影山 飛雄
- ナノ -


岩泉先輩


 下校時間の青葉城西高校は沢山の生徒で溢れていて、私はその流れに逆らって廊下を歩いていた。足取りは酷く重い。はあ、と溜め息を吐いて、手の平をぎゅっと握る。この右手が憎い。体育祭実行委員なんて押し付けられちゃったのは、じゃんけんに負けたからだ。
各クラスから一人ずつ選ばれる委員の仕事がそんなに嫌な訳じゃない。ただ、準備のために学校に来なくてはならない期間と、楽しみにしてたバレー部の試合の日程が、重なっているんだもの。
観戦に行けるのをずっと楽しみにしていた。男子バレー部には幼馴染がいる。そして楽しみにしている理由はそれだけじゃなくて、実は最近、気になっている先輩がいるのだ。

 はあ。もう一度、深いため息を吐く。
第一回目の会議があるという教室の扉を、のろのろと開ける。各クラスから一人ずつ押し付けられたーーー否、選ばれた生徒が疎らに座席に着いていた。まだ全員は揃っていないのだろうか。
どこに座ろうかなーーーと、考えていたその時。背後から声をかけられた。

「入らねーの?」

心臓が大きく跳ねる。その声の主を私は振り返らなくても分かった。

「い、岩泉…先輩」

振り返るとそこには、バレー部の岩泉先輩がいた。幼馴染の応援で観戦へ行っていたはずが、私はいつしかこの人ばかり目で追ってしまっている、その人だった。初対面なのに咄嗟に名前で呼んでしまった私を不思議に思ったのか、先輩はじっと見下ろしながら「おお」と短く返した。
いつも遠くから見るばかりで、会話なんて勿論初めてだ。近くで見ると、背が高い。身体、おっきい。…かっこいい。すごい、どうしよう、本物の岩泉先輩だ。

「…中、入ねーの?委員なんだろ?」

脳内でパニックを起こして硬直している私を横目に、先輩は教室の中へ進む。私も慌てて後を追うように歩いた。
まさか、まさか、こんな日が来るなんて。いつか話ができたらとは思ってた。でも見てるだけでも幸せで、ずっとこのままでもいいかなって思ってた。姿を見れるだけで嬉しくて、小さな事に一喜一憂して、想像だけがどんどん膨らむ片想いの幸せに、私は浸っていた。だから、心の準備なんか出来ているはずがなかった。

 座席に指定は無いようだった。岩泉先輩は一番後ろの席の椅子を引いて腰を下ろす。私も後を着いて来たけれど、どこに座ったら良いものか…困っていると、見かねた様子の先輩がまた声をかけてくれた。

「座らねぇのかよ」
「あ、は、ハイ」

先輩が自分の隣の席を顎で指した。ここに座って良いという事だろうか。どきどきしながら腰を下ろしたけど、そうだともダメだとも言われなかった。でもきっと、良いってことなんだとなんとなく思った。バレー部の試合を見ていたらわかる。岩泉先輩はすごく面倒見の良い人だ。試合中は鋭い目つきな事も多くて、最初は怖い人なのかと思っていたけど、チームメイトの些細な変化に気付いて気にかける様子がよく見られた。そしてプレーでも鼓舞できる人なんだって知った。そういうところが、いいなと思った。
 時間になっても会議はなかなか始まらなかった。どうやら担当の先生がまだ来ないらしい。
委員になって良かった、まさか岩泉先輩と一緒だったなんて。じゃんけんに負けたこの右手を愛しく思う程だった。…ん?待てよ。そういえばこの委員の日程と、バレー部の試合って、被っていたんじゃなかった?

「…どうかしたか?」

気になるけど、聞いて良いものだろうか。そんな私の視線に気付いた岩泉先輩が、そう声をかけてくれた。
岩泉先輩って…なんか、すごいかも?私が迷っていたり困っていたりすると、先回りして声をかけてくれる。
私が顔に出やすいタイプだから?ううん、きっとそれだけじゃない。それはぶっきらぼうな言葉でも、この彼の面倒見の良さが滲み出てる。
優しいんだろうな。そう思うと、胸があたたかくなった。

「ええと…先輩も、体育祭の委員なんですよね?」
「いや。ウチのクラスの委員が今日、風邪で休んでるから。俺はその代わりだ。部活もオフだったから」
「なるほど!それは、ラッキーでしたね」
「ラッキー…俺が?」
「いえ!私です」
「はあ?」
「だって岩泉先輩とお話ができるなんて」

はあ?と、先輩がもう一度聞き返す。私の馬鹿!つい心の声が…。
取り繕う程に墓穴を掘って話が右往左往する私を、先輩はしばらくぽかんと見つめて、そして笑ってくれた。
その笑顔に、胸がぎゅっとなる。

「…かっこいい、ですよね」
「は、はあ?」
ーーーやばい、また心の声が出てしまった。顔に熱が集まる。つられてなのか、先輩の頬も心なしか赤い。私は慌てて話題を変えようと試みる。変な子だと思われてるだろうか。せっかく憧れの先輩と話せているのだから、もっと実りあるお話がしたい。こんなチャンスはもう二度と無いかもしれないのだから。
「えっとえっと、バレー部はもうすぐ試合ですよね」
「…はあ…」
「私、じゃんけんで負けてこの委員になっちゃったので、試合を見に行けないのがすごく残念で」
「お前、試合よく来てるもんな」
先輩が、すこし照れ臭そうに言った。
「え!覚えててくれたんですか?」
「おお、珍しいから覚えてた。応援に来る女子はバレーじゃなくて及川を見に来てる感じだろ。けどお前は、バレーを見てんだなと思って」
「はい!見てたらバレーが好きになりました。それと、及川先輩も確かにかっこいいですけど…私は岩泉先輩のプレーとか、強いのに優しいんだろうなって伝わるところとか、見た目も全部本当にかっこよくて…!」

先輩にまさか覚えていてもらえているとは思わなかったから嬉しくて、言葉に熱がこもる。
だけど、隣の席の先輩から返答は無く、そこで気付いてハッとした。
ヤバイ!暴走したかも。まさか憧れの岩泉先輩と話せると思わなくて、舞い上がってしまった…。
慌てて自分の口を抑える。おそるおそる、岩泉先輩を見つめる。先輩は、頬杖をついていたはずの片手でそのまま頭を抱えていた。その大きな手のひらの下から、小さく舌打ちが聞こえる。…どうしよう、完全にドン引きさせちゃったんじゃないだろうか。あれ?でも、耳が赤く染まっているのが見える。
岩泉先輩のこと、試合中はずっと見ていたのに、こんな表情は初めてで…私の胸はまた、ぎゅうと苦しく詰まる。

「…調子狂うわ。お前といると」
やっぱり怒られせてしまったのかな。しゅんとして俯いていると、教室前方の扉から先生が慌しく入って来た。なんてタイミングだ…、せめてもうすこし時間が残されていたら、言い訳だって出来たかもしれないのに。

「先輩っ、あの…」

なんとか取り繕おうと声をかける。黒板の前では先生が、各役員を決める旨の板書をはじめていた。岩泉先輩は、目線を黒板に向けて前を向いたまま、私に言った。

「委員会、マジメに参加しとけよ」
…やっぱり、怒らせてしまったんだ…。悲しくなって、私も黒板に目線を移す。すると、先輩が言葉を続けた。

「そしたら1日くらいサボってバレー部の試合見に来ても、許されっかもな」

…え?それって…。

「また、観に行っても良いって事ですか、先輩?」

うれしくて、思わず泣きそうになりながら聞いた私。
答える代わりに、岩泉先輩は太陽みたいに笑った。






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