影山 飛雄
- ナノ -


悪い虫 2



クールダウンをしていると、名前さんの怒ったような声が聞こえきた。
さっきから及川さんが名前さんにちょっかいをかけていたのは知っていたーーーっていうか正直、気になって仕方がなかった。


「えー、苗字が怒ってる。めずらしー、初めて見たかも」

ペアになって俺の背中を押してくれてた菅原さんも、驚いたようにベンチへ視線を向けた。

…確かに。名前さんはどちらかというと喜怒哀楽がわかりやすくて見てて飽きないくらいだけど、ホントに怒ったりする事なんて見る事が無い。
いつもほわほわしてて、温厚な名前さんはイライラしてばっかの俺とは正反対だ。



「もう、そんな怒んなくても良いじゃん。あっ名前、今日ウチ来ない?」
「行かないってば…この後、烏野へ皆と一緒に帰るんだから」
「夜遅いって事?じゃあ、泊まりに来れば良いじゃん。久しぶりにさ」
「えぇー・・・」
「名前が前、ウチに来た時読んでた本の続き買っておいたよ。読みにおいでよ」

…及川さん、もしかしてコッチに聞こえるように、わざと言ってるんじゃ?だとしたら本当に、性格悪すぎる!…けど威力は絶大で、俺の耳はさっきから二人の会話に集中してしまってる。



「え、もしかして苗字先輩って、大王様の恋人!?」


たぶん今みんな思ってて、でも誰も口にできなかった事をデカい声で叫んだのはもちろんこのアホ、日向だ。


「ーーーやだなぁチビちゃん!そんなの、見たらわかるでしょ?」

及川さんが、待ってましたとばかりに反応する。

「そのとーり!名前は、この俺の彼女だよー」

…こんなのは中学の時からしょっちゅうだった。けど、内心はやっぱり穏やかじゃない。

いつも名前がお世話になってます、なんてニコニコする及川さんを俺は、なるべく意識しないようにストレッチを続ける。


「もうっ、トオルちゃ・・・及川さん、いい加減にしてくださいっ!日向くん、私たちただの幼馴染だから!」
「ちぇー、そんなすぐバラしちゃったら面白くないじゃん」

なーんだ、などと口々に言う部員達の中で俺もコッソリ、安堵の息をつく。
良かった…。いつもの冗談だとは思ったけど、もしかしたら知らない間にマジで恋人になっていたらどうしようという不安もあった。


久しぶりに見た及川さんは、中学の時より身体もデカくなってるし、プレーも進化してた。
俺だって成長したつもりでいたけど、それは及川さんだってそうなんだ。
俺が高一になったって事は、及川さんは高三になったって事。
・・・名前さんは高二になったって事だ。
当たり前だけど、その差は縮まるわけはなくて。

いつまでたっても、追いかけてばかりなんだろうか。


でも、とりあえず二人はまだ付き合ってはいないみたいでひと安心だ。
顔を上げると、及川さんと目が合った。
瞬間、冷たい視線で囚われる。

「まぁ、俺と名前って将来的に結婚の約束はしてるんだけどね」

−−−え?
ドキン、と心臓が脈打つ。


「トオルちゃん、いい加減にして!そんなの、ずっと昔の−−−」

「ずっと昔の話だろ、ボゲェ!」


本気で怒った様子の名前さんの、何倍もの声量で怒鳴った岩泉さんが及川さんを蹴り倒してそのまま体育館の外へ引きずって行く。

「クソ川、いい加減にしろ!名前困ってんだろ!」
「もう岩ちゃん、イイトコだったのに!それに、ホントに名前から『トオルちゃんのお嫁さんになりたい』って言われた事あるし」
「四、五歳の頃の話だろうが!!俺にだって言ってたわ」
「エッッまじで!?」


−−−だ、だよなあ……よかった。

俺は安心して胸を撫で下ろしたけど、名前さんは深いため息をついてへたり込んだ。


「な、なんか大変だなぁ苗字も・・・」

菅原さんが、哀れみの表情でそう呟いた。












片付けも終わり、部員の皆と体育館を後にした。

…今日のトオルちゃんには、本当に困ってしまった。

でも、ああいう事があるとたいてい周囲から距離を置かれる事が多いけど、烏野の皆は「マジでイケメンと付き合ってんのかと思ったわー」なんて冗談にしてくれたりして。本当、優しいなあって、改めて感じた。潔子さんも、「おつかれ」と困ったように笑いかけてくれた。

体育館を出て、青葉城西高校の校門に差し掛かった時。私は部員の列の後ろの方にいたからわからなかったけど、誰かが「及川だ」と言ったから、そこにトオルちゃんが居るのだとわかった。

どうしよう、また絡みに来たの!?なんて思ったけれど、どうやら込み入った話をしているようだった。


話が終わり、トオルちゃんが烏野の選手の列の真ん中を割るように体育館側へ戻っていく。
私はなんとなく、隣にいた影山くんの陰を歩いてしまう。
冗談のつもりかもしれないけど、もう今日はこれ以上、トオルちゃんに振り回されるのは嫌だし。

トオルちゃんが、私たちの横を通過して行こうとする。
どうやら、私に気がつかなかったみたい。
影山くんの背の高さに感謝だ。

−−−と、思った瞬間。


「名前はさ、なんのために高校までバレー部のマネージャー続けてんの?」

私とその隣にいる影山くんにしか聞こえない位の声で、トオルちゃんは呟く。
他の部員達は気がつかずに、ぞろぞろと門の方へと向かっていく。

「何の為って…か、勝つためだよ。烏野高校が勝つために、みんなの力になりたいから」

…どうして、そんな事を聞くんだろう。
不安な気持ちで、影山くんの向こう側にいるトオルちゃんを見上げる。間に挟まれた影山くんは、けれど狼狽える事は無く、しずかに私たちを見てる。

「・・・フーン。"烏野高校でマネージャーする事"が目標なのかと思ってた。まさか、勝つためにやってたなんてね」
「・・・どうして?」
「だって、俺の誘いを断ってまで烏野に行ったからさ。勝つためにやってるなら、青城に来た方が良いでしょ?」
「なんでそんな事言うの?烏野だって、」
「何年も、全国どころか県大すら勝ち進めない弱小校だろ」

冷たい瞳で、まるで捨てるようにそんな事を言う。一体、どうしたっていうのだろう。
彼は確かにいじわるな時があるけど…、こんな風に、傷付けるような事、言うかしら。

悔しいし、おかしいと思うのに、私は何も言い返せない。
視界がじわじわと、涙でぼやけはじめる。




「俺が名前さんを、全国に連れて行きます」




ーーーそう、言ったのは、先程から私たちの間に挟まれいた影山くんだった。
トオルちゃんの、刺すような視線が影山くんへと移る。
けれど影山くんは依然怯むこと無く真っ直ぐと見据えている。


「へーえ?飛雄オマエ、トスもサーブもまだまだ俺に及ばないって、ワカってそんな生意気な口きいてるわけ」
「...俺は確かにまだ、及川さんには敵わないです」
「うん、だよね。じゃあ、全国行くって事はウチや白鳥沢を倒さなきゃならないって事も、ワカってて言ってんの?」
「俺ひとりじゃまだ、敵わなくても・・・戦うのはチームです。名前さんもいます。・・・それにいつかは、俺も及川さんより凄いセッターになってみせます」
「・・・この、クソガキ」


トオルちゃんが、影山くんに掴みかかりそうになる。どうしよう−−−と思った瞬間、先に行ってしまったはずの菅原さんが戻って来てくれて、仲裁に入ってくれた。

「ちょっ・・・ちょっとちょっと、何やってんの!なかなか来ないと思って、引き返してみれば!」
「・・・まぁ飛雄チャン、俺は楽しみに待ってるよ。せいぜい頑張って這い上がって来ると良いさ。・・・叩き潰してやる。・・・それと、名前」
「は、ハイッ」


おそるおそるトオルちゃんを見る。
すると、彼が優しく笑った。
よかった、いつものトオルちゃんだ−−−そう思って安心したのが、隙となってしまったのか。
トオルちゃんは影山くんと私の間に割って入り、そしてぎゅっと私を抱きしめた。


「いじわる言ってゴメンね、名前」



ーーー青葉城西高校の校門に、私の悲鳴が響いた。








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