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目覚ましが壊れてしまって



どうしよう。
今朝は寝坊して、家に泊めた男の人に起こしてもらった。
こう書くと、まるで私が性に奔放な女性のようだけど、別にそういうことをしたわけではないし、ただ単に、本当にただ屋根を貸しただけなのだ。
でも「明日は7時に起きます、起きなかったらベランダから投げ捨てますからね」なんて言っておいて、自分が起こしてもらうなんだなんて、すごく恥ずかしい。

恥ずかしい。すごく恥ずかしい。どうしよう、もうすでに自宅の前にいて、あとはこの玄関ドアを開けるだけなのだけど。彼は帰っただろうか。それともまだこの部屋にいるのだろうか。
鍵を差し込み、回す。錠が開く感触がした。
まだこれだけでは彼が中にいるかは確定ではない。もしかしたら電話台の引き出しに入っている合鍵を見つけて鍵を閉めたかもしれない。その場合は多分鍵がポストに入ってるか、彼が持ち帰ったかのどちらかだと思うけれど、ポストにはダイレクトメールしか入っていなかった。
彼がまだ中にいるか、もしくは合鍵を持って帰ったか。どっちでもあまり嬉しくない展開だ。

少し重たい玄関ドアを引く。
廊下に電気が付いている。居間と廊下を繋ぐ扉が開いた。

「あ、苗字ちゃんおかえりー」
「……ただいま、戻りました」

いた。

   ◇

リビングのローテーブルを挟んで、2人が向かい合う。そういえば、松野さんとこうやって落ち着いて顔を合わせて話すのは初めてかもしれない。松野さんは、私が貸したジャージのままだった。昨日着ていた服は、まだ洗濯機の中かな。乾燥までセットしたから、朝には乾いてたと思うけど。あ、寝癖ついてる。

「あ、あの、今朝は大変ご迷惑をおかけしました」

まずは今朝の謝罪をする。お恥ずかしいところを見せてしまいまして誠に申し訳ありません。

「いいよいいよ、会社間に合ったー?」
「はい、お陰様で。えっと、それで、私が何も言わず出て行ってしまったから、困らせてしまいましたよね。だからもう大丈夫ですよ」

いつまで松野さんは私の家にいるんだろう。洋服とか、まだ着替えてないけど。もう夜の11時だ。今日はどうするのかな。

「あー、それなんだけどさ、苗字ちゃん」
「はい?」
「苗字ちゃんってさ、朝弱い?」
「え、あー、けして、強くはないですけど……」

嘘。本当はすごく弱い。いつもは目覚まし時計を4つ使っているし、スマートフォンのアラームも5分おきに設定している。昨日はあんな状況だったからか目覚ましをかけ忘れていたけど。どうして松野さんはそんなことを聞くんだろう。

「俺さ、毎朝起こしてあげよっか」
「はい?」

何言ってるんだろう、この人。毎朝モーニングコールしてくれるってこと?だから電話番号教えろって、そういうこと?

「あと、いってらっしゃいとおかえりと、あとおはようとおやすみなら言ってあげられる」
「あの、待ってください。なんのお話ですか?」

「ここに住ませて」
「無理です」

「住ませて」
「無理です!だって1日だけって言ったじゃないですか!1日だけならってことで泊めたんですよ!それなのに!なんで!何言ってるんですか!」
「いやー俺だって今日出てくつもりだったよ?でもさー、朝に苗字ちゃん出てっちゃうじゃん?鍵開けっぱで家出るわけにいかないし?苗字ちゃん帰るまでは待ってようと思うじゃん?もう23時だよ?今から俺今日の宿探すの?無理じゃない? いいじゃん、俺が毎朝起こしてあげるからこれからずっと泊めてよ。苗字ちゃんは遅刻しないで済むし俺は宿が出来るしWinWin!な!!」

何が「な!!」なの!? たしかに朝のことは悪かったと思っている。思っているけど、それとこれから泊めてあげることは全く関係ないし釣り合わない、と思う。たしかに今日の宿については悪いと思うけど……!

「……分かりました、今日は泊まってください。でも、明日は一緒に7時に家を出ましょう」
「えー、やだやだ、泊ーめーてーよー」
「駄目です、今日は早めに寝ますから私お先にお風呂失礼しますね!」

話は終わり。絶対明日はちゃんと起きる。さあ風呂だ。
……あれ? ベッドの下に、何か落ちていることに気がついた。なんだろう、片手を伸ばして、手に取る。あ、これ、目覚まし時計……。時間が7時前で止まっている。どうやら朝どたばたしていて、落としてしまったみたい。電池はこないだ入れ替えたばかりだ。……動かない。壊れてしまっているようだった。
どうしよう、これが一番大音量の時計なのに。

「どーしたの」
「目覚ましが、壊れてしまって」

答えると、彼はにやりと笑った。

「ふーん。じゃあ明日も寝坊しちゃうかもね。そしたら遅刻だ。会社大変だろうなあー」
「……ちゃんと起きます、大丈夫ですから」
「苗字ちゃん、賭けしようぜ。苗字ちゃんが明日1人で起きられたら、俺は必要ないよな。明日の7時にこの部屋を出て行く。でも、もし苗字ちゃんが朝起きられなかったら、これからここに住んで、毎朝起こしてやるよ。どう?俺、寝坊助を起こすの上手いよ、慣れてるからね」
「……結構です、本当に大丈夫ですから」
「ちゃんと起きられるんだったら賭けても平気だろ?」
「……分かりました。じゃあ明日私が起きられたら、絶対、何があっても出て行ってもらいますから」


そして。



「苗字ちゃん。おっはよ」
「……おはようございます」
「死にそうな声だけど大丈夫?ちなみに今は6時半でーす」

語尾にハートマークでも付いていそうな声色だった。最高に機嫌がよさそうだった。あと正直に言えば、もうどうせならあと少しだけ早く起こしてほしかった。


「じゃあ、これからよろしくね、名前ちゃん」

え、なんで名前……。
驚いて振り向くと、松野さんの手には、昨日の晩ポストから取り出したダイレクトメールがあった。そういえば、帰ってからリビングに置きっぱなしだった。私、松野さんと出会ってから色々とうっかりしすぎだ……。


かくして、松野さんと私の、謎の共同生活は始まったのであった。