氷炎、湖面に浮く。 | ナノ


部屋のドアノブを握ったまま、バクバクとひどく脈打つ心臓を落ち着かせようと何度も深く呼吸をする。彼女にまた、怖がられたらどうしよう、拒絶されたらどうしよう、という不安が頭の中で回っていた。
ドアノブをギュッと強く握った。先ほど決心したではないか。ここで立ち止まっていては馬鹿な臆病者にしかならないと。彼女に拒絶されても、それが運命だ。

ガチャ、という音を立てて扉は開いた。
背を丸めて膝に顔を埋めている彼女の姿が見えた。
震える背中を見て少し胸が痛む。まだ、泣いているのだろうか。
扉の音に彼女の肩は面白いくらい跳ね上がった。ぐしぐしと強引に袖で顔を拭うと、彼女はゆっくりと振り向いた。
無理やり作った笑顔は、自分と目が合ったと同時に驚きの表情に変わった。

「…………○○、ちゃ」

彼女の名前を呼ぼうとした時、彼女は勢いよく自分に抱きついた。
彼女の被っていた帽子が静かに地面に落ちる。
ぎゅう、と首に巻き付いた腕とすぐ横にある彼女の顔に動揺を隠せなかった。

「え………あ……○○…ちゃん、どうして、」

「アラくん、アラくんっ…ごめんね、ほんとうに、ごめんね…!」

「な…んで、○○ちゃんが、謝りはるん……謝らなあかんのは、わてのほうどす…
○○ちゃんにひどいことしてもうたさかい、すんまへん…ほんまに、すんまへんどした…」

彼女の背中に腕を回しながら謝罪を告げると、彼女はふるふると首を横に振った。そしてまた力強く自分を抱きしめた。
彼女の涙で肩が濡れていくのがわかった。先程から随分と泣いているはずなのに、彼女の涙は底無しのようだ。

「もう…アラくんがっ帰ってこなかったらどうしようって……アラくんが…一緒に居てくれなくなったらっ…どうしようって…!」

顔を自分の肩に埋めながら彼女はそう続けた。じわじわと、胸の辺が暖かいもので埋め尽くされていくのがわかる。
彼女の頭を優しく撫でてやると、また少し抱きしめられる力が強くなった。
気づいたら2人は抱き合いながら座り込んでいた。

「私ね…アラくんがしあわせならそれでいいって、っアラくんのっ足枷を外してあげれるなら、自分はどうなってもいいって、思ってた…
でも、やっぱりヤダよぉ…アラくんといっしょにいられないなんて、私、たえられないよぉ…!」

まるで子どものように泣きじゃくる彼女の背中を、あやすようにポンポンと撫でてあげる。あの時とは、立場が全く逆のようだった。
彼女の言葉ひとつひとつが、さっきまで感じでした不安や、胸の痛みを安らぎに変えているように思えた。自分は、思っているより彼女に毒されているようだ。

「…わてかて、○○ちゃんと離ればなれになるんは、死ぬよりつろうおます…
たとえ巨万の富を得ようとも、世界を手中におさめても、○○ちゃんがおらん人生に、意味なんかあらしまへん…
わては、絶対○○ちゃんをすてたりしまへん、何があっても傍におるさかい…せやから…もう泣かんといておくれやす…」

彼女を抱きしめている腕が震えているのがわかる。こくこくと何度も頷く彼女とは裏腹に涙はいっこうに止まる気配を見せない。
彼女が泣き止むまで、抱きしめている腕の力を緩めることはなかった。


泣き疲れたのだろう。彼女は腕を自分の首に巻き付かせながら、肩を枕にすやすやと眠っている。頭を撫でながら、彼女への衝撃をできるだけ最小限に抑えつつゆっくりと仰向けになる。
彼女は泣いている時、本当に小さい声で、すてないで、と呟いた。
彼女は恐れているのだ、もう一度誰かにすてられることを。
いつもどこか余裕を持って自分に接する彼女が、こんなにも弱々しく見えたのは、彼女が心の中ですてられる恐怖に怯えていたからでだろう。ギュッと頭を抱えてもう一度強く抱きしめる。
彼女の心の隙間を、少しでも自分が埋めてあげれたらいい、と思いながら、首を後ろに傾け、扉の方に声をかけた。

「あんさんら、いつまで見とるつもりなん?」

すると扉の向こうからすごすごと申し訳なさそうな顔で3人。シンタローとアホ2人が顔を出した。

「あ、いやー…これはだな…」

「お、オラたちは○○が心配で見に来ただけだべ?そすたら、なんつーか…」

「そ、そうそう!下心があって覗いとったわけじゃないっちゃよ?断じて!」

「・・・まあ、なんでもええどすけど」

ため息を吐いたと同時に、肩に埋まっていた頭がぴくりと小さく動いた。そしてうめき声をあげながら彼女はゆっくりと顔を上げた。

「う…あれ…アラ、くん?」

「おはようござんす、○○ちゃん」

「ん…えへへ、アラくんだぁ……」

彼女はまだ寝ぼけているのか、自分の首元にすりすりと頬を甘えるようにすりつけた。そんな彼女に3人は見てはいけないものを見てしまったように目を逸らす。

「あー…○○ちゃん」

「んー?どうした……の…」

ぴっと後ろに指を指す。そこには少し顔を赤くしながら決してこちらと目を合わさんとするようにキョロキョロと視線を左右させる輩どもが。彼女もそれの存在に気づいたらしく、体を硬直させた。

「…………え……い…いやああぁッツ!!?なな、なん、なんで!?なんでいるの!?あっ帽子!あのっこれは違うの!決してそういうわけじゃなくて、そのっあっ…ご、ごめんなさああぁい!!」

自分から勢いよく離れると、少し遠くにあった帽子を急いでかぶる。髪の毛を入れるのをすっかり忘れている。
帽子を極限まで深くかぶり学校中に響くのではないかと思うくらい大きな声を出す彼女に自分たちは目を点にした。

「お、落ち着けよ○○!見てたことは謝るけどひとまずおちつ」

「みっ見てた!?見てたって!?いいいつからッ!!」

「え、あー……○○が、アラシヤマに、その、抱きつくところから、」

「ほとんど最初からじゃない!!うわああん!もうお嫁に行けないーッツ!」

「ああっ○○ちゃん泣かんといておくれやすぅー!あんさんら血も涙もあらしまへんな!この人でなし!あほんだらー!」

「それ、今のきさんに宇宙一言われとおない言葉だっちゃ」

能天気忍者はんの呟いた言葉に2人はうんうんと頷く。こいつら、後で絶対燃やす。とにかく今は、また泣き始めてしまった彼女を慰めるのが先である。


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