- ナノ -

ご褒美



「翼さぁーん!」
 息を切らして駆け抜けた廊下の先に、私はその人の背中を見つけた。呼びながらムギュッと抱きつくと、彼は大きなため息をつき振り返った。私の視界のやや上にあるお顔は、今日も今日とて美人である。表情はかなり険しく、眉も吊り上がっているけれど。
「…名前…。朝からなんでそんなに騒々しいんだよ、もっと普通に登場できねーのか。ってか、苦しい。暑い。邪魔、離れろ」
「翼さん、おはよう!探したんだよっ!校門のトコで待ってたのに、見つけられなくて」
「オマエ、俺の話聞いてるか?」
「でも教室入る前に会えて良かったあ」
「…聞いてねぇな。つくづく、嫌味が1ミリも通じない奴だな…おい、いい加減離れろって!ったくオマエはさぁ、人の目とか気にならないワケ?登校時間の、廊下のど真ん中だぞ、ここは!」
「翼さんっ、東京都選抜入りおめでとう!」
眉を吊り上げていた翼さんが、私の言葉に瞳をぱちぱちとさせた。そして、ふっと表情を和らげた。
私も私で、改めて言葉にするとすごく嬉しくて、翼さんを抱きしめる腕にいっそう力を込めた。これをいちばんに言いたくて、探してたんだから。
「ま、当然でしょ。俺を採らないで一体誰が受かるんだよ」
「うん、私もそう思う。翼さんがいちばんだった」
玲監督のお使いで選抜選考の会場に行った日。私が目にしたのは練習のほんの一部だったけれど、それでも翼さんだけ輝いて見えた。サッカーが上手な人も、身体の大きい人も沢山いたけど、翼さんは特別に光ってた。翼さんがいちばん、かっこよかった。
「翼さんが選ばれるのって当たり前かもしれないけど、それでもおめでとう。都選抜なんてすごいよ!すごい翼さんが認められたのも嬉しい!翼さんがますます広い世界でサッカーができるの、私すごく嬉しい」
すごいと嬉しいしか言えていない私の下手くそな言葉に、翼さんは頬を赤く染めた。急に口数が減り、サンキュ、とだけ言って私の頭を撫でてくれた。人の目がどーとか言ってたのは自分のくせして、これは良いの?さっきまでよりよっぽど、注目浴びてるとおもうけど。

「それでね。私、翼さんにお祝いをしようと思って!」
「お祝い?へぇ、オマエも随分と気が利くようになったじゃん」
私の髪を撫でながら、やさしい瞳で言う。たぶん、良くて妹か、そうじゃなかったら犬かなにかだと思われてるんだろう。

「はい!これ、プレゼントでーす!」
じゃーん!と言いながら私が制服のポケットから取り出したのは、画用紙を切って手作りした「おいわい券」という1枚のチケット。
表情が固まった翼さんは、これは一体、と言いたげだ。
「”おいわい券”です!」
「…いらねー…」
期待した俺がバカだった。そう言って呆れた様子でスタスタと教室へ向かって歩き出してしまう。
「このチケットの説明をするね!」
「何、メゲずに追いかけてきて説明してんだよ。いらないって言ってるだろ。そんなもん大体の想像はつくし」
「このチケットを使うと、私は何でもひとつ翼さんの願いを叶えます!」
「別にお前ごときに叶えてほしい事なんて無ぇよ…」
「お祝いしたくて、お花とか物とか色々考えたんだけどね、翼さんに決めてもらうのが1番いいかもって」
「話聞け、バカ!」

教室のすこし手前で翼さんは立ち止まり、いらねぇって言ってるだろ、と言いながら眉を寄せて”おいわい券”を見つめた。

「ったく…何が”おいわい券”だよ、お米券じゃあるまいし。流石、バカの考える事は想像の斜め上だよな」
「ほんと?嬉しい」
「褒めてねーよ!」

胸を張って私がかざした”おいわい券”を、翼さんは人差し指と中指で挟み取った。そして、ふうん、とチケットをしげしげと眺めて口を開いた。

「ま、せっかくだし、使ってやるか。名前が無い頭使って考えたワケだしな」
「うん!何でも言ってよ!なんてったって、おいわいだからね!」
「何でも….ね。じゃ、今度の祝日、部活もオフだし、12時に駅前のショッピングモールに集合」
「え…う、うん。ああそっか、そこで一緒に翼さんのお祝いを選んで、私がプレゼントするってことか」
「いいや。ただ二人で色んな店みて、ブラつこーぜ」
「へ….?それが、おいわい?あの、翼さん。休日に翼さんとウィンドウショッピングなんて、そんなの私の方が嬉しいっていうか。むしろ私へのご褒美みたいなのですが…」
「なんだよ、文句あんの?このチケット、”何でも”叶えるんじゃなかったのかよ?」

息抜きに付き合え、ってことだろうか。いくら翼さんといっても、選抜選考はお疲れだと思うし、この先も忙しい日が続くだろうし。
そう思って迎えた当日、翼さんはほんとに私とショッピングモールを歩くだけ歩いた。翼さんと一緒にジェラートを食べて、翼さんの好きなお洋服屋さんを見たり、私に似合う服を見立ててくれた。
あの夢のように幸せだった一日は、ほんとにただの私へのご褒美みたいだったと思う。私はお出かけの目的も途中からすっかり忘れて楽しんでたけど、夕方も近づいてきた頃に入ったアクセサリー屋さんで翼さんが私にネックレスを買うと言った時には流石にハッとした。なんだかおかしい。だってこれは、翼さんのお祝いなのに。だけど、「何でも言う事きくんだろ?」ってチケットを目の前に出された。
あれじゃホントに、むしろ私へのご褒美だった。
しかし翼さんが買ってくれたネックレスは超超かわいくて、お家に帰ってからもしばらくは眺めたり飾ったりした。私は毎日つけることにした。そんな私を見るたび、翼さんが嬉しそうに目を細める。
“おいわい”の目的が、相手に喜んでもらう事なんだとしたら、これは成功ってこと?
翼さんは頭がよすぎて、私は時々わからなくなる。