点が手塚と同じだったから……というのはデータ上の理由で、"手塚とお前が似ている"という私感からが大きいな」
手塚と俺が似ている?
俺は、既にメニューを始めている手塚を見た。
相変わらずのポーカーフェイスで黙々と練習している。
「……まあ、お前の言うことはあながち間違っちゃいないかな」
「……そうか」
・・
ね、手塚部長……
*
「てーづかー」
「、桐生」
メニューの合間を見計らって俺は手塚に話しかけた。
乾に言われたことを伝え、練習に参加させてもらう。
手塚のメニューはサーブとラリーというシンプルなものだった。
「いつもはラリーは乾とやるんだが、今日はお前とやろう」
「お、ありがとな!」
ニカッと笑うと手塚は眼鏡をくいっと上げ、俺から視線を外した。
俺は心の中で笑った。
「俺はサーブ練習は終わったから、お前のサーブ練習とラリーを一緒にやろう」
「ん、OK」
俺は手塚の行ったコートの向かい側に向けて肩を回しながら歩いた。
……って、よく考えたら手塚と打てるなんてすごくね?
俺すごくね?
あー何かテンション上がってきた。
っつっても、ボロ出ねえように抑えないとな。
俺は近くのカゴからボールを取り出した。
サーブは俺からだ。
「じゃ、いくぜ!」
ボールを何回かバウンドさせ、サーブを打つ。
もちろん最初から全力は出さない。
俺のサーブを手塚が返し、ラリーが始まる。
さすが手塚……一球一球、打球が重く鋭い。
でも手塚の実力はこんなもんじゃないはず……
今は俺の為に手加減してくれてるってことか。
つまらないラリーは数分間続いた。
手塚が一度ボールを手でキャッチし、また俺のサーブから始まる。
俺のサーブ練習の為にラリーを止めてくれたらしい。
俺はまたサーブを打った。
「桐生」
レシーブをしながら、手塚が俺の名前を呼んだ。
「何だー?」
俺もボールを打ちながら返事をした。
打った後手塚を見ると、ラケットを構える手塚の空気が変わったのがわかった。
何か……来る……?
「そろそろ本気で来い」
「!」
手塚は俺のバック――左のコーナーギリギリに鋭いボールを打った。
俺はあまりのボールの速さにそれを見送った。
「本気で、って……これはラリーだろ?」
「ラリーだ。だからこそ、本気で来い」
本気で行ったら試合になっちまうんじゃ……
「桐生、本気で来い」
"
本気で来いよ"
「!」
頭の中に、この前試合をした人の声が流れた。
……"本気"って、何?
全力でやればきっと優勝できるって!……"全力"って、何?
俺はいつも一生懸命だよ、本気って何だよ、なあ
本気にならなかったから今回の試合は負けちゃったのね違う
部長、本気にならなきゃだめだよ負けたのは俺が本気にならなかったからじゃない、
お前の本気ってそんなもんだったんだな「桐生?」
名前を呼ばれて、ハッと気がつく。
ラケットとボールを持つ自分の手を見ると、……震えていた。
何故震えている……?
"本気を見せるのが怖い"
"自分の実力不足を見せるのが怖い"
"負けるのが怖い"
ドクン、と心臓が大きく脈を打った。
思わずボールを落として、胸を抑える。
「桐生?どうした、大丈夫か」
俺の様子に心配した手塚が、ネットを乗り越え俺の元に来た。
「すごい汗だな、少し休むか?」
「……あ、ああ、ちょっと……顔、洗ってくる」
*
顔だけを洗うのが面倒臭くて、頭から水を被る。
……冷たい。
そのままぼんやりとしていると、人の気配がした。
「斗真?」
「、周助」
休憩時間だと言う周助だった。
俺は顔を上げ、水道の淵に寄り掛かってタオルで頭を拭く。
「どうしたの、具合でも悪いの?」
「ああ、いや、大丈夫」
そう、と言うと周助は水を飲んだ。
俺はまたぼんやりとその様子を見ていた。
水を飲み終えた周助は俺の視線に気付くと、俺の隣に――水道の淵に寄り掛かった。
「何かあったの?」
「……いや、……」
俺は震える手を無意識に隠した。
「……ねぇ斗真」
「ん?」
「斗真は何で、自分がこの世界に来たんだと思う?」
「え、」
何で俺がこの世界に来たか。
そんなこと考えたこともなかった。
何で俺はこの世界に来たんだ……?
「もし仮に、何か意味があるのだとしたらさ、キミにとって良いことだといいね」
「……そうだな」
俺がこの世界に来た意味。
俺は考え始め、俺と周助の間に静寂が訪れた。
パコーン、パコーンとボールが打つ音が聞こえてきて気持ちがいい。
……そろそろ、戻らないと、な……
そう思って寄り掛かっていた腰を上げ、生乾きの頭をまたタオルで拭く。
「斗真」
「んー?」
「この世界にはキミの部活仲間もいない。キミの両親もいない。キミを知る人は、誰一人いないんだよ?」
「……」
頭を拭いていた手を止め、周助を見る。
何が言いたいんだ、こいつ……
「だから、……何も考えないでテニスをできるんだ」
「……何も、考えないで」
周助は俺の手を握った。
「大丈夫、何も恐れることはない。キミはただ、テニスを楽しめばいいんだよ」
「!」
思えば、この時既に周助は俺よりも俺のことをわかっていたんだ。
わずか2日とちょっと。
その時間で周助は、俺がプレッシャーに負けてイップス状態になりかけているのを、見極めたんだ。
気付くと、俺の手の震えはなくなっていた。
「……この世界に来た時もそうだったな」
「ん?」
「俺はお前に世話になりっぱなしだ」
俺がそう言うと周助はクスっと笑った。
「そんなことはないよ。さ、手塚と打つんでしょ?」
「ああ。……ありがとな」
*
「大丈夫か、桐生」
コートに戻ると、手塚が気付いて俺の方に歩いてきた。
俺はラケットを持ってニカッと笑った。
「おう!心配かけたな!もう大丈夫だからラリーの続きやるぞ。……もちろん本気で、な!」
手塚は俺の言葉を聞くと、そうか、と言ってコートに入っていった。
俺もコートに入る。
そしてボールをバウンドさせながら手塚のコートを睨んだ。
必然的に手塚の姿が視界に入ると、身体の芯からゾクゾクする感覚がした。
……怖いのか?
……いや、違う。
「楽しみだ」
ふっと呼吸を吐いて落ち着くと、俺はサーブを打った。
*
「そこまでだ、桐生、手塚」
ラリーとは言えないとんでもないラリーをしていたら乾に止められました。
「まだ一球しかやってないのに……」
「すまない、乾。つい時間を忘れて打ってしまった」
「時間?」
「桐生がサーブを打ってから20分12秒打ち続けていたんだ」
「20分!?」
そんなに打ち合ってたのか……
「二人は一回休憩だ」
「わかった」
「うーい」
手塚と二人でベンチに座って水分をとる。
一球一球、手塚の球には想いが込められている、ずっしりとした打球で……
多分、今まで対戦したことのある中学生の中で、一番強く……そして、誰よりもテニスに対しての愛情みたいなものが大きいことを感じた。
でも試合じゃないからさすがに手塚も俺も技は出せなかったけど……
楽しかった
「いい表情で球を打つな、桐生」
「……そうか?」
「いつかお前と、試合をしたい」
俺のほうを見ずにそう言うと、手塚はメガネを拭き始めた。
俺は手塚のその今日数回目の癖を目にして、ぷっと笑った。
「俺も、お前と試合をしてみたいよ」
この世界で、何かが掴めそうだから。
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