星に願いを2

片付けも終わり、キッチンも磨き終えたサンジは煙草を銜えたまま甲板へと出た。
マストを見上げ、そして見張り台へと目を向ける。ルフィがそこにいるはずだ。

ふぅと大きく紫煙を吐き出すと煙草の火を揉み消し、見張り台へと登り始めた。頭の上には器用にも乗せられた銀の丸盆。

意識をして気配を消しつつ一歩一歩登っていく。何故ならあの船長は「見張り台には来るな」と言っていたから。
何か見られちゃまずいことでもしてるのか、オイ?と考えなかった訳ではないけれど。
最後によっと手を伸ばし、しっかりと台を掴むとそのまま自身の体をゆっくりと持ち上げ、そこにいるであろうルフィの様子を伺った。もちろん、気配を消したまま。

やはりルフィはそこにいて。
サンジからはその横顔を見ることができた。
いつもなら見張りにならないだろそれじゃあ、とツッコミを入れられて閉じられた目を開かせるのが定番だったが、今日はそれは不要だった。
目はぼんやりとだが開かれ、空を見上げていたから。

いや、見上げていたのはまたしても笹の葉のてっぺんだった。穴でも開くんじゃないかとゆうくらいに、揺れる葉をじぃと見つめている。

サンジは声を掛けることができず、暫くその横顔を見つめていた。
いつも頭に乗せられている麦わら帽子は首に掛けられており、風によって前髪が揺れ、丸い額が露わになっている。

ふとルフィが立ち上がり、笹に手を伸ばした。
しかしそのまま躊躇したように下げられたとの同時に、ふと何かを感じたのだろう、サンジの方を見た。

「…サンジ!」

ルフィは驚いたように目を開き、それから、来るなって言っただろと小さく呟いて目を逸らした。

「悪ぃ。夜食、持って来た」

サンジは丸盆をルフィに差し出す。
大した時間は経っていないだろうことは、まだ湯気を出しているスープと温かさを感じる特大なおにぎりから分かった。

「…さんきゅ」

ルフィはちらりとサンジを見てそれを受け取ると、また目を逸らして今度は海を眺め始めた。サンジはそれ以上声を掛けることを諦め、「見張り頼んだぞ」と一言残して降りていく。

甲板に足を着き、再び上を見上げるサンジはため息を付いた。

「クソ…。何だってんだ…」

ルフィがおかしい。
今日の夕飯時からいつものルフィではなくなってしまった。
今だってそうだ。
気配を消していたにしても、それに全く気が付かず、持って行った飯の匂いにも反応をしなかったのだ。
そして、自分と目を合わせようとはしない。見ようとしないのだ。
サンジは煙草を取り出して火をつけると、煙を大きく吸い込み、ふぅと上に向かって吐き出した。


そのままサンジはキッチンで朝を迎えた。男部屋に向かう気にはなれず、また眠ることもせず、自分の領域であるキッチンで考えていた。
ただひとつのことだけを。

「願い事ねぇ…」

ぽつりと呟き、それから時計に目をやって朝食の準備に取り掛かる。皆が起きてくる時間が近づいていた。



朝食を終え、笹の葉は海へと流すからと甲板へと集まった。もちろんルフィの姿もそこにある。
朝食中こそいつもの様に騒がしかったが、やはりサンジを見ることはなかった。

「さて!流すわよ!」

ナミの男クルーらへの笹を持てとの合図と共に、笹の葉は持ち上げられ、同時に葉に吊されているてるてる坊主と笹飾り、そして短冊がゆらゆらと揺れた。笹の葉はざぶんと軽い音を立てて海へと落ちた。

「あ…!」

ルフィが小さな声を上げ、手を空中へと伸ばした。
その先には、ひらりと宙を舞う一枚の短冊。海に投げ入れられた時に、ちょうどてっぺんの葉から離れたのだろう。

「バカ野郎!危ねぇ…ッ!」

そうサンジが声を発し、体を乗り出すのと同時にルフィの体は短冊を追い、まるでダイブするかのように海へと向かっていた。

ザブン!

ひとつの水しぶきが上がると、それを追う様にもうひとつしぶきが上がった。

「サンジ!」

「サンジ君!」

ルフィを追って海に飛び込んだサンジは、目を凝らしながら水を掻き分ける。すぐに追ったのだからそう深くへとは沈んでいないはずだとは思ったが、ルフィは悪魔の実の能力者だ。まるで重い石でも背負っているかのように、抵抗もすることなくぶくぶくと沈むだけの体だということは何度も見ているから知っている。
むしろ何度も見ているからこそ、その姿を見つけ、腕の中に納めてから海上へと出すまでその恐怖感と不安感は消えない。
いや、ルフィが目を覚ますまではそのどちらも消えず、安堵感を持つこともない。

(ルフィ…!)

黒に近い深い青の中、赤がちらりと見え隠れしているのをサンジは見逃さなかった。
朝で明るく海も澄んでいたが、底に向かうだけ海は暗い。その暗い海へとルフィはどんどん沈んでいく。
しかし目標を見つけたサンジは、迷うことなく泳ぎを早めルフィとの距離を縮めていった。
そしてようやく力なく呑まれていく体に手を伸ばし、その腕を掴む。あとは腕の中に力の抜けた身体を抱え込むと海面目指して浮上するだけだ。

海上生活の長かったサンジは泳ぎが得意だ。ルフィを抱えながらでも早いスピードで海面へと向かうことができる。
だから海面へ向かいながらもルフィの様子をちらりと見ることも可能で。

(…ルフィ?)

ルフィはうっすらと目を開けてサンジを見ていた。その顔は少し辛そうでもあり嬉しそうでもある。
困惑しながらも上昇する為に顔を上に向けると、ゆらゆらと浮かぶ小さな紙が視界に入った。

(あれは…)

それは、短冊。一枚だけが波の動きにあわせて揺れていた。あの、ひとつ離れてしまった一枚だ。
そこに書かれていた一文は泳ぎながらでも一瞬で読むことができた。特徴的な文字で書かれたそれ。誰が書いたものなのかもすぐに分かった。

(…っ!)

サンジはそれを読んで目を見開き、更には動きが止まってしまった。
しかし、すぐに腕の中の存在に意識を戻し、泳ぎを再開させる。

ざばりと海面に顔を出して空気を存分に肺に取りこみつつ、ルフィの意識を確かめれば、呼吸はしているものの先程まで開けられていた目は閉じられている。

「おいルフィ!大丈夫か!?おい!」

ぱしぱしと頬を叩けば、ふるりと瞼が震えてうっすらと目を開けた。それにサンジは安堵のため息を漏らす。
それと同時に。
ぎゅうとルフィの腕がサンジの首に回された。まだ力の入りきらない体のその全てを使う様に。

その行動に思わずルフィを抱き抱えていた腕の力を緩めてしまうが、それでもルフィは沈むことなくしっかりと腕を回したままでいた。

「おい、ルフィ?大丈夫か?」

労るように声を掛けたとき。縄が下ろされ人型になったチョッパーが早く上がれと促した。
サンジは船の上でこちらを心配そうに覗き込むチョッパーにあぁと小さく返すと、再びルフィを抱える腕に力を込めて縄を掴んだ。

あの短冊も拾い上げて。



甲板に上がり、未だしっかりとサンジの首に回された腕を解こうとすると、ルフィは益々力を強めてそれを解こうとしない。

「おいルフィ、離せって。もう海の中じゃねぇぞ?」

「…やだ」

「いやだ…って…。念の為チョッパーに看てもらわねぇと」

「看てもらわなくて大丈夫だから」

ぎゅうとしがみついたまま、小さな声で呟く。その声は耳元で囁かれたから小さくともサンジには届いて。

サンジは、はぁと小さくため息をつくと、チョッパーを見て告げた。

「少し混乱してるみてぇだが、意識はある。身体だけでも温めてくるよ」

チョッパーは心配そうな顔をしつつも、そうか、じゃあ少しずつ温めてやってくれよとだけ言うとタオルを渡し、風呂に向かう二人を見送った。
他のクルーもその様子をただ見ているだけだった。少し困ったような、呆れた顔をして。


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