03.彼女の涙と勇ましい彼




 背後の気配と、聞き間違うはずも無い声に驚き、ヒナタは眼を見開く。

 何故彼の声がするのだろう、何故、彼の気配を背後に感じているのだろう。

 思考はそちらへ流されるが、濃密な彼の気配は己を守護するようにヒナタを包み込み、眼前の男子生徒を切り裂かんばかりに威圧する。

「聴こえてねーのか?何やってんのか聴いているんだってばよ」

 硬直している3人をよそに、ナルトはもう一度訊ねる。

 ヒナタからはナルトの表情を見ることは出来ないが、先ほどまで薄ら笑いを浮かべていた男子生徒2人の顔色が青くなっているのを見ると、怖い顔をしているのかもしれない。

「情けねェな、女1人に男2人がかりかよ」

 ギリッと骨の軋む音がしそうなくらい強い力で相手の手首を締め上げ、ヒナタの手から男子生徒の手が離れたのを見て手を離す。

「な……ナルト……くん……」

 視線を背後へ向けると、いつものような無邪気な笑顔ではなく、怒りを湛えた鋭い眼光が目に入りヒナタは言葉を失った。

 朗らかなお日様のような彼ではなく、灼熱の太陽。

 その怒りに触れたのならば、その熱で身は灼かれ塵すら残さず消え去るしかないのではないのではないだろうかと思える程の厳しさを感じさせた。

「ヒナタ、大丈夫か?」

 だが、ナルトが次の瞬間ヒナタにかけた声は、そんな様子からはかけ離れた労わりに満ちた声であった。

 ヒナタは驚きながらも無言で頷くが、何気なく添えられた左手首に痛みが走り、思わずビクリと身体を震わせる。

 ヒナタの様子から赤く腫れた左手首を確認して、ナルトの表情が一変し、低い声がその場に響いた。

「テメーら……覚悟出来てんだろーな」

 地の底から響いてくるようなその声に含まれる怒気に気圧され、男子生徒2人はたじろぐと逃げるべく踵を返し走り出す。

「待ちやがれっ!!」

 言外に「逃がさねェ!」と颯爽と走り出し、逃げる男子生徒を追いかける。

 彼の脚力に敵うワケもなく、どんどん距離を詰められる男子生徒2人の前を通りかかった教師を確認して、ナルトは彼らに向かって叫ぶ。

「激マユ先生!アスマ先生!そいつら捕まえてくれってばよ!!」

 ナルトの叫びに応えるように、反射的に走ってくる生徒に向かって手を広げ捕まえようとする様子を見せた教師に対し、警戒し速度を落とした男子生徒2人の首根っこを掴むと、二人の教員相手に事情を説明して引き渡す。

 アスマが気遣うような視線をヒナタに寄越し、ガイは親指を立てて「任せておけ!」と、ヒナタのいる場所まで聞こえるような大声で言うと、それぞれ1人ずつ引っ張って行ってしまった。

 その一連の騒ぎの決着を見ながら、ヒナタは思わず力が抜けペタリと冷たい廊下に座り込んでしまう。

 何より先ほどまで感じていた絶望にも似た感情から解放され、信じられない思いで廊下の先で教師たちを見送りこちらへ振り向いたナルトを見つめ、震える唇が細かく息を吐いた。

「ヒナタっ!」

 そんなヒナタの様子に気がついたナルトはサッカー部で鍛えた脚力をフル活用し、驚くほどの速度でヒナタの元へ走ってやってくる。

 ナルトを見ながら、漸く解れた緊張は限界をあっさり超え、知らず知らずのうちに涙が零れ始めた。

 ぽろりぽろりと真珠のように零れる雫を見て大いに焦ったナルトは、ヒナタの肩に片手を置いて顔を覗き込むようにして訊ねてくる。

「大丈夫かっ!何もされなかったか!?それとも左手が痛むのか!?」

 真剣な顔で矢継ぎ早に問うてくる彼に対し、ヒナタは弱々しく首を振り本当に小さな声で正直な気持ちを呟いた。

「こわ……か……った……」

 その言葉と声を聴いたナルトが、一瞬悔しそうな顔をしてから少し戸惑った後、意を決したようにギュッとヒナタの身体を優しく、だけど力強く包み込む。

「すまねェ……もっと早く気づいていたら」

「そ、そんなことないよ。あ、ありがとう……ナルトくん」

 ポロポロ涙を零しながら礼を言うヒナタの姿に言いようのない切なさを感じて、ナルトは一層彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

 誰からもこれ以上は、彼女を傷つけられまいとするかのように。

「もう大丈夫だ。大丈夫だから……」

 ナルトはヒナタを落ち着かせるように、髪を優しく撫でてやる。

 その手触りの良さに思わず息を呑むが、彼女の涙を止めたいという気持ちのほうが先で、「大丈夫だ」と何度も声をかけた。

 次第に落ち着いてきたのか、ヒナタの震えていた身体はゆっくりと力を抜き、先ほどよりはしっかりした声で「ありがとう」と言われ、ナルトはヒナタから名残惜しげに腕を離した。

「ご、ごめんね……ナルトくんの勉強……見ないといけないのに、私が迷惑かけちゃって……」

「いや、オレの方こそ迷惑かけちまって、すまないってばよ」

 廊下の真ん中でしゃがみこんだナルトと、座り込んだヒナタ。

 誰かが見れば、ナルトがヒナタを泣かしたようにも見えかねないその状況。

 お互いに謝り、頭を下げ、小さく笑った。

「ヒナタがモテるの知ってたけど、ああいうのは困ったもんだな」

 自分を見ていてくれた事実を知り、気を失いそうになる程嬉しくあったが、どうせ見てくれるならそういうところは……と、少々恨めしく思いつつ苦笑を浮かべ言葉を紡ぐ。

「うん……な、何でか……胸ばかり見られるけど」

「うわぁ、あからさまだってばよ」

「そ、そんなに、いいのかな」

 自らの胸に視線を落とすが、いまいち男子の心理がわからず小首を傾げる。

(邪魔なだけなのに……)

「うーん、確かに大きくて柔らかそうけどな」

 ジッとナルトの視線を受けヒナタは真っ赤になるが、先ほどの厭らしいカンジではなく、純粋に感想を述べているのだろうということがわかり、困ったように笑った。

 いくら他意はないとは言え、少々デリカシーに欠ける言葉だ。

 しかし、惚れた弱みなのか、ナルトであれば何でも許せる気になるのだから恋とは恐ろしいものである。

 ナルト自身も己の言動が素直に答え過ぎたという事に気がついたのか、彼には珍しく気まずそうに視線を彷徨わせたが、フッと気がついたことがあり、彼女にシッカリと視線をかみ合わせ問うた。

「ああいう連中、多いのか?」

 先ほどと打って変わった真剣な声に、ヒナタはいつもと違い淀みなくナルトと話せている自分を不思議に思いながらも頷く。

 過去から思い返してみれば、ああいう手合いの輩はどこにでも居たが、直接というより間接的であった気がするし、視線を投げかけられるだけでも苦痛を伴う場合が多かった。

 だからこそ、ナルトの不躾の視線を不快と感じなかった自分に少々呆れながらも、何故だかナルトなのだから仕方がないと納得している自分もいたのである。

「う、うん、学校で直接というのは無かったけど……多い……かな」

 そんなヒナタの答えに何やら考え込んでしまったナルトを見ながら、先ほど己の内で巻き起こった疑問を今一度考えてみた。

 いつも恥ずかしくて視線すらかみ合わすことが出来ない己が、今は彼の視線を一心に受けている現実。そして、淀みなく言葉を紡げている事実に対して、そっと触れた自らの身体に彼の優しい熱はまだ残っていて、その熱が心までほぐしてくれたのかもしれないと思い至り、それもまた無意識の内に納得してしまった。

 赤くなっているだろう頬はどうにもなりそうにはないが、言葉だけでもちゃんと伝えることが出来るという事に、ヒナタは嬉しく感じて微笑む。

 知らずに火照った体に、冷たい廊下の無機質な感触が肌には気持ち良いと感じる。

 そんなヒナタの前で、ナルトはひとつの答えを見つけたような顔をしてニヤリと笑い彼女を見た。

 ヒナタは悪戯っ子のそのものの色を宿したナルトの瞳に、思わずドキリとする。

「勉強見てもらうと帰るの遅くなっちまうから、オレが家まで送って行ってやるってばよ」

「え?」

 考えもしなかった提案に、ヒナタはナルトをマジマジと見つめてしまう。

 一緒に帰れるという事に、息が詰まりそうなほどの幸せを感じるが、彼に負担をかけてしまうことに対して申し訳なさも募る。

 助けてくれただけでも奇跡のような出来事だと思えるのに、これ以上の事をしてくれるという提案はとても魅力的であることは素直に認められる。

 それ故に、罪悪感にも似た感情を募らせるのは、ヒナタという人物の特徴でもあった。

「だって、さっきみたいなヤツ多いんだろ?襲われたら大変だってばよ」

「で、でも……」

「オレがいたら、早々手は出せないってばよ。ギブ アンド テイクってヤツだ」

 もうそれしかねーと言うナルトは、頑として譲ろうとはしない。

 確かに彼が言うように、ナルトがいれば下手に男たちが寄ってくる事もないだろし、厭らしい視線にさらされることも減るとは思う。

 何より、ナルトを独占できる。

 彼女ではないのにソレを許されることに対し、僅かな罪悪感に苛まれながらも、『yes』以外の言葉は認めないとばかりに強い視線を投げかけてくるナルトを見て、観念したように頷いた。

「う……うん、じゃぁ……お願いします」

「オウっ!こっちもお願いするってばよ!」

 ナルトは勢い良く立ち上がり、ヒナタが立ち上がるのに手を貸しながら、左手首が赤く腫れているのを思い出し、チョイチョイと手招きして教室まで行くと、自分の席のスポーツバックからオレンジ色の厚手の布地に黒い太いラインが一本入った大き目のポーチを取り出した。

 それからナルトの席の向えに座るようヒナタを促すと、彼女の左手をとり、机の上に乗せる。

「サッカーやってると、結構怪我多いからさ、こういうの何気に持ってたりするんだ」

 大き目のポーチの口を開いて、湿布薬の袋を取り出し手でちぎって口を開くと、白い湿布薬を出し、ヒナタの左手首を見ながら大きさを測ると、ポーチの中からハサミと包帯とテープを取り出して並べ、手際よくカットしていく。

 熱を持った左手首に、ヒンヤリとした湿布薬があてられ、一度テープで止めてから、包帯を丁寧に巻かれた。

「あ、ありがとう……ナルトくん」

「一応、応急処置だからさ、痛みが酷いようだったら、病院行けよ?」

「う、うん」

 左手首を胸の前で反対の手で包み込み、はにかむように笑顔を見せたヒナタに、ナルトは多少照れながらも笑みを返した。







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