あの頃からきっと 15





『変化のない関係などないということだ』



 パックンに言われた言葉を思い出し、そうだよな……と胸中で呟いたナルトは拳を握り締める。

(今から、変えに行くんだ。オレは……オレとヒナタの関係を変えてやる。友達とか仲間じゃ、もう足りねェ……もっと深く、もっと大きなものなんだ)

 屋敷の最上階が見え、心臓がどくりと大きく脈打ったのを感じたナルトは、中の人に悟られないように気配を断ちゆっくりと窓に手をかけ開くと、こちらに背を向けて鏡を見つめているヒナタの姿が見えた。

 どこか物憂げに溜息をついているその姿。

 部屋の中で感じる、間違うことの出来ないヒナタの香り。

 揺れる蒼紫色の髪は艶やかで、部屋の明かりの中仄かに輝いて見える。

 声をかけなければと思っているのに言葉は出ず、腕が己の意思とは全く関係なく伸びてヒナタを抱きすくめていた。

「っ!!」

 驚き、腕の中で硬直する感触。

 それも構わずナルトは後ろから抱きすくめたカタチで首筋に顔を埋めれば、鼻腔いっぱいに甘い香りが広がり、ホッと安堵の溜息をついた。

 漸く己の腕の中に戻ってきた確かなぬくもりを感じ、やっと唇が音を紡ぐ。



「会いたかった」



 万感の思いの篭ったその言葉。

 微かに震えかすれた声、そして何よりもその声に篭った熱。

 それを感じてしまったのだろうか、ヒナタは微かに震えたあと、抱きしめているナルトの腕に手を添えて、小さく呟く。

「私もだよ……ナルトくん」

 その言葉を皮切りに、ヒナタの体を反転させて今度は正面から思い切り掻き抱けば、遠慮がちに背に回された腕が徐々に縋り付く様に力を篭められ、その思いの深さを知る。

「ナルトくんの……匂いだ……嬉しい……良かった……」

 まるで熱に浮かされるように紡がれる言葉は、ナルトの心臓を高鳴らせ、顔を見たくてソッと体を少し離せば、目にいっぱい涙を溜めたヒナタ。

 だが、その頬がいつもと違う赤みで腫れ、唇の端に滲む血を見てナルトは表情を険しくした。

「……ヒナタ……ソレ……」

 ソッと労わるように頬に触れれば、ヒナタは困ったように眉尻を下げてしまう。

「やっぱり……わかっちゃうよ……ね」

「当たり前だってばよ……痛むか?」

「平気だよ、これくらい」

 ふわりと笑って見せてはいるが、ナルトとしては沸々と怒りがこみ上げて来るばかりか、今から殴りこみに行きたい気分である。

 しかし、そんなことをしてもヒナタが喜ぶことは無い。

 だからこそ、堪えるし今現在の時間をそんな馬鹿げたことに費やしたくはなかった。

 懐からいつもヒナタがなくなった頃を見計らっていつも渡してくれる傷薬を出して、丁寧に指で塗りこむとピリッとした痛みを感じたのか、ぴくりとヒナタの体が反応を返す。

「どうして殴られた?」

「噂を確かめにきたの。その時に、ちょっと挑発したから……かな」

「……へ?ヒナタが挑発?」

「うん、私だって……お、怒ってるんだもん」

 少し唇を尖らせるその仕草を間近で見て、ナルトはプッと軽く噴出すと、赤みのある頬に優しい手つきで撫でながら目線を合わせる。

「な……ナルトく……ん?」

「ヒナタ、1つ教えてくれ」

 真っ赤になって見上げるヒナタの手を導いて、自らの左胸の上に置かせてから、ジッと見詰め合う。

 その真剣な瞳に目をそらせなくなったヒナタは、ゆっくりと息を吐いてからコクリと頷いた。

「お前がオレの傍にいねーと、苦しくて、悲しくて、切なくて、辛くて、どうしようもねーんだ……誰かのものになるなんて、そんなこと考えただけで気が狂いそうになる」

 目を見開き、その真意を問うようにナルトを見つめてくるヒナタ。

 その視線を受け止めながら、己の心の内を曝け出すと決意して言葉を紡ぐナルト。

 互いの間にある熱い吐息が、全てを物語っているのに気づかず、ただ言葉を待つ。

「オレは、ヒナタに心底惚れてる」

 ふるりと震えるヒナタの体。

 戦慄く唇。

 目にいっぱいたまった涙は、今にも零れ落ちそうで……

「でもさ、好きって気持ちじゃ……大好きだって気持ちじゃ、もう足らなくて……こんな自分で制御できねー気持ちなんて知らねーんだ。お前に会えば、全てわかるって思った。だけど、苦しさが一層募って……コレって何だ?オレ……知らねェ……こんな激しい感情……わかんねェよ」

 眉根を寄せて必死に知っている、理解している言葉を繋げて己の胸の内を曝け出せば、ヒナタの瞳から溢れる涙。

 その涙の意味がわからなくて、ただ止めたくて瞼に口付ける。

「好きだヒナタ……大好きだ……でも、足りねェ……もっと、もっと深くて大きくて……激しいもんなんだ」

「同じ……かな」

 不意に零れ落ちた言葉に、ナルトは不思議そうにヒナタを見れば、彼女は泣きながら微笑んでいた。

「これは嬉しいから泣いてるんだよ、ナルトくん」

「……嬉しい?」

「うん……きっと、同じ……私もそんな気持ちだから……もう、私も大好きじゃ足りないの……言うつもりなかった……ナルトくんと里のためを考えるなら、本当は諦めようって何度も……何度も思ったのにっ」

「そんな寂しいこと言うなよ、そんな哀しいこと言うなよ」

 見詰め合う二人の間の熱は変わらず、ただ己と同じだというのならば諦めて欲しくはないとナルトは感じた。

「でも、ナルトくんが凄く頑張ってくれたのを知って、私も……諦めつかなくなってしまいました。私……欲張り……だね。ナルトくんが、私を欲してくれているのかもって……そう思ったら……諦めきれなくなっちゃった」

 はにかむように笑うヒナタ。

 そんな笑顔を見たナルトは、自然と求めるようにヒナタを抱きしめる。

 腕の中にすっぽりと入ってしまうくらいの小さな体。

 大きくなってしまったのは自分なのだと感じずにはいられない。

「諦める必要なんかあるかよ。オレは、諦めねェ……どんなことがあっても、コレを捨てるつもりはねェよ。ヒナタを絶対に諦めたりしねーってばよ」

「うん、私も……ナルトくんを諦めない。ナルトくんを1人にしない……ずっと、ずっと傍にいさせてください」

「オレがお願いしてーくらいだ。ずっと傍にいてくれ、ずっと死ぬまで……いや、死んでも離れないでくれ」

「ナルトくんが望む限り……ずっといるよ」

「ばっか、オレが望まねーなんてこと、この先ありえるかっつーの」

 腕の中で目を閉じ、ナルトを感じていたヒナタの髪に、ナルトは軽く口付けを落としてから耳元に寄せる。

「な……ヒナタ、教えてくれよ。コレなんて気持ちだ……」

 苦しそうに呟くナルトに、ヒナタは嬉しさを滲ませながら首筋に抱きつくとナルトの耳元にそっと囁く。



「ナルトくん……愛してる」



 大げさなくらいビクリと体が震えたナルトは、驚き目を見開いたあと、その言葉がストンっと己の内に落ちていって、苦笑を浮かべた。

(母ちゃんに言われたのと、また違うのな……すっげー安心するけど、何だろうこの……熱い気持ちていうか、苦しいのに幸せなこの気分……それだけじゃねェ、何ていうか言葉にできねェこの感情の渦。……あと、これは……愛しいっていうのか?ヒナタを見てるとむず痒くって、幸せで、ほんわかして……あー、どうしていいのかわかんねェ)

 内心大混乱を起こしているナルトであるが、それでもとても幸せそうであった。

 そして、自然と漏れた熱い吐息。

「オレも……ヒナタを愛してる……オレのものになってくれってばよ、ヒナタ」

「はい、喜んで」

 淀みなく返された言葉に、ナルトはギュッと目を閉じると体の内側からあふれ出し器ごと壊されるんじゃないかと言うほどの幸福感に満たされ、思わず涙が溢れ出しそうになり、先ほどどうしてヒナタが泣いたのかわかった気がした。

「オレ、いますっげー幸せだ。オレ……愛することできたんだな」

「うん……ナルトくんは優しいから絶対に大丈夫だって思ってた。わ、私に……とは、お、思ってなかったんだけど……で、でも……いずれはきっと、誰かにって」

「お前以外あり得るかよ」

 すかさず言葉を返せば、ヒナタからくすくすと嬉しそうな笑い声が漏れ、ナルトはこの瞬間を絶対に忘れないと心に焼き付けた。

 人間生きているのだから、必ず死という別れが来る。

 でも、その時が来ても、きっと幸せだったと思え自信を持って言えるモノを己は手にしたのだと、ナルトは満足げに微笑んだ。

「両親の愛情も知らずに育ったオレだからさ、だから……人を愛することが出来るのか、正直不安だった。好きって気持ちは理解出来たけど、それだって境界線が曖昧でさ……何の好きかって言われたら、好きか嫌いかっていう意味合いでしかない時もあった」

 腕の中のヒナタを見下ろしながら、ナルトは腫れている頬を撫でてやり、少しでも腫れが引くよう願いながら口付けを落とすと、目線を合わせてニッと笑う。

「今は、ハッキリとわかるぜ。オレのこの想い……お前以外にはねーよ」

 優しい声で、あたたかい言葉で紡がれ、伝えられた愛情。

 漸く重なった二つの心は、これ以上とない結びつきを持って互いを求める。

 絡んだ指と指、手と手は握り合わされ、ナルトの体にしな垂れかかる様に体を預けたヒナタは、その逞しい腕に抱かれながら幸せを噛みしめて微笑む。

 反対にナルトは全てを預けるようなヒナタのその仕草に大きな自信と、絶対的な安堵感。そして、何よりも大きな愛情を感じて高鳴る胸を抑えるのに精一杯。

 いまだからわかることがある。

(カカシ先生やサスケの言った意味が、今ならわかるってばよ……)

 オレが甘かった……と、心底項垂れているナルトを知ってか知らずか、ヒナタは極上の笑みを持って甘えてくるのだ。

(か、可愛い……可愛すぎる……ど、どうしよう、オレ……マジで我慢できんのか!?)

 さすがに本当に夜這いになったらマズイだろうと、ナルトは理性をフル動員してヒナタを押し倒したい気持ちを抑え、だけど甘えさせてやりたい気持ちいっぱいで、やましい気持ちなんてないんだと、どこの誰に言い訳するともしれない言葉を内心呟きながらも、腰を抱く。

 いつもよりいささか積極的なヒナタは、ナルトには凶悪的に魅力的であり尚且つ美味しそうである。

 それだけ寂しかったという気持ちの表れと、あとは気持ちが通じた高揚感なのだろうと理解はできているが、本能は理解してるからといって考慮してくれるものではない。

(マテマテマテ!気持ちが通じたからすぐってのはどうよ、オレ!ダメダメ!こ、ここで手を出しちゃダメだってばよ!)

 自然と視線がヒナタの唇やら胸やらに行ってしまうのは、健全な男として仕方が無いのだけれど、場所が場所だけにダメだと押し留める。

「……ナルト……くん?」

 ナルトの微妙な変化に気づいたヒナタは、不思議そうにナルトを見上げると、小首を傾げて見せた。

 そんな仕草ですら煽っていると感じてしまうだけ、重症だと思いナルトは困惑したようにヒナタにソッと告げる。

「ヒナタ、可愛過ぎ」

「ふぇ!?」

 真っ赤になってオロオロしはじめるヒナタの様子をじっくり堪能しながら、己を追い詰めているんじゃないだろうかと時々不安になりながら、ナルトは漸く手に入れた幸せを噛みしめ、そしてこの幸福を手放すことが無いように今回ばかりは全力でやらせてもらうと心に誓うのだった。









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