10.刻印




 翌朝、小鳥が鳴く声に導かれて意識を浮上させたナルトは、ゆっくりと身体を起こし、大きな欠伸をするとボンヤリする頭をふるりと振った。

 隣で眠っているヒナタの額に手をあてると、やはり昨日と変わらぬ、いや、それよりも少し高い体温を感じて柳眉を険しくする。

 汗で張り付いた髪を指でどけてやると、フッとヒナタの瞼が持ち上がり、虚ろな瞳でナルトを見る。

 寝ぼけているというより、高熱の為に、あまり状況を把握できてはいないというような状況だろう。

 ヒナタが完全に覚醒する前に、ナルトはゆっくりと身体を傾け、ヒナタに顔を寄せた。

「おはようだってばよ」

「……おは……よ……」

 小さく弱々しい声は、ナルトの不安を一層駆り立て、その不安を誤魔化すように唇を求める。

 どれだけ求めても、どれだけ重ねても、どれだけ貪っても、心の奥底から湧いてくる、まるでこびりつくような不安は拭えない。

 何かを求め、何かを確かめるように舌で探るナルトを受け入れているヒナタは、ナルトの不安を感じ取り彼の髪の中に指を差し入れ、珍しく情熱的にナルトを求める。

 互いの足りないものを補うような口付けに酔いしれ、どちらともなく漏れた熱く濡れた吐息は、早鐘を打つ心臓を責め苛んだ。

 口付けを終えたナルトは、もうクセになっているようにヒナタの足へ指を滑らせ、キズの上を撫でる。

 ぴくりと反応を返すヒナタを見ながら、それでもその指の動きを止める事もなく、するりと再び滑らせた。

「なる……と……くっ」

 切ない吐息をつくような声が鼓膜を震わせ、色香すら感じるヒナタを心配そうなナルトの視線が絡みつく。

 それが全て、不安の表れなのだとわかっているからこそ、彼が触れるという行為を好きにさせていたヒナタは、まるで体中に溜まる熱のようなものを吐き出せずに浅い呼吸を繰り返した。

「ヒナタ……」

 指ではわからない、包帯の上からではわかならいと、ナルトは苛立ちにも似た感情を抱えながら、唇を噛む。

 そう、その下、もっと下に何かが潜んでいるような気がして、それがヒナタをこんなにも憔悴させている気がして気持だけが急いた。

(ヒナタが苦しんでいるのに……何でなにもできねーんだよ……)

 ナルトはサクラに激怒され多分暫く復活できないだろう攻撃を食らうことを覚悟して、ソッと包帯に手をかけた。

「な、ナルトくんっ」

「すまねェ……確認させてくれ。痛い思いはさせねーから」

「で、でも……サクラちゃんに……」

「覚悟の上だってばよ。ヒナタが苦しんでいるの、もう見てらんねーんだっ」

 切なく眉を寄せ、唇を結ぶナルトの目は悲しみに揺れ、ヒナタはそんなナルトを抱きしめたくて腕を必死に伸ばす。

 それを見たナルトは、ゆっくりと身体を倒して、ヒナタの身体に己の身体を重ねるようにしてやると、ぎゅぅっと抱きつくヒナタに微笑を浮かべる。

「ヒナタ……ごめんな」

「ううん……ナルトくんの好きにして。私は、アナタのものだから」

 どくりと心臓が1つ大きく打つのを感じ、ナルトは目を見開くとヒナタの顔を凝視した。

 薄い色素の瞳は、優しい色を湛え、どこまでも愛しげにナルトを見ている。

 切ないくらい、胸いっぱいに愛しさが溢れる。

 そんな思いのまま、ナルトは再び、今度は軽く口付けると目で合図を送った。

 二人して頷きあい、ヒナタはナルトを解放し、ナルトのほうはヒナタの身体から少し離れ足元へとずれると、白い包帯をゆっくりと解いていく。

 白い包帯がするりするりと床に落ちていくのを見ながら、ナルトはその奥に潜む何かを威嚇するかのように厳しい目つきで睨み付けた。

 包帯が全て落ち、念のためあてられていたガーゼを取ると、ヒナタの白かった肌は赤黒く変色し、何かの文字のような痣が浮かび上がっている。

(何だよ、この痣……いや、文字かっ!?)

 ソッと指を滑らせれば、それはナルトを拒絶するかのように僅かに薄まる。

 ヒナタを苛むモノの原因がわかった気がして、ナルトはギリッと奥歯を噛み締めた。

 愛しい彼女を苦しめる、誰かの刻印。

(許さねェ……オレの女をテメーのもんみてーに扱いやがって)

 溢れ出る殺気にヒナタが驚き目を丸くしてナルトを見ると、ナルトはそれを感じて幾分気配を和らげ愛しい女を見た。

「ヒナタ、お前を苦しめてるのはこの刻印みてーだ……つけた奴……どんなヤローだ」

 低い声は感情を抑え、腹の底からの怒りを感じさせる噴火前の活火山。流れるマグマのような、そんな印象を与えながらも、ナルトはヒナタに尋ねる。

「……右目下に、赤黒い模様のある……赤髪と黒い目の男の人……背格好はサスケくんとサイくんを足して割ったみたいな人かな」

「いけ好かねェ感じだな」

 露骨に嫌そうな顔をしたナルトに対し、ヒナタは苦笑を禁じえず知らず知らずに滑ったナルトの指の感触に思わず吐息が漏れた。

「オレのヒナタだってのに、勝手にこんなもん刻みやがって……」

「姫様を狙っていたんだもの……私狙いじゃない気がする」

「違う奴につけたなら解呪すりゃいいだろ。でも、ソイツはしなかった……お前が気に入ったんだ」

 氷雪の国の姫を思い出し心配しているヒナタの顔を見ながら、ナルトは眉間に皺を寄せて吐き捨てるように言う。

 ヒナタの無警戒さに呆れたのではなく、その男が何を思ってヒナタにターゲットを変えたのかという意図が見えた気がしたからであった。

 月光の下で栄える肌。

 豊満な胸。

 柔らかそうでいて、しなやかな肢体。

 何よりも馨しい、この肌理の細かい肌艶。

 色素の薄い瞳は神秘的でいて、熱く潤ませ己の色で染めたいと思うだろう。

 綺麗な声が艶を帯びれば、この上ない音色として鼓膜を響かせるに違いない。

 己の腕の中でしなやかに揺れる肢体は、想像するだけで熱い吐息が漏れた。

 それをナルトの目の届かない場所で誰かが想い、それを実行しようとしたということへ対する怒り。

 憎悪にも似たその感情に、ナルトは戸惑いながらも、ヒナタを失いたくない思いが強まる。

(誰にも触れさせねェ、オレだけのヒナタだ。オレの女を奪おうとした事、絶対に見つけ出して後悔させてやる……)

 ナルトがこんな物騒な事を考えているとは露知らず、ヒナタは目を瞬かせてナルトを見つめ呟く。

「わ、私……を?」

「こんな綺麗なんだ、欲しいって思うってばよ」

「ひゃっ」

 驚き目を丸くしていたヒナタに対し、ナルトはうっとりとヒナタの足を持ち上げ、口付けると同時にヒナタの口から小さな声が漏れた。

 唇に触れた肌の肌理の細かさと、甘い香り。

 鼓膜を震わせる、甘く柔らかな音色。

 身体の奥から燃えるような、言いようのない熱を押さえ込みながら、思わず熱い息が吐き出された。

「は……なんか、こーいうのたまんねーな」

「え?」

「ヒナタの全部が欲しくなるってばよ」

 たっぷりと男の色気を感じさせるナルトの艶のある声に、ヒナタは戸惑う。

 射すくめるような、獲物を虎視眈々と狙うような、そんな危険を孕んだ瞳。

 だけど、ナルトが己を傷つける事をしないと理解しているヒナタは小さく彼の名を呼んだ。

「……な、ナルトくん……」

 頬を赤くしつつも、切なさを滲ませた表情。

 未熟な色香、だけどその破壊力は絶大で、ナルトは意識がクラリと邪な方向へと持っていかれそうになりながらも、ギリギリで踏ん張る。

「ヒナタはオレのものなのに……勝手に印つけたヤローを許しはしねェ……絶対にぶっ飛ばす」

 決意に満ちたナルトの顔を見つめながら、ヒナタは恥かしそうに微笑む。

 オレのものだと言ってくれるナルト。

 瞳にある熱。

 足の傷の上を這う指と視線。

 肌を撫でる手は情熱的で、男を感じさせる。

 うずまきナルトという、天真爛漫な少年ではなく、独占欲をむき出しにした男である、彼。

「ナルトくんに全部捧げるならいい……でも、他の誰かは嫌……」

 小さく、知らず知らずのうちに零れ落ちた言の葉は、しっかりとナルトの耳に届いていて、目を伏せ小さな溜息をつくヒナタを信じられない者でも見るような目で見てから、震える声を紡ぎ出す。

「ヒナタ……それ……本気だってば?」

「え?」

 キョトンと返された表情を見れば、先ほどの言葉は幻聴だったのだろうかと、ナルトは我が耳を疑うが、ソレにしては熱い吐息すら生々しい彼女の色香を含んだ声は、ナルトの想像を遥かに飛び越える程の女を感じさせたのだ。

「オレになら……全部捧げるって……他の誰かは嫌だって」

「え……あっ……えっ、わ、私、こ、言葉に、してたのっ?」

 慌てたヒナタはナルトの掴んでいる足を引き抜こうとしたが、ナルトが反射的にそれを押し止め、浴衣の裾が派手に捲れ上がり、ヒナタは慌てて手の届く範囲で裾を押さえた。

 言葉にならない短く小さな悲鳴を上げて、涙目のままナルトを見つめると、彼はごくりと喉を鳴らしヒナタを見つめる。

「ああ、言葉にしてた……本気か?……オレなんかに全部やっちまっていいの?」

「な、ナルトくんは……だ、大好きな人だもん……い、いつか……結ばれたいって……お、思う……そ、それに、『オレなんか』じゃない……ナルトくんだからだもの」

 ナルトらしくなく、自分を卑下する言い方に、ヒナタは強い口調で否定し、それから思いのままに彼に告げる。

 愛する男に全てを捧げることは、女の願いなのだと。

「ヒナタ……ありがとう」

 心に溢れんばかりの想いは言葉にならず、ナルトはヒナタの脇に手をつき身体をずらすと、細い肢体に圧し掛かって間近で見詰め合う。

 ゆるりと目を閉じたヒナタに、ナルトは言葉にならぬ熱い思いを少しでも伝えたくて、いつもより激しくヒナタを求めるように、唇を重ね、それから舌を差し入れ、口内に隠れるヒナタの舌を探し出して絡めとる。

 息苦しさを感じながらも、その情熱的で、何よりも雄弁に愛を語るナルトに、ヒナタは身体を苛む熱をも忘れ、ナルトに酔いしれるのであった。





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