露草の咲く夜に 12 城のまかないどころを無理言って貸しきったつき姫は、ヒナタを伴い、その場で作業すること30分。 中々上手にいかなかったことも、ヒナタが優しく教えてくれることにより、今までできなかったことが嘘のように出来上がっていく。 さすがにこれには驚きを隠せなかったつき姫ではあったが、何故か今はその事実を素直に受け入れ彼女の言葉を聞くことができた。 命を張って逃そうとしてくれた彼女の後姿が反発することを忘れさせたかのようでもあり、ナルトが心惹かれるこのくノ一をもっと知りたいと思えたのである。 あの後姿、彼女が見せた背中に、言葉に出来ない何かを感じたのであった。 「あとはどうするのじゃ」 「このシートを敷いた鉄板の上に、この型抜きした生地を乗せて、オーブンで焼くだけです」 「ふむ……」 着物から動き易い袴に着替えたつき姫は、ヒナタの言うとおりに作業を終え、オーブンの時間をセットしてから漸くひと心地ついたようにホッと息をつく。 いつの間に用意したのか、ヒナタはゆっくりとした動作で紅茶を用意してくれて、その良い香りにやはり胸に詰まっていたものが漏れ出て行くようなそんな気持ちになる。 不思議とヒナタの持っている空気というのは、人の頑なな心を解してくれるような……そんな不思議なモノを感じてしまう。 (コレがヒナタの持つモノ……ナルトが感じて心から惹かれるモノ……) 柔らかくあたたかい、それなのに凜と強くて清らかで……癒されると感じる心は、母の腕に抱かれているようでもあり、ゆったりと湯に浸っているようなじんわりとしたぬくもりを感じた。 「どうして……あの時、本当はナルトに傍にいて欲しかったのに、私を守れと言ったのじゃ」 あの時というのがいつのことなのか理解していたヒナタは、ナルトに姫を守れと言った時の胸の痛みを思いだす。 決して平気であったワケではない。 しかし、忍としての判断は間違っていなかったと今でも胸を張って言えることであった。 「任務ですから」 「恋焦がれる男に、他の女を守らせる……それがどれほど辛いことか、わからなくはない」 「姫様……」 「あの時、お主の見せた背中が泣いておるように見えた。忍としての強い意志と、女としてのお主のせめぎあいのようなものを感じた。ナルトがソレをわかっておらぬワケがない。……だからこそ、アレほど怒ったのだろう。誰よりも守りたい人を守れぬ……それが忍か?」 静かに呟かれる言葉に対し、ヒナタは唇を噛んで目を閉じる。 確かに、傍にいてほしかった。 傷ついた心を支えて欲しかった。 だけど、ソレではダメなのだと、ヒナタは握った拳に力を入れる。 「女として、求めぬワケではなかろうっ!傍にいて欲しい!誰よりも、何よりも自分だけを守って欲しいと願うのは当然じゃっ!恋焦がれる男の視線や気持ちが己に向かねば……辛いではないか」 まるでヒナタの心の内を代弁するかのように言葉を荒げるつき姫を見つめながら、ヒナタは口元に柔らかな笑みを浮かべた。 きっと、彼女は自らがその立場であったのならば……と、考え辛くなってしまったのだろう。 それがわかるからこそ、もう一人の自分が自らに言い聞かせた言葉を、つき姫にも呟いた。 「確かに……そうかもしれません。確かに、女である私は……行って欲しくなんてなかった。でも……私たちは忍です。そして、ナルトくんはこれから火影にならなければならない人です。だからこそ、判断を誤ってほしくなかった。あの時、私を選んでいたら彼はきっと後悔したはずです」 「後悔なんてするわけなかろうっ!お主を苛め抜いて、傷つけて……そんな、そんな私が……」 自らの行いを理解していないワケではない。 何をしてきたのか十分承知しているからこそ、彼女はその境界線で揺れているのだとヒナタには思え、唇を噛んで俯く姿は、小さな頃の自分のようだと少しだけ瞳に悲しみを滲ませる。 彼女が本当にナルトに惹かれているのは知っていた。 心の底から、ナルトに恋焦がれている彼女だからこそ、本当に悪い人ではないだろうと思えたのだ。 「つき姫様は、本当にナルトくんが好きなんですね。だからこそ、きっとあの時私を選んでいたらナルトくんは後悔したでしょう。彼は……とても優しい人ですから」 言葉を濁したつき姫に対し、ヒナタはやわらかく微笑んで目を細め強い言葉でそう言い切る。 ハッとして顔を上げたつき姫の目の前で優しく微笑むヒナタのその様子がとても綺麗で、同姓に見惚れるなんてことがあるのかと、つき姫はその時初めて知った感覚に頬を染めてふいっと視線を逸らせてしまう。 こんなに綺麗な人が相手では敵わないではないか……と、心の中で呟きながら、きっと容姿だけであのナルトが好きになったワケではないだろうと、彼女の本当の強さを知った気がして、つき姫はふぅと息を吐く。 「私はな、あの笑顔が見たかったのじゃ。太陽のように笑う……あの笑顔が」 かちゃりと音を立てて紅茶の入ったティーカップを持ち、口をつけて紅茶を一口飲むと、あたたかい液体が体をじんわりとあたためてくれて、何故か心が柔らかく解されてしまう。 頑なになっていても、このヒナタの前ではことごとく邪魔されて無理なのだと悟ったつき姫は、大きな吐息をついてからヒナタの不可思議な瞳を見つめた。 「あの笑顔が見たかった。だけど、その笑顔はついぞ見れず……ナルトはお主を目で追いかけてばかりじゃ。何をしておるのか、何を考えておるのか、何を感じておるのか……切なそうに、だけど熱い瞳でずっと見ておった。その視線が私に少しでも向かぬかと必死にお主を遠ざければ遠ざけるほど、もっともっと深く求める」 そして、苦笑したままカップを皿に戻すと、つき姫は困ったように唇を尖らせて呟く。 「サクラとかいうくノ一を遠ざければチャンスがあるかと思いきや。まさか、最後の最後に強敵が前に現われようとは……思ってもみなんだ」 「わ、私は強敵なんてものじゃないですっ」 「何を言うておる。ナルトに一心の愛情をもらっておるくせに」 「……え、あ……そ、その……」 真っ赤になって俯いてしまったヒナタの様子に、おやまあという顔をしたつき姫は、どうやらこの二人は心が通じ合ったらしいと悟り、自分の気持ちがもうどう足掻いても届かぬものになったのだと悔しく思うと同時に、どこか安堵したような、目の前のヒナタにならばしょうがないなという気持ちになってしまうのだから不思議だ。 「ヒナタ、お主にとって、ナルトはなんじゃ?」 「わ、私にとって……ナルトくんは、お日様です。いつも迷ってばかりいる私を導いてくれて、暗くなる心を照らしてくれる……そんなかけがえの無い……お日様なんです」 ふわりと笑うヒナタの最高の笑みを見たような気がして、つき姫は思わず頬をほんのり染めながらも、どこかむず痒くも嬉しくもあり、羨ましくもあるという複雑な想いを抱き、ヒナタの方へと身を乗り出す。 「えぇいっ!この果報者めっ!罰として、馴れ初めなど後学の為に話して貰うぞっ!」 「え、えええっ!?」 「ほれ、キリキリ白状せんかっ!!」 オーブンが時間を告げるまでは、あと10分以上はある。 その間、思う存分この目の前のくノ一から色んなことを聞いてみようと目を輝かせ、つき姫は久しぶりに心の底から笑うのであった。 何気ない会話をしている大名の月草とカカシとヤマトを眺めながら、どうにも気になるヒナタの行方に落ち着かない様子でナルトは手を握っては開き、開いては握りを繰り返す。 それをチラリと横目で見たサクラとサスケは、ナルトのいつもと違う雰囲気に困惑を隠しきれないでいた。 詳細を知っているはずのサイとヤマトは口を噤み、この件に関してはあまり口を開いてくれない。 寧ろ、ナルト自身があまり語らないという状況というのが信じられず、何が起こっているのか悶々と自らの内で考えては溜息をつく。 そんな他愛の無い時間が過ぎていく中、声がかかり部屋の中へ入ってきたのは、この変なナルトの一端を担っているだろうつき姫であり、その手にはなにやら色とりどりの小袋が抱えられていた。 「父上、コレが申し上げておりました『くっきー』なるものです。さあ、食してくだされ」 「ふむ……すまぬな。いきなりで」 話を中断され、しかもいきなり突きつけられた小さな袋を受け取った月草はヤマトとカカシたちに詫び、しゅるりと音を立ててリボンを解くと小さな袋の中に入っている焼き菓子を一枚摘み上げる。 摘み上げた一枚をしげしげと見つめていた父の月草に対し、不安が募ったのか、それとも食べては貰えないのかもしれないという気持ちが募ったのか、必死にそのクッキーが安全で美味しいものだとわかって貰えるように言葉を重ねた。 「だ、大丈夫。教えてくれた者が良かった故、ちゃんと食べれるモノになっているはずじゃっ」 「疑ってはいない。ただ……よく短期間で作れたものだとな」 「て、手伝って……貰ったから……」 そう言ってから、つき姫は、その小さな袋を順々に渡していくと、皆自らの手の内に納まっている小さな袋を見てどうして良いのやらわからないような、困った顔をしてつき姫を見るのだが、彼女は完結に言い切った。 「はよう、食すが良い……ま、まだあたたかいが……美味いと思うぞ。私が作ってもらった中で一番気に入った菓子じゃ」 つき姫のその言葉に、ナルトはピクリと反応し、そういえば初日にヒナタがつき姫に作った菓子がクッキーではなかったかと思い出す。 形といい焼き具合といい、その時のモノとは比べ物にならないほど歪ではあるが、それでも、ヒナタが手をかけたのは感じ取れる。 (バカ……他の女が自分の男に食わせるモノの手伝いなんかするのかよ。お人好しにも程があるってばよ) そんな彼女だからこそ、自分は惹かれてしまうのだろうとわかっていても愚痴のひとつも言いたくはなるだろう。 まるで、彼女を応援しているようではないかと…… (オレは、お前のモンなんだぜ?ヒナタ……) ココにはいない彼女にそう呟いたナルトは、小さな包みをジッと見つめる。 彼女の望んでいることはわかっていた。 だけど、それは余りにも切なくて、何故こんなお人好しで誰にでも優しくて……こんなに愛しい人なんだろうと、ナルトは胸が締め付けられる思いを抱えながら、その小さな包みのリボンを解く。 袋の中に入っていたクッキーを一口食べて、ヒナタよりは劣るけど……と心の中で言葉を付け加えてから、ニッと笑う。 「へェ、初めて作ったにしてはウマイってばよ」 「そ、そうかっ!?ま、真かっ!!?」 ここ数日初めて見れたナルトの掛け値なしの笑顔に、つき姫はへなへなと畳みの上に座ると、大きな溜息をつく。 これで大丈夫だからと送り出してくれたヒナタの好意が、今は胸に痛かった。 こうして、ナルトに手渡さないはずがないとわかっていながら、それでも手を貸してくれた彼女の心が、とても綺麗で……綺麗過ぎて、ナルトの目の奥にある切ない色を見た瞬間、同じ思いを抱いているのだろうと知る。 「馬鹿じゃなぁ……何故手伝ってくれたのだろうか。父上だけでなく、ナルトにも食べてもらいたくて必死に作った。だけど、ヒナタが手を貸してくれねば、作ることも叶わなんだ……自らが好きな男に他の女が食べさせたいと作るものを……手伝うなんて、本当に底抜けのお人好しじゃ」 そう言ってつき姫は袂からもう一つの包みを出すと、それをナルトへ向かって投げた。 軽く弧を描き跳んでくるソレを難なく受け取ったナルトは、その包みの中を見て首を傾げる。 同じクッキーのように見えるのだが……形が違う。 視線で食べろといわれているのだと気付いたナルトは、同じように包みを開いて、一枚とると口へと運ぶ。 本当に同じような行程で作られたのかと不思議になるほど優しい味わいで、自然と口元が綻んだ。 何も言わなくても、ナルトが嬉しそうにクッキーを頬張る姿。 誰が作ったのか一目瞭然だと、サイとヤマトはオウセキと顔を見合わせてくすりと微笑んだ。 |