39.煽情


 


 好きだといった、キスだってした、それこそ深く求めた……けれど、少しの不安があったのだ。

 果たして彼女は正常な状態だったのか?と……

 それはまるで水に一滴のインクをたらしたように波紋を生み広がり、透明な水を染めていくように不安が広がり黒く染まっていった。

 不安でならず、でももう手放したり出来ないのだともがき苦しんだ結果、どういう結末になろうとも最初に本当のヒナタを見た場所からやり直そうと思ったのだ。

 ダメだと言われても引き下がるつもりもないし、もしそうだというのならばここから追いかければ良いと腹を括って来たナルトである。

 そんなものは杞憂に終わってしまったが……だからこそ、この腕の中にあるヒナタの存在が嬉しくて嬉しくて仕方が無い。

「不安……だったの?」

 不意にくぐもった声が告げた言葉はナルトにクリーンヒットして、思わず呻くと、くすりと小さく笑った声が聞こえ、ここ数日本気で悩んでいたのに心外だとばかりに顔を覗き込めば、本当に綺麗な瞳で優しい愛しげな笑顔でナルトと視線を合わせたヒナタは緩やかな口調でこう告げた。

「私はきっと……ナルトくんを知った時から、ずっと好きなんだよ。だから……ナルトくんを嫌いになるなんてことないし、離れたいなんて思わないよ。それくらい、私はずっと……ナルトくんだけなんだよ?」

 目を見開きヒナタの言葉を聞きながらナルトはぐわんっと頭を殴られたような衝撃を受け、呆然とただ見つめるしか出来ずに熱がどんどん体を支配していくのがわかり、ごくりと喉を鳴らす。

 喉はカラカラに干上がり、言葉を出そうにも何かが引っかかったように出てこない。

 声すら出ない状況で、ヒナタは目を閉じソッとナルトの唇に触れるだけの口付けを送る。

「……これくらい……大好き」

 恥ずかしがり屋のヒナタが己から口付けするという行動をとったのも衝撃的なのに、その後の笑顔と来たら、ナルトの許容量を越える程に、甘やかで綺麗であった。

 この無垢で綺麗な少女が己のものになっていいのかと疑問すら浮かんでくる中、ただ本能は正直で、その口付けでは足らないとばかりに、噛み付くように唇を重ね合わせれば、もう慣れてしまったように唇の力を抜いて舌を迎え入れる口内を余すところ無く味わいつくし、これ以上したらマズイとばかりに一旦顔を離す。

 だが、瞬時に失敗したとナルトは後悔した。

 とろりと溶けてしまうんじゃないかというほど甘い吐息と瞳をしたヒナタを目の当たりにするハメになってしまったのである。

(オレの理性がマズイ……てか、もうダメ、ヤバイ……完全にマズイってばよっ!)

 息は上がり、心臓は壊れんばかりに早鐘を打ち、いまさっきしたばかりなのに、もう唇が欲しくなる。

 唾液で濡れて艶やかになった桃色の唇は、とても美味しそうで目の毒でしかない。

 くたりと体の力が抜けている肢体とて、凶悪的な魅力を放ち、己のものにしたくて仕方が無いのだ。

「ヒナタ……マズイって……これ以上はオレが我慢できねェ」

 耳元で囁けば、ピクンッと震える体。

 潤んだ瞳で見上げてくるヒナタは、ナルトの言葉に淡く微笑んでみせる。

 まるでこの先の行動を肯定するようなそんなヒナタの笑みに、ナルトは息を呑んだ。

(いい……のか?……いや、欲しい、すっげー欲しいけど……本当にいいのか?)

 本能に従うべきなのか、理性を奮い立たせるべきなのか迷い、ナルトはヒナタの瞳を覗き込み真意を探る。

 潤んだ瞳と、上気したピンク色の頬……瞳の奥に見えるのは、どこまでも慈しみに満ちた果てしない愛情と、かすかに灯る女の色香。

 ぞくりと背筋を駆け上がるモノを感じ、ゆっくりと顔を近づければ再び閉じられる瞼。

 己も瞳を閉じ、ただ重ねあわされた唇の感触を覚えこませるように食み、吸い上げ、角度を変えてもう一度……

 どちらともなく漏れた吐息は、熱くて、その熱が伝染したように体が火照る。

 熱くて熱くて仕方なく、脳が溶け出しそうだと感じながらも、ただ本能に従うようにヒナタを求めた。

 急に腕の中のヒナタの足がカクンッと折れ、力をなくした体が崩れ落ちそうになり、ナルトは慌てて体を支えると顔を覗き込む。

「大丈夫か」

「……はぁ……ふ……うん、だ、大丈夫……かな」

「そーは見えねーけどな」

 支えながらも少し気を抜けば崩れ落ちそうなヒナタの体を抱き上げ、ナルトは思案する。

 このまま送って帰ったほうがいいのはわかっているのだが……そうしたくはない。

 時間を見れば、いつもヒナタが帰宅する時間に近いだろう。

(でも……今日は離したくねェ……)

「ナルトくん……」

「ん?」

「……あ、あの……わ、私……そ、その……」

 何かを必死に告げようとして、顔を赤く染め、そしてまた口を開くヒナタの様子を見ながら、何を言わんとしているのかがわかった気がして、ナルトは意を決し言葉にする。

「オレの部屋に来るか」

 その一言がどういう意味かわからないほど子供でもない。

 しかし、自意識過剰なのでは……とか、勘違いでは……とか思い出したらしいヒナタの悩み具合に、ナルトはストレートに口にしないと無理かと苦笑を浮かべてヒナタを見つめながら言葉を紡ぐ。

「オレの言った意味わかってるかってばよ。そういう意味で言ったんだぜ?」

「そういう……意味……ほ、本当に?」

「ああ、ここで嘘つく神経なんて持ち合わせてねーよ。本気でヒナタが欲しいって思ったから誘ってんだ」

 ぽろりと零れ落ちる涙の真意はわからないが、ただこの涙を止めようと顎の先から舐め上げれば、くすぐったそうにヒナタが身を捩る。

 後から後から零れ落ちる涙を啜り、耳元で熱く囁く。

「勿論、断ってもいい。ヒナタの気持ちが固まるまで待っていられる。だから、焦らなくていいんだ……オレが欲しいのは体じゃねェ。お前の身も心も全部欲しいんだからさ」

 本心を言うなら断って欲しくない。

 だけど、こういう時の男と女は違うのだろうとナルトは感じていた。

 男はいい、だけど、女は一生の問題なのだろうと……

 特にはじめての相手となれば、生涯記憶に刻まれ続ける。

 恥ずかしがり屋のヒナタが、ナルトに全てを晒す勇気を持ち合わせるのには時間がかかるだろうと覚悟はしているつもりだ。

(ヒナタの勇気が溜まるまで……我慢我慢)

 本来、あまり我慢ということを得意としないナルトではあるが、ここはやはり問題が違い過ぎる。

 我慢しなくてはならないことだと認識し、何よりヒナタを傷つけたくない思いが強くて彼女の僅かな心の動きに気づけないでいた。

「……今日は、遅くなるって……伝えてあります……」

 ピクリとナルトはその言葉に反応すると、ヒナタを凝視する。

 震える唇から紡ぎ出された、か細い声。

 だが、しっかりとその内容をナルトに伝えることに成功したヒナタは、真っ赤になって俯き、それから再びきゅっと唇を結んでナルトを見つめると、ソッとナルトの耳元へと唇を寄せた。

「だ、だから……ナルトくんの……好きに……」

 して……と、最後まで言えずふさがれた唇に、眩暈を感じながら、ヒナタは必死にナルトに縋り付いた。

 貪るような余裕のないキスの後に、ナルトが熱い吐息のまま、瞳を見据え射すくめるような強い光でヒナタを見つめると、低くかすれた声で告げる。

「後悔すんなよ」

「し、しない……よ。だ、だって……約束した……もの」

 はにかんだように照れたように微笑みながらも、細かく震えるヒナタ。

 その細い肩の震えは、どれだけの勇気を持ってこれに応えたのだろうと思えば心がカッと熱くなる。

「もう、逃さねェ」

 獲物を捕らえた肉食獣の目。

 飢えた感覚を覚え、目の前の餌に食らいつくようなそんな心持で、ふわりと花のように馨しく、蝶のように軽やかな愛しい女を見て思う。

 捕らわれたのは、果たしてどちらなのだろう……

 そんな取りとめもないことを考えながら、ナルトは首筋に抱きつくヒナタを抱え破顔するのであった。






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