露草の咲く夜に 11




 脚に負担をかけることを嫌ったナルトが、ヒナタを抱えて城下町に戻ってきたのは、ヤマトが想定していたよりも早い時間であった。

 それほど酷い傷ではないからと遠慮しようとしたヒナタを無理矢理口付けで黙らせ、体の力が全て抜けたのを確認してから抱き上げての移動という強硬手段が早く到着した要因である。

 無理矢理抱かれた力強い彼の腕から逃れる術を見失ったかのように大人しくするしかなくなってしまったのには理由があった。

 もしヒナタがヘタに動きナルトから逃れようとしたのなら、彼は今度こそ本気でヒナタを動けなくするための手段を講じるだろう。

 その手段が口付けだけで澄むかどうかわからない不穏な気配をナルトから感じられたのだ。

 流石のヒナタもこれでは動けなくなって当然である。

 自らの心の奥底を曝け出したからなのか、彼が優しく微笑むだけでなく、今までは時折チラリとうかがわせる程度であった妖艶でありながらも色気と共に黒くも感じるような、笑みと気配を見せてくれるようになった。

 どんなナルトでも受け入れられるヒナタではあるが、その彼の気配は正直言うのなら苦手……

 いや、苦手という言葉は正しくないかもしれない。

 心臓と体が持たないのだ。

 元気の良い太陽の笑みのときに感じるモノとは別の胸の高鳴りを感じてしまい、どうして良いのかわからなくなる。

 ナルトから見ればとんでもなく色っぽいヒナタの顔なのだが、本人に全く自覚は無い。

 そんな色っぽいヒナタを見てしまうものだから、ナルトはこんなヒナタを誰にも見せたくないと更に独占欲に火がつくワケで……

 つまるところのエンドレス効果であった。

 ただ幸いなことに、二人っきりのときだけという条件がついているらしく、誰も居ない場所から移動して城下町へ入った時には、その気配が霧散しており、本当にあの表情をしたのは目の前の彼だったのだろうかと、ヒナタは不思議になってしまう。

 漸くナルトがヒナタを降ろしたのは、昨夜と同じように社の裏手で忍たちの団子状態を取り巻くヤマトとカカシとサクラを見てからである。

「あれ?カカシ先生とサクラちゃん、何でいんの?」

「ご挨拶だねぇナルト。そっちは大丈夫?ヒナタ怪我したんだって?」

「あ……は、はい、ご、ご心配おかけしてすみませんっ」

 やっと地面を自らの足で踏みしめることの出来たヒナタは、多少フラリとするのだが、ソレをナルトが無言で支えた。

 その絶妙なタイミングに、カカシがピクリと反応して二人の様子を伺い見るのだが、ナルトに反対に睨まれてしまったが為に慌てて視線をヒナタから外す。

(なーんでこうも睨まれるワケ?オレ何かした?)

 頬を引きつらせて何か言いたげなカカシに視線をやったヤマトはゆるゆると首を振ったのだが、ナルトはソレを一瞥しただけでそれ以上何も言わず黙り込む。

 そんなナルト様子に気付くことなく、サクラはヒナタに近づき右足のズボンに滲んで赤黒くなってしまった箇所をかがんで見つめる。

「怪我診せて、治療するから」

「ごめんね……サクラちゃん」

「ううん。鋲でやられたって話だったけど、どうやら外れているみたいね……だけど、出血が酷いわ。体力も随分落ちているみたいだけど……」

「大丈夫。少し休めたから」

「あんなちっとで休んだことになるかよ」

「で、でも……す、凄く……安心出来たから」

「……そ、そっか」

 視線を交わさず、言葉を交わす二人の様子に、傷口にチャクラを流し込んでいるサクラは気付かないが、気付いたカカシは『お?』と首を傾げてヤマトを見た。

 ヤマトのほうはというと、口元に柔らかな笑みを浮かべて、目を細めるだけ……

 お前のその表情も何よ……というカカシの視線を受けたヤマトは、今度は苦笑を浮かべたあと、自らが作った雁字搦めの忍団子を指差した。

「アレ、どうします?」

「そうね。アレをどうにかするために来たワケだし……まー、オレの神威で一旦異空間に幽閉でしょ。ナルトー、あとでチャクラ補給頼むよ」

「少し休んでりゃいいんじゃねーの?」

「お前、最近オレに辺り酷くない?」

「気のせいじゃねーかな」

 と言いつつも、何故か視線はヒンヤリと冷たい。

 まさか、以前ヒナタに対し『ヒナタ、また大きくなった?』と、胸を凝視してしたセクハラ発言が原因だとは夢にも思っていないようである。

 そして理由は知っているが、あえて口を挟まないヤマトは、ここのところセクハラ発言が増えて同類だとくノ一たちに思われ、被害を被っているのだからこれくらいの復讐はあっても良いよね……的な考えで、仲裁などするつもりもないようだ。

「ナルト、頼むよ。でないと帰りはオレ倒れてお前に運んでもらわないといけなくなるし」

 ツーンと完全無視を決め込んでいるナルトに対し、何故か謝らなくてはならない状況になってきたカカシは、両手を合わせてペコリと頭を下げる。

 本当にどっちが上なのかわからない状況になりつつあるのだが、何となくナルトが何に対して怒っているのか察しているヒナタは口を挟めず、サクラはただ単にジャレているだけだろうと溜息をつく。

 漸くナルトのチャクラ補給をしてもらい、ホッと息をついたカカシは、怒っている理由がなんだったのか気にはなるが、ヘタに聞けばまた機嫌を損ねかねないと理由を知っていそうなヤマトに声をかけるのだが、ヤマトもニッコリと笑っただけで答えてくれることはないようだと踏み、今度はヒナタに……と視線をやっただけで、ナルトとヤマトから同時に視線が突き刺さり、コレが地雷だったのだと知る。

 そんなどうでも良いような争いをしている男性メンバーを呆れた目で見ていたサクラは、社の表から一際大きな歓声が上がったのを聞いて、そろそろかな……と、立ち上がった。

 この社の表で祭典の締めを行い終えたのだろう姫がサイとサスケと共にやってくるのを見て、ナルトは驚き声を上げる。

「サスケェ!?」

「よう、ウスラトンカチ……ヒナタのほうは大丈夫なんだろうな」

「オレがいて、滅多なことがあってたまるかよ」

「フン……せいぜい言ってろ」

「チッ」

 親友同士の軽い会話に、サイがニッコリ笑ってヒナタに声をかけた。

「ヒナタさん、傷は大丈夫ですか?」

「はい。心配かけてしまってすみません……サクラちゃんの治療もあって、痛みはもうありません」

「そうですか。それは良かった。でもダメですよ」

「え?」

 何がダメだと言われているのかわらかず、ヒナタはキョトンとしてサイを見つめ、ナルトは嫌な予感を覚えてサイの方を見ると、コレまでの経験上、このタイミングでこの男がろくなことを言った例がないとばかりに、警戒の色を濃くした。

「ナルトに甘いのは良いですけど、ちゃんと認……」

「だあああああぁぁぁっ!!テメーはまだそれを言うのかってばよ!!やってねーって言ってんだろうがっ!!」

「え、だって首謀者らしき彼が言ってましたよ。全力で黙らせるのが怪しいって」

「オレの言葉より、アイツの言葉信じるのかよ!つーか、アイツ……もっと痛めつけてやるべきだったか……くそっ」

「ダメですよ、彼はアレで結構タフみたいですから。それとも、もう一度踵落としいきます?」

「尾獣玉でも良いよな……」

「いや、ソレはダメだって。流石に死んじゃうから」

 会話が危うい方向へと進み始めたのを感じたヤマトがやんわりと二人を止め、イマイチサイの言っている事がわからないという顔をしているヒナタに視線をやれば、彼女は唇に人差し指をあてて小首をこてんと傾げて呟く。

「……何がダメなんだろう」

 ヒナタの小さな呟きに答えようとしたサイの胸倉を無言で掴み上げ、笑っているのに笑っていないという器用な様子を見せてくれたナルトに、サスケがやれやれと溜息をつく。

「ヒナタ、無事であったか」

 凛とした声が飛び、ナルトはサイをおろしてからチラリとつき姫へ視線をやったあと、音を立てない滑らかさでヒナタのそばへと移動した。

 その行動だけで、ナルトの怒りが深いことを知ったつき姫は眉根を寄せ、少しだけ悲しげな顔をしたのだが、ヒナタがナルトの上着の裾を掴みツンツンと引っ張り注意すると、大きく溜息をついてから幾分表情を和らげる。

「申し訳ありません。お手を煩わせてしまい、何とお詫びしてよいのか……」

「私たちを逃すために劣りになり、傷を負ったのだ。気にする必要は無い。大儀であった」

「ありがとうございます」

 スッとお辞儀の見本のような丁寧で気品のある礼に、つき姫はふぅと吐息をつき、肩をすくめる。

「忍であるのにそなたほど礼儀正しい者はそうはおらんな……ところで」

 チラリとナルトのほうへつき姫が視線をやったのを感じたヒナタは、ピクリと反応をするが、黙って様子を見守った。

 彼女から先日から感じていたトゲのようなものが、少し抜け落ちているのを感じる。

 いや、どちらかというと全くと言っていいほどソレを感じられないのだ。

(どうしたのかな……で、でも……何だか……)

 ヒナタが過敏にソレを感じ取っているのに対し、ナルトの方は完全に警戒し、これ以上ヒナタが傷つく結果にならないかどうかと神経を張り巡らせる。

 ナルトからかかる無言のプレッシャーに、思わずオウセキが反応してしまうほどであったが、そんなプレッシャーにも怖気づくことなくつき姫はナルトをジッと見つめた。

「随分とご機嫌斜めじゃな」

「心当たりあんだろ」

「まあな」

 扇で口元を隠して笑ったつき姫は、先日までは口も利きたくないとでも言いたげな彼が、ほんの少しだけ解れている様を見て溜息が出そうになってしまう。

 この変化を齎したのは、他でもないヒナタであることは明白な事実。

「ヒナタ。ちとそなたに頼みたいことがある」

「はい。何でしょう」

「ふむ……そうじゃな、ココでは何だ。部屋までついて参れ」

「はい」

 眉根を寄せてヒナタの手を掴んだナルトは、任務なのだとわかっていてもどうにもならない気持ちをどうして良いかわからず、その手に全てを篭める。

 ヒナタにもそれは伝わっていたのだろう。

 彼女はやんわりと微笑むと、握られていない方の手でナルトの手を包み込むと、ゆっくりと手を解いてつき姫の後に付いていくために一歩踏み出した。

 ……が、ナルトはヒナタに背を向けたまま腕だけ伸ばして彼女の肩を掴むと、低い声でボソリと呟く。

「無理なら言え。オレにとって大事なのは……」

 こんな国よりもヒナタだと、彼の手が想いを伝えてくる。

 だがそれ以上は言葉にして言ってはいけないと、ヒナタは手に想いを篭めてナルトが掴んでいる肩の手にソッと手を添えた。

「多分……思っているほど、大変にはならないと思うの。警戒しないで?ちゃんと見てあげて?……ナルトくんはソレが出来る人だって私は知っているから」

 そう言って更に一歩踏み出しつき姫に付いていくヒナタに、苦い想いを抱きながら、ナルトは心の中で毒づく。

(冷静になって姫さんをもう一度見ろっていうのかよ。お前をここまで傷つけられてて、オレにそれを求めんのかよ。他でもねェお前が……)

 誰よりも愛しい人を傷つけられて怒りを感じない者はいない。

 それは忍であっても同じだ。

 なのに、彼女はもう一度だけ、真実を見極める目を持てという。

 本当に厳しい話だ……と、ナルトは小さく溜息をついてしまった。

 心のままに、思いのままに暴れられたらどれだけ樂か……

(でも、それじゃあ……お前の横に立つ資格も、お前を腕に抱く資格もねーってことだろ?しょーがねェ……ヒナタに免じて、もう一度見極めてやるってばよ)


 心をまっさらにするのは難しい。

 だけど、人の気持ちを汲むという行為が出来ると信じてくれている彼女の言葉に突き動かされ、ナルトは心の中のわだかまりを捨てるように腹のソコに力を入れて深呼吸を数回繰り返した。

 離す前にぎゅっと一度握られた手の力加減が『大丈夫』と言っているのはわかったのだが、心は穏やかではない。

 だけど、深呼吸とヒナタの言葉は効果があったようで、幾分頭の中がクリアになってくる。

「すみません……姫が……」

「ヒナタが大丈夫だって言うなら……信じるしかねーだろ」

 不貞腐れたような声で言うナルトに、サスケとサクラが呆れてしまうのだが、ここ数日の状況をヤマトから聞いた一同は、ナルトの表情の意味がわかり、それぞれ困ったような険しい顔をして、ヒナタの後姿を見送る。

「ヒナタ大丈夫かしら……あの子、我慢強いから」

 サクラが心配そうに呟けば、ナルトの表情はもっと険しくなるのだが、そこで今まで朗々と挨拶をしていたらしい大名が姿を現し、新旧7班の揃っている様子に目を瞬かせてから破顔し、気さくに誘うと城の方へと歩き出す。

 先に姫と行ってしまったヒナタを思いながら、ナルトは握り締められた右手を見つめ、彼女の優しい心がその手に残っているような気分に口元を緩める。

(そうだよな。ヒナタなら大丈夫だ。アイツは……すっげー優しいヤツで、本質を見抜く洞察力は誰も敵わねェ。そして、こんなオレを誰よりも信じて……求めてくれるヤツだから──)

 この国へ来たときよりも、先日よりも、ずっと深く固くなった絆を心に感じたナルトは、目を細めた。

 離れていても心が繋がっているような、そんな感覚が心をあたたかくして、ナルトの余裕の無かった気持ちに冷静さを齎す。

 確かに繋がっている……とくり、とくりと音を立てる自らの鼓動と、彼女が残してくれたぬくもりが、今は確かに感じられる心の絆であり、もうどんなことがあっても離れることはないのだという安堵感が広がる。

(生涯共に歩いていく相手を信じなくて、誰を信じるんだよ。オレっ!)

 自らを心の内で叱咤したナルトは、一つ深呼吸をして顔を上げた。

 その瞳にはいつもの明るい色が宿っており、それを見たヤマトもサイも苦笑を浮かべて前を進む。

 この二人は、どんなに引き離そうとしても、離れることは叶わぬ絆で結ばれたのだと心で感じ取り、それが何よりも嬉しいと感じる自らの気持ちに晴れ晴れとした思いを描き、蒼天の空に負けないような清々しさを覚えるのであった。






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