露草の咲く夜に 2




「テメーら、それ以上抜かしてみろ……タダじゃ済まさねェ」

 地の底から響くようなナルトの声に、ゾクリとしたものを感じた男と女は、知らず知らずに干上がった喉を鳴らして何とか唾液を飲みこもうとする。

 本能が告げる危険サインをはじめて感じたかのような二人の反応を見ながら、ナルトは自らの拳がこれ以上とない怒りに奮え、血を流しているのに気づくが、それどころではない。

 全ての怒りがこの場に集結したような、そんな錯覚を覚える激しい怒気。

 辺りの空気を震わせ、鋭い眼光で睨みつけてくる瞳は血の様な赤──

「だ、ダメっ!ナルトくんっ!!チャクラが強過ぎて……」

「ヒナタに言ったその言葉を取り消せ……」

「ナルトくんっ!ダメですっ!!」

 背後に一瞬だけ視線を走らせたヒナタは、その瞳の色が赤くなっているのに驚き、ナルトを止めなくてはならないと声を上げるのだが、全くと言っていいほど効果が無い。

 こんな怒りに染まったナルトは珍しく、しかもその怒りの原因が自分にあるということが複雑で、止めたいのに止まらない怒りの根源がわからず、彼を止めるのは生半可な言葉では難しいのだと知る。

「テメーらに何がわかる……ヒナタの何がわかる……コイツが日々何と戦っているか知りもしねーで……好き勝手放題言いやがって……」

 ギリギリと歯を鳴らし、怒りを抑えようと彼自身も必死になっているのかもしれないと、ヒナタは相手から視線を反らせることが良いこととも思えず、背後のナルトのチャクラがどんどん膨れ上がっていくのを感じ、どうしたら良いかと思案するが、良い案など浮かぶはずもない。

 このままでは、露草の雫が変質してしまうどころか、この露草の原も大きな打撃を受けることとなるのだ。

 それだけは、どうあっても避けなくてはならない。

 それがわかっているだけに、ヒナタは頭の中で考えを巡らせるのだが、ナルトの強い言葉は心を大きく揺さぶった。

「白眼を持つってことがどういうことか……ずっと命を狙われ続ける危険を孕んだ中で生きて……女だから、子供を産む道具みてーにされる危険性も考えなきゃなんねェ……どんな怖ェことかも知らねーで……そんな中でどんだけコイツが努力してるかも知らねーで……どんだけ耐えてるかも知らねーで……」

 ナルトの言葉が一つ一つ心に響き、そのチャクラが守るように包み込むのを感じたヒナタは泣きそうになって、顔を歪める。

 ずっと耐えてきた……

 ずっと……

 だから、大丈夫だとヒナタは口を開く。

 ナルトのチャクラをここで爆発させるワケにはいかないから……と、彼女はいつものように心を鎮め仮面をつける。

 心の乱れを悟られないように、感じられないように……

「ナルトくん……私は平気だよ……慣れているもの。だから……そんなに怒らないで。大丈夫」

「大丈夫でもねーのに、大丈夫なんていうなっ!!!」

 ビクリと体を震わせたヒナタは、背後のナルトの怒りに驚き体を硬直させてしまった。

 完全にナルトが怒りを爆発させてしまった……しかも、その引き金を引いたのはどうやら自分らしいと悟ったヒナタは、頭の中が真っ白になってしまう。

 何故怒鳴られたのかがわからない。

 何故?と、疑問が頭の中を駆け巡るのだが、ナルトの怒りは収まらず、ガシッと強い力で肩を掴まれたヒナタは、眉を顰めてしまう。

「どけ……」

「ナルトくん……ダメ……」

「どけっつってんだろっ!!」

「ナルトくんっ!任務の最中ですっ!!」

「お前がここまで言われて、ここまで心を傷つけられて、オレに黙ってろって言うのかよ!ふざけんなっ!!」

 何故仮面をつけて悟られないようにしている心の内側までこの人には理解されてしまうのだろうと、泣きそうになりながら、ヒナタは彼女にしては珍しいほどの大きな声を張り上げる。

「怒りに我を忘れないでっ」

 一旦言葉を切ったヒナタは、自らもが痛みを覚え、しかもナルトを傷つけてしまうとわかっていても、その怒りを冷ますために言葉を放つ。

「ナルトくんは……つき姫様を守らなくちゃ……ナルトくんが守らなくちゃならないのは……私じゃないよ」

 静かに告げられた言葉に、ナルトは心に冷たい刃をつきたてられた気がして、言葉を失う。

 そう……本当ならば、彼女を誰よりも守りたいのだ。

 傷ついたその心を、包み込んで癒したい……

 一人じゃない、傍にいるからと伝えたいのにと、心の中が叫ぶ。

 しかし、彼女が言うとおり、今は任務の最中であり、最優先事項はつき姫と露草の露を守ること──

 頭で理解しているのに、心が納得出来ないと叫ぶのだが、それをねじ伏せてヒナタがなそうとしていることに意識を向けた。

 自らがこの二人を止めてでも、任務の為につき姫を逃そうとしている。

 そして、自らが残るといったのは、ナルトと相性が悪いこの場所から遠ざけるためでもあり、つき姫を確実に安全に送り届けるため……

 二人を足止めしようとしても一人のうちどちらかは追って来ることが予想されるのだから、一人は確実に足止めするつもりなのだろう。

 彼女は言葉にしてはいないが、それも予測しての行動なのだ。

 そう、彼女は冷静に対処している……だから、今はそれに従い、自らも戦わなくてはならない。

 個人的な感情を優先させて、ヒナタの想いを蔑ろにするのは、彼女の力を信じていないことになる。

 それは、絶対にあってはならないことだと、自らの心に言い聞かせ、ナルトは苦しい胸の内から何とか言葉を搾り出した。

「……わかった」

「ありがとう……ナルトくん」

「でも、影分身は置いていく……それくらいなら良いよな」

「……お願いします」

 素早く印を結び影分身を五体出してヒナタに二体つけると、そのまま踵を返しつき姫とオウセキに声をかける。

「オウセキの兄ちゃんは、姫さん抱えて走ってくれ!オレが雑魚は蹴散らすっ!」

「よ、良いのですかっ!?彼女一人では……」

「……仕方ねーだろっ!アンタたちを守るのが任務だ……本当は守ってやりてェけど……でも……オレは、ヒナタを信じる!」

 キッと前方を睨みすえ、ナルトはヒナタと背中合わせに声をかけた。

 少しだけ触れる背中の熱。

 互いの熱がそこで溶け、熱い思いが流れ込んでくるような気がして、ヒナタは任務だと、これは任務なのだからと自らに強く言い聞かせて頷く。

 そう忍である己に、今は余計な感情があってはならない。

 冷静にならなくてはならないと言い聞かせ、ヒナタは息を大きく吸いこんだ。

「すぐに戻る……ヒナタ、絶対に戻ってくるから、無茶すんじゃねーぞ」

 声を出すこともなく頷くヒナタに、ナルトは彼女の体が少しだけ震えたのを感じながら悔しげな顔をして唇を噛むと、肩越しに振り返り敵を睨み据えて、闇の中で見えない刃を首筋に当てられたような底知れぬ恐ろしさを滲ませたナルトは敵の男女を一瞥すると、そのまま無言でその場を去る。

 ナルトの去る気配にヒナタは一瞬だけ顔を歪ませたのだが、ソレを影分身のナルトが見止めたことにも気づかず、再度深く呼吸を繰り返した後ゆっくりと構えを取った。

「いきますっ!」

 ヒナタの鋭い声が辺りに響き、影分身のナルトもクナイを構えた。

 それが合図のように戦いの火蓋は切って落とされたのである──






 ナルトが先ほどの男女のうちの一人の襲撃を警戒しながら山を下り、つき姫を背負うオウセキを守りながら、襲って来る忍たちを退け、何とか城下へ入り用意されていた神器につき姫の持つ露草の雫を入れれば、不可思議な光を放ち、その神器が地へと沈んでいく。

 普段ならばその不可思議な光景に声を上げるところだが、今はそんな余裕がない。

 大名が朗々と述べる言葉すら聞いている時間が惜しいとばかりに、ナルトはキッと山頂を睨みつけた。

「コレで、また我らの地は豊穣を約束された。何と礼を言ったら良いか……」

「影分身を念のために置いていく。オレは仲間たちがまだ戦っているからそっちへ応援に……ヒナタっ!!!」

 急にナルトが声を上げ、山の頂を見上げて悲痛な声を上げた。

 影分身から齎された情報が一気に頭に流れ込んできたナルトは、信じられないものでも見たかのように呆然と立ち尽くす。

「ナルト!」

 空からサイの鳥が飛来し、その背に乗っていたヤマトと、首謀者である者たちなのだろう、木遁で作った蔦のネットに入れられた忍たちをその場へ転がすと、急ぎ状況を説明するためにヤマトが口を開くのだが、ナルトの様子が変であることに気づき、一瞬戸惑いの色を見せる。

「どしたんだい、ナルト」

「……ヒナタが……谷に……」

「なんだってっ!?わかった、ボクとサイですぐ助けに……」

「オレに行かせてくれっ!!」

 すぐさま踵を返そうとしたヤマトとサイに、ナルトは叫ぶように声を荒げた。

 もうこれ以上は我慢ならなかったのだろう。

 全身からほとばしるチャクラが乱れ、心がまるで叫び声を上げているかのようなナルトの声に、さすがのヤマトも無視して行動を移すことができずにその場に踏みとどまってしまった。

「すぐに戻るって約束したんだっ!絶対に戻るって……だから、オレに行かせてくれってばよ!」

「ダメだ。ナルト……キミは姫の護衛の任がある。ボクとサイで行く」

「頼むっ!オレに……オレに行かせてくれ……頼むからっ!!」

「ナルト……」

「守りてェんだ……アイツを誰よりも、何よりも……守りてェんだ!だから……だからっ!」

 必死に叫ぶように懇願するナルトの様子にヤマトは言葉を失い、任務中に私情は挟まないことが大前提だと言いたい気持ちはあるのだが、だがコレがナルトなのだとどこか納得している部分もあり、苦笑すら浮かんでくる。

 そう、反対に彼が彼女を何よりも守りたいと公言したことに対して評価すべきかもしれないと、ヤマトはチラリとサイを見れば、彼は心得たというようにコクリと頷いた。

「ボクの鳥では夜の探索は難しいと思います。ナルト、ヒナタさんのいる場所、目星はついてるのかい」

「ああ、最後は影分身のオレがクッションになったんだ。着地地点まではオレの頭の中に入ってる。ヒナタも何とか無事だと思う……でも、チャクラ切れと……足を痛めていて動けるかどうかわかんねェ」

「あの鋼糸にやられたのか……」

「イヤ、違うってばよ。アイツ、姫さんとオウセキの兄ちゃんに向けられた鋲を手で鋼糸で弾いたあと足で受け止めてたんだ」

 えっという顔をしたつき姫とオウセキは、そんなことがいつの間にあったのかという顔をしてナルトを見るが、ナルトも悔しげに眉根を寄せて重々しく口を開く。

「最初にヤツラがクナイの雨を降らせた後……オレも気づかなかったってばよ。影分身の情報で知った……情けねェ……」

「何故じゃ……アレほどの扱いを私に受けておりながら、何故守ろうとする……寝るヒマもない程、色々申し付けていたというのに……ナルトと語らうヒマさえ与えず……」

「ヒナタはそういう奴だ……アイツは……誰よりも優しいヤツだ。だから、自分の心を殺してでも、アイツは人を助ける。だから、いつも誰かの為に傷ついて……オレはアイツに守られてばっかで……」

 それ以上は言葉にならず、ナルトは拳を握り締めて悔しそうに地面をにらみつけた。

 そのナルトの様子を見ていたサイは、口元に緩やかな笑みを浮かべてナルトの肩を叩く。

「ボクがこの場に残るよ。ナルトはヒナタさんを……多分、待っているはずですからね」

「サイ……」

「念のためにボクも残ろう。ナルト、ヒナタさんを発見したら影分身を出してこっちへ連絡を入れてくれるかい。そして、念のため夜明けまで動かないほうが良い……残党がいないとも限らないからね」

「了解だってばよ!それじゃ、最速で行って来る!」

 そういうが早いか、ナルトは一気に黄金のチャクラを纏い、一直線に山頂を目指して跳躍し、地を駆け抜ける。

 その速度は常人の目で追いかけるのも難しく、ただ一陣の風が吹きぬけたように感じられた。

「ヒナタさん、大丈夫でしょうか」

 オウセキが心配そうに声をかければ、ヤマトとサイは心配いらないとばかりに苦笑してしまう。

 そう、ナルトがいて彼女が無事でないはずがないのだから──

「ナルトはきっと連れて帰ってきますよ」

「ボクたちでは見つけるのに時間がかかるかもしれませんが……ナルトなら心配ないと思います」

 サイとヤマトの言葉に少し安堵したオウセキは、自分の袖を掴んで未だ震えているつき姫を宥めようと声をかけるのだが、彼女は眉根を寄せて唇を噛みしめる。

 そして、意を決したようにサイとヤマトへ視線を向けると言葉を投げかけた。

「ヒナタという娘。ずっと……命を狙われておるのか?こんな……思いをずっとしておるのか?」

「……彼女の目は不可思議な色をしているでしょう」

 ヤマトの言葉につき姫はこくりと頷き返し、確かにあの感情の読めない瞳は苦手だと小さく呟くと、ヤマトは苦笑を浮かべながらも言葉を紡いだ。

「白眼と言って、彼女の瞳は三大瞳術の一つです。生まれながらにして、彼女は命を狙われることを定められています。小さい頃に誘拐をされたこともあったようです」

「……そんな想いをしながら、何故忍になる」

「日向一族という名家の宗家嫡子ですから、忍以外の生き方を用意されておりません」

「あんな……恐ろしい目にあっても何故戦う」

「さあ……ボクはヒナタさんではないから完全にはわかりません。しかし……彼女は誰かを守るために戦っているんだって、今は思いますよ」

 昔の自分だったら、こんな青臭いことは言わなかった……と、内心自嘲気味に笑いながら、ヤマトはそれでも言葉を重ねる。

 きっと、彼女が知りたいのは、ナルトとヒナタの結びつきなのだろうから……

「守るために……」

「ボクら忍は、本来任務の為なら私情を挟まないのが鉄則です。しかし……ボクたちだって人間ですからね。守りたい者だって……いつかは出来ます。彼女の場合、ずっとそれがたった一人に注がれていた」

「……ナルト……か?」

「ナルトを守りたい。そんな風に思う人物がいるとは、当時考えられないことでした。……今も見たでしょう?彼の尋常ではない力を」

 多少の瞳の揺らめきを見せたが、言葉を返さずジッと黙ってヤマトを見るつき姫に、ヤマトはふぅと息をついた。

 女の子の泣きそうな顔は苦手だな……と、胸中で呟いたヤマトは、チラリとサイのほうを見たが、彼は微動だにせず山の方へ視線をやっている。

(ヤレヤレ、もうちょっと協力的にならないかな……)

 言ったところで始まらないとはわかっていても、愚痴の一つや二つ零したくもなるだろう。

 非協力的な班員と、何だかこじれてしまっている二人。

 確かに目の前のお姫様が全ての原因だと思えば腹立たしくもある。

 何せ、ここ数日、ヒナタからもナルトからも本当の意味での笑顔は消えたのだ。

 愛想笑いなんて見たいとも思わない……

 なぜか、あの二人には笑っていて欲しいと感じる自分がいるのだから仕方ないな……と、半ば諦めたようにヤマトは苦笑を浮かべた。

「あの力がナルトから人を遠ざけました。忌み嫌われていたと言って良い。そんなときから、彼女は彼を目指して頑張っていたと聞きます。落ちこぼれと言われようとも、忍にむいていないと言われようとも、彼女はナルトの隣に立てるように……その隣に立つのに相応しい人間になれるように努力し続けた」

「…………」

「そんな彼女にナルトが気づかないハズがないんですよ。アイツは優しいヤツですからね。そして、彼女も優しい……いや、優し過ぎる。だからこそ、自分の心すら押し殺して最善を尽くす。傷だらけになろうとも何度でも立ち上がる」

「結局、想定されていた首謀者二人のうちの一人も襲撃することなく終わりました……彼女が二人を防げるとは思いもしませんでした。ナルトくんの影分身が強かったのでしょうか」

「それはどうでしょう。ボクも現場に居合わせたワケではありませんから……ただ、彼女なら、そんな場面で自らの傷を理由に相手を取り逃がすことはないと思います。それにナルトとの連携も中々のもんですからね」

 オウセキはナルホドと呟くと、ヤマトの言葉に納得したように頷く。

 確かに、普段からの彼女からは考えられないほど、強いモノを感じられたのは間違いではなかったようだと心の中で呟いた。

「ナルトは……忌み嫌われておったのか?」

「はい。ナルトの持つ力の根源がその要因でした。でも、今は違います。彼が努力した結果、人との繋がりをより強固にし、その繋がりを断ち切らないで守ろうとする……そして、繋がっている相手もそれを切らないように努力するんです。その輪は広がり……今では、里を越え、国を越えた繋がりを築き、英雄と呼ばれるまでになっている」

「国をも越えて……」

「絆を断ち切らず守る為の戦いは、断ち切るよりも難しい。それが守る為の戦いだと、ボクは解釈していますし……ナルトから教わった気がします。ボクたち忍は、そこから変わっていっている」

 いつもなら難しい話など聞きたくないと駄々をこね始めるつき姫ではあったが、今日は何故だか大人しい。

 怖い目にあったからというのもあるかもしれないが……

「ナルトは……どうしてあれほどヒナタに執着しているのじゃ。好き……なのか?」

「さあ……」

 それはわからないと言いかけたヤマトの言葉を遮ったのは以外にもサイであった。






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