影山 飛雄
- ナノ -


いつの日か



季節がひとつめぐって、夏が来た。
授業が終わったら走り出したいくらい、はやく部活に行きたい俺なのに、クラスの掃除当番で最悪。その上ジャンケンにも負けて、ゴミ捨てまでしなきゃいけない事になった。
はやくバレーしたいのに。あっついのに。まじでナイよなぁ。
捨て終わった空のゴミ箱を持って、廊下を足早に進む。



「オレと、付き合ってください」


ーーーえ?

通りすがった空き教室から聞こえてきた、やけに真剣なその声に、俺は思わず足を止める。
開けっぱなしの扉から見える、教室の中。そこに、なんと名前さんの姿があるじゃないか。
ドキン。胸が鳴る。
誰もいない教室。名前さんと向き合うのは、見たことのない男子だ。2年生だろうか。


「同じクラスになった事は無いけど、ずっと好きだったんだ。可愛いなって思ってた」
男子の言葉に、名前さんが怯むのが横顔だけでも分かった。
「でも、私はあなたの事なにも知らないし、えっと…」
「だからさ、お互いの事知るためにも、付き合ってみない?」

ーーーえ?えっと。
つきあう?って、コイビトになるって事?
もしかして、これって恋の告白ってヤツ?

嘘。嫌だ。
名前さんが、うんって言ったら、名前さんはあの人のコイビトになるの?


だけど俺のそんな心配は無用で、名前さんはすぐに「ごめんなさい」って断った。でも男の方は引かない。ああだこうだと提案を続けて、仕舞いには彼女の腕を掴んだ。
カッと、俺の頭に血が昇った。


「ーーー名前さんから、離れろッ」


突然教室に飛び込んで、二人の間に割って入った俺に、男だけじゃなくて名前さんも瞳を丸くしている。

「えっ…か、影山くん!?」
「なんだ、このチビ」
「離れろよ、嫌がってるだろ!」

彼女を庇うように両手を大きく広げて、男に立ち向かう。持ってたゴミ箱が、カタンと音を挙げて床に投げ出された。

男が俺をキツく睨みつける。…もしかして、殴られる?
衝動で飛び出しちゃったけど、ヤバイかも。
気温のせいかジットリと、背中に汗がつたう。

だけど男は、舌打ちをしただけで、何も言わずに教室を出て行った。


「影山くん!」


男の背中が廊下に消えると、名前さんの切羽詰まった声が聞こえて。振り返ると、今にも泣き出しそうだ。

「何してるのよ、もう!」
「…っ、さーせん…けど、名前さん、困ってるみたく見えたから…」
「だからって…」

はああ、と大きくため息をついて、名前さんがへなへなと床に座り込んだ。俺も慌てて床に膝をつき、彼女の肩に触れる。

「だ、大丈夫ですか」
「…大丈夫。ごめん…怒鳴って。断るのって結構しんどいから…影山くんが来てくれて、ほんとはありがたかったよ。…助けてくれたんだよね?」
肩が震えてる。
いつもは見上げることの多い名前さんに、潤んだ瞳でそんなふうに言われると、胸がぎゅーって痛んだ。
俺は頷くのがやっとで、コクコクと首を縦に振る。そんな俺をみて、名前さんが、俺を抱きしめた。


「えっ、ちょ…名前さん!?」
「もう…こわかったでしょ。本当、ありがとね」

名前さんの胸の中で、俺の心臓は爆発しそうに高鳴る。視界には、いつも遠くから眺めてた名前さんの制服があって。俺の頬が触れている場所はふわふわで柔らかくて、多分これって、名前さんの …。

「でも、やっぱり危ないよ」

困ったように笑って名前さんはそう言い、最後にもう強く抱いた。むぎゅ、と柔らかな何かが俺の頬っぺたを押し返す。


身体を離すと名前さんは
「さっきの人ね、同じ学年なんだけど、話した事は無くてね。それなのに付き合おうって、どうなんだろう。最近、こういう事がたまにあって」
と、眉を下げた。

…そうなのか。名前さんにとっては、初めての事じゃないんだ。じゃあ、俺が飛び出さなくたって解決できたんじゃ…?
告白の現場なんて初めて見た俺は、一大事だと思ってしまったけど…。
 なんだか猛烈に、自分の行動が恥ずかしくなってくる。

「助けてくれて、ありがとう。影山くん、ナイトみたいだった」
俺の気持ちを知ってか知らずか、名前さんがそう言ってくれて、すこし救われる。
「助けたかったのもあるけど、それだけじゃなくて…」
「え?」
「なんか、焦ったっていうか…」
「…えっと、どういう事?」
「わかんないっす」


名前さんがあの人のコイビトになっちゃうかもって思ったら、なんかすごく嫌だった。
でもほんとに、それが何でか分からない。

告白とか、付き合うとかって、さすが中学校だよなぁ。
もしかして名前さんだって、すでに誰かと付き合ってるのかもしれない。
及川さんかも。
そうだ、だって皆お似合いって言ってるし。


「名前さんって、及川さんと付き合ってるんスか?」

そう思ったら何故か、思わず聞いてしまった。
どうして俺はこんなに、この人の事が気になるんだろう。

「えーっ、影山くんまでそんなコト言うの?」
「俺まで、って?」
「みんなに聞かれるの。でも、違うからね!トオルちゃ・・・及川サンは、ただの幼馴染」
「じゃあ、岩泉さんは?」
「ふふ。岩泉サンも、幼馴染だよ。どうしたの影山くん、そんな急に・・・。もしかして意外とコイバナとか好きなタイプー?」


どうして?−−−俺にもわからない。

バレー以外の事で、何かをこんなに知りたいだなんて、自分でもマジでわからない。

だって例えば、他の人に置き換えてたらどうだ?
俺はクラスの適当な女子を思い浮かべてみる。
今日、告白されてる所を俺が見てしまったのが、ソイツだとする−−−確かに、ビックリはするかな。
でもソイツが誰と付き合ってるとか、付き合ってないとかどうでも良いと思う。

じゃあもしかして、憧れてる先輩だからこんなに気になるのかな。
次に俺は、及川さんに置き換えて思い浮かべてみる。
・・・うーん、やっぱりこんなに焦るような気持ちにはならないはずだ。

・・・どうして名前さんだけ、なんだろう。



−−−そういえば俺は最近、よく名前さんの事を考えてる。

移動教室の時とか廊下で、会えないかなって探しちゃうし。

偶然会えたら、すっごく嬉しいし。

たまにだけど、居残り練の後一緒に帰れるときもすごく嬉しい。

嬉しいだけじゃなくて、ドキドキするっていうか…胸がギュッてなって、苦しくなる。

この気持ちは何だろう。
ドキドキして、他の人に渡したくなくて、って。まさか、これがもしかして・・・


「影山くん、影山くんってば」
「あっ…な、なんすか」
「どうしたの、さっきから話しかけてもずっと返事無いし…あれっ、なんか顔もすごく赤いよ。もしかして、具合が悪いんじゃ」

保健室行く?どこかで休む?と質問攻めな彼女に、俺は何も言えずに俯く。

まさか、これ、恋かよ。
テレビとかじゃ見たことあるけど、ほんとに俺もそんなふうになるのか。
気付いた途端めちゃくちゃハズくなって、名前さんの顔が見れない。


こんなのは初めてだから、どうしたら良いかわからない。
バレーなら、初めての事も必ず教えてくれる人が居るから、あとは教えてもらってその後はひたすら自分のものにできるまで練習するだけ。

もしバレーと同じように人に、人のをマネしてみるんだとするなら?
それだったら俺もいつか、さっきの男の先輩みたいに名前さんに告白するって事かな。

でも、同じ学年でさえ振られたのに。
ひとつ年下で、名前さんよりチビな俺はどうだろう。
・・・普通に、釣り合わないと思う。


こんな俺が、名前さんの事を好きなのは、おかしい事なんだろうか。


「名前さん、大丈夫です。部活、行きましょう」

ぐるぐる考えて答えは全然出てないけど、俺は彼女の顔を見れないままどうにかそう言葉にする。

「具合、わるいの・・・?もしかして、恋の話が好き?とかってふざけたの、嫌だったとか」
「そ、そういうんじゃないっス。ホント、大丈夫です」


彼女の視線を感じながら俺は転がったままのゴミ箱を拾い、廊下に向かって歩き出す。名前さんはまだ心配そうに、そっと俺の隣に並んで二人、歩きはじめる。

名前さんは、カバンを持っていないからきっと一旦クラスに取りに行くのだろう。
急に意識し出した俺は、無言なのが変に気まずくて。あと色んな事でかなりテンパってて、あろうことか突然
「名前さんは、付き合ってる人いないって事ですか?」
ーーーなんて、聞いてしまう。
言ってから、こんな事を聞いたら俺が名前さんを好きだって気付かれてしまうかな?と不安になる。
それとも、影山くんってやっぱり恋の話が好きなんだとからかわれるだろうか。


「・・・こんな事言ったら、影山くんに笑われるかもだけど」
「何ですか!笑わないですよ!」
「アハハ、まだ何も言ってないじゃない。・・・恥ずかしいんだけど、恋とかってよくわかんないんだ。・・・おかしいよね、もう中2なのに」


俺はブンブンと首を横に振る。
俺だって、よくわからない。


「あ、でも小さな巨人の事は大好きなの!これが恋、なのかな?でも、コイビトになりたいとか、そういうのってまだ分からない」


そう話す彼女の横顔を。俺はぼうっと見つめる。

名前さんが好きになる人って、一体どんな人なんだろう。

きっと及川さんみたいにバレーうまくて、ヨユーあって、岩泉さんみたいにかっこよくて、あときっと名前さんより背の高い人だろうか。

・・・自分で考えたクセに俺は、なんだか胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。

だって、俺は何ひとつ当てはまっちゃいなかったから。




"名前さんは俺のこと、後輩としてしか思えないっスか?"



−−−聞けるわけがなかった、そんな事。
答えなんか、目に見えてるから。

いつか・・・
いつかもっと背が伸びて名前さんに釣り合うような、いやそれ以上のカッコイイ選手になったら。
そしたら俺も、名前さんに告白しよう。

いつかじゃない。ゼッタイ、だ!



それまで待っててください!と俺は心で叫び、名前さんを見上げる。
名前さんが、ちょっとビックリして肩を揺らした。


「俺、今日からすげーーー牛乳飲みます!」

「え!?そ、そう・・・なんだ?」




これが、俺の、長い長い片思いのはじまりだった。








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