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優しさに見せかけた二者択一



学級委員長なんて名ばかりで、その実ただの雑用係に過ぎない。
名前はいつもそう言うけれど、本人が言うほど簡単な仕事ではないだろうと、二年間彼女を隣で見てきた私、芦屋千枝はそう思う。

特に目立つことをしているわけじゃない。活躍が話題に上がることもない。
それはつまり、全ての職務をそつなくこなしてきたということだ。
不手際でトラブルを起こすこともなく、誰からの不満を出すこともなく、ただ淡々と業務をこなしていくから、誰の目にも止まらない。はたから見ていれば簡単な仕事に見えることもあるだろう。本人すら、謙遜ではなく本気でそう言っている節がある。
たぶん、彼女は根本の部分で自己評価が低いのだ。私のことは面倒な性格だの言うくせに、自分だってそうじゃない。むしろ、私の方が自覚があるだけマシでしょ。無知の知ってやつ。ちょっと違うけど。

今だって、球技大会の実行委員に助けを求められ、出場競技を決める話し合いを実質進めているのは名前だ。
頬杖をつきながら、名前が黒板に角ばった字で競技種目を書いていくのを、ぼんやりと眺めていた。

「男子はバスケットボールかバレーボール、女子はハンドボールかドッジボールです。部活に入っている人は、自分の部活と同じスポーツには参加できないから、先に割り振っちゃうね」
「えー、そしたら俺活躍できねーじゃん」
「はいはい、ルールはルールだから。文句がある人は体育の和田先生に直接どうぞ」

名前はうざったい野次を入れる男子を軽くいなしながら、彼の名前をバレーボールの文字の下にチョークで書いていく。
うーん、この二択ならドッジかな。適当なとこで当たって、あとは外野でサボっていよう。

好き勝手に野球が良かっただの早い者勝ちでしょ私ハンドがいいだのと、自分の好きな種目に立候補する生徒を諫め、落ち着かせる。
当の実行委員は、その後ろでおろおろと困った顔をするばかりだ。
そうやって、頼ってくる人みんな甘やかさなくてもいいいのに。窓の外に目を向けながら、何度目だか分からない欠伸を噛み殺した。

 ◇

「ねえ! うちのクラス、また点決めた!」
「また黒尾!? これで何点目だっけ」

クラスメイトが階下のバスケットコートを見下ろしながら黄色い声を上げるのを横目に、ミネラルウォーターのペットボトルを傾けた。常温の水が咥内に流れ込む。
全学年全クラス対抗の球技大会はトーナメント戦だ。私含むドッジボール組は早々に敗退していて、応援くらいしかやることがない。教室棟は閉鎖されているし、あとは全ての試合が終わるまで暇なだけ。かといって、興味のない女子ハンドボールを見に行くのも、男子の競技を応援するのも面倒くさい。

「ねえ名前、本当にいいの? 保健室」
「んー……、うん。たぶん平気」

名前はギャラリーの床にしゃがみこんで赤くなった足首をさすっている。その横で壁に寄りかかって、ぼうっと下の喧騒を見下ろした。
眼下のコートでは男子バスケの準決勝の最中だった。うちのクラスは、ハンドボールもドッジも、初戦敗退。まあこんなもんでしょ。トーナメントなんだから、半分は初戦で落ちるわけだし、こんなお遊びのイベントに本気で悔しがるほどの熱意は持ち合わせていない。幸か不幸かクラスの女子のほとんどが、私と同じ思考だった。

「さっきからずっとさすってんじゃん。さっさと行って湿布でももらった方が早いでしょ」
「だいじょーぶだって、そんな痛くないし……。保健室行くほどじゃないよ」
「行こーよ。保健室。一緒についてってあげるからさ」
「千枝は保健室でサボりたいだけでしょ」

思考回路を先読みされて、思わずバレたかと舌を出す。怪我人の付き添いという正当な理由のもと、保健室でサボれるかと思ったのに。まあ、名前の心配だって全くしてないわけじゃない。それなりにはしているつもりだ。

「それにしても、バレーで突き指とかならまだわかるけどさ、なんでドッジで捻挫するかなあ。しかも外野で」
「だって、足元にボールが転がってきたんだもん」
「普通の人はねえ、ボールを真上から踏んづけて転んだりしないんですよ名前さん」
「スポーツ万能とは言わなくても、せめて普通の運動能力は欲しかったですねえ……」

生憎と学校行事にやる気のない五組女子たちではあるけれど、開始五分で負傷して戦力にならなかった名前からしたら、本気で取り組む仲間に迷惑をかけるなんて事態にならなかったのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。
コロコロとゆっくり転がっていくボールを踏ん付けて派手に転んだ名前に、ドッジボールコートの女子はみんな呆気に取られていた。なんでそんなこけ方が出来るんだろう、って感じ。漫画の中のドジっ子でももう少しマシでしょ。だが彼女はドジというわけではなく、ただただ運動神経が鈍いだけなのだから不憫でならない。

なんだか手持ち無沙汰で、床に体育座りをする名前の横にしゃがみ、彼女の髪を指先でいじり始める。名前は慣れているので、友人が突然自分の髪をいじり始めても動じない。
普段下ろされている髪を珍しくポニーテールにしているヘアゴムを一度外し、手櫛で整える。今日はどうしようか、三つ編みでシニヨンでもしようかな。
髪いじりに夢中になっている間に五組がまた得点を決めたようで、近くの女子たちがふたたび黄色い声を上げる。

「逆転! これ、うちのクラス優勝しちゃうんじゃない?」
「先生、優勝したらアイス奢ってくれるって言ってたよね」
「でも女子負けてんじゃん」
「いや、男子バスケにだけ奢るとかないでしょ」
「てかさあ、髪型で損してるけど、黒尾って、なんか結構よくない?」
「分かる! 部活でもキャプテンなんだっけ?」
「クールな感じ、私好き」
「え、それまじなやつ!?」
「ま、まじじゃないって! ちょっといいなーってだけだって!」

やかましいなあ。女三人と書いて「姦しい」とはよく言ったものだ。周りにあんなに人がいる状態で、よく大声であんな話が出来る。
ていうか距離的に真下のベンチにいるであろうクラスの男子たちにも聞こえてると思うけど、気にしないわけ。

「大人っぽくて、ちょっと影があるような男子、なかなかうちの学校にいないじゃん。だから強いて言うならってとこ」
「あー、あんたそういうの好きだもんね」

……さっきからクールだとか大人っぽいだとかって、一体だれの話をしているんだろうか。
普段のあいつがどうかは知らないし興味もないけれど、少なくとも私がよく見る、名前といるときの黒尾は、分かりやすい片思いをしている年相応の男子高校生に過ぎない。
この間なんてわざわざプリントを持ってくだけだっていうのに、そわそわと教室から後を追っかけていったりしていて、まるでストーカーじゃない。あ、もしかしてそういう意味で影があるってこと?

狭いギャラリー内では、どこにいても下のコートがよく見える。敵のバスケットゴールはちょうど私たちがいる側のようで、五組の男子―─名前はよく覚えていない──が、こちらへ向けてシュートを放つところだった。ボールは残念ながらリングに当たり弾かれたが、ゴール下にいた黒尾が指先でゴールに押し込む。その動きに、そばの女子からまた歓声が上がった。
どうせなら派手にダンクくらい決めとけよ。

「『黒尾くん、かっこいー』だって」
「は?」

シニヨン周りの遅れ毛をアメピンで留めながら、横にいる彼女にだけ聞こえる音量で、裏声で先ほどの女子の声真似をすれば、名前は眉にしわを寄せてこちらを見た。

「さっき周りが言ってたの。名前は見なくていいわけ? 黒尾くんのかっこいー姿」
「え……いやまあ、ちゃんと見てるよ、バスケ」
「で、ご感想は?」
「あー、スポーツできるのいいなあって思う」
「そうじゃなくてさ。かっこいいなあとは思わないの?」
「……そりゃまあ、かっこいいとは、思うけど……」
「ふーん。けど、何?」
「こうやって言うと、千枝がにやにやするから、なんかやだ」

実際今してるし。そう言って名前は拗ねるように口元を尖らせて目を逸らした。流石友人は、私のことをよく分かっている。
最近は、名前と黒尾が教室内で話しているのを見かけるのも増えた。ほんの数か月前までは、旧知の仲ということすら誰にも知られていなかったのに、ずいぶん猛スピードで距離を縮めていったものだと、彼の行動力に関心してしまう。
ほらほら、そうやって目ぇ逸らしてると黒尾くんの雄姿見逃すよ。そう言えば、名前のひ弱な拳で肩を小突かれた。

満足いくまで名前の髪をいじりつくしたところで、気が付くと、うちのクラスのバスケ組は決勝進出を決めていたらしい。
他の競技は早めに終わったようで、さらには決勝ともなると、ほぼ全校生徒の注目が一つのコートに集まった。体育館のギャラリーが込み合ってきたので、なるべく体育館の端側に身をよせ、コートを最前で見下ろせる位置を取る。名前は痛めた足をかばっているのか、体重を左足にのせ、体育館の壁に寄りかかっている。素直に保健室行ったらいいのに、強情だなあ。

「ここまで来たら優勝目指せよ、応援してっからなー! おら五組、声出すぞー!」

競技決めの話し合いの際、名前に絡んでいたバスケ部の男子が声を張り上げる。見ているこちらにまで応援を強いてくる姿勢に少しうんざりした。そうやって全員で頑張る、みたいなのを強要しないでくれる? どうでもいいし。強制されてする応援に価値なんてないと思いますけど。

「何あいつ仕切ってんの。うっざ」
「千枝、応援が面倒なのは分かったからせめて声を落として」
「大体さ、応援なんて意味あんの? 勝つときは勝つし負けるときは負けるでしょ。勝ち負けを応援のせいにするのは責任転嫁じゃない?」
「べつに応援のせいにする人はいないと思うけど……。まあ、要因の一つにはなるんじゃないの? 分かんないけど、プレーヤーの士気とかさ」

ひねくれている、と評されるようなことを言っている自覚はあるが、本心なのだから仕方ない。名前は慣れているから、呆れたように笑って、コートに向きなおした。
試合開始のホイッスルが鳴り、審判によってボールが宙へ投げられる。相手チームよりも高く跳んだ黒尾が、ボールをチームメイトのいる位置に弾いた。

「いけいけ五組―!」

クラスメイトが声をそろえて声援を送っている様子を、どうしても一歩引いた位置で見てしまう。あんな風に、私は夢中にはなれないな。応援する側にも、もちろん、される側にも。
手すりに頬杖をついて傍観を決め込んだ私の横で、名前は真面目な表情で応援の声を上げた。

「がんばってー!」

ほんの一瞬、黒尾がこちらを見たような気がした。目が合ったような気がしたけれど、正確には違う。私の隣を見ていたのだ。名前の声が、この騒がしい中でも耳に届いたのだろう。
ああ、たかが応援とは言ったけど、多少は意味があるのかもね。下がっていた口角が、無意識に吊り上がった。

 ◇

接戦の中、ブザービートで晴れて優勝を決めた黒尾鉄朗は一躍本日の主役だ。クラスメイトからはもちろん、違うクラスや他学年からも声をかけられていた彼がようやく体育館を出ようとするのと、ギャラリーの一番奥にいた私たちが出入り口そばの階段を下りたのは同時だった。

「苗字、芦屋も。お疲れ」
「お疲れさま、黒尾くん。優勝おめでとう」
「おう、応援ありがとな」
「すごかったね、最後のとか」
「まあ運良く勝てたのは本業の選手がいなかったからだけど」

どちらのチームにもバスケ部はいないわけだし、勝敗を分けたのは単純にプレーヤーの実力差だ。だが彼の本音としては、自分の本業であるバレーで名前にかっこいいところを見せたかった、っていうとこだろう。贅沢なやつ。
まあ苗字の応援のおかげで勝てたよなんて気障ったらしいことを目の前で言われたら、面白すぎてお腹抱えて笑っちゃうから、べつにいいや。

「てか苗字、朝と髪型違くない?」
「うん、さっき千枝がいじってたの」
「我ながらブラシもコームもない中で上手くできたと思うわ。誉めていいよ」
「はいはい、ありがとうね」
「今朝のポニーテールも良かったけど、それもよく似合ってる。可愛い」
「……すぐそういうこと言う。そういうのやめてよ」

黒尾がだらしない表情で言った言葉に、名前が素っ気ない声を出して顔を逸らした。
あ、照れてる。普段髪を下ろしているせいで見えない耳は、今日に限っては丸見えだ。私にも、もちろん正面に立つ黒尾にも、真っ赤になった彼女の耳がよく分かる。

「そういやさっき、黒尾のことかっこいいって名前が言ってたよ」
「い、言ってないよ! 」
「いやそこは言ってくださいよ。俺今日めちゃくちゃかっこよかったでしょうよ」

そういうことを自分で言うのどうかと思うけど、まあ客観的に見ればその言葉に間違いはないだろう。実際、ギャラリー内の生徒たちにも、きゃあきゃあ言われていたし。

「すごい高く跳ぶなーって思って見てたよ」
「そこ? なんか感想が小学生並みじゃない?」
「ジャンプボールのとことか。私には絶対できない動きだから、すごいなーって」

二人の会話を横で見ていて、ふと面白いことを思いついた。足元に視線を向ければ、やはり名前は右足をかばうように、左に重心をかけている。

「ねえ名前、足の具合はどう?」
「え? ああ……、さっきとあんま変わんないよ」
「足?」

私の言葉に、黒尾が頭にクエスチョンマークを浮かべて名前を見る。

「名前、派手に足首ひねってんの。ほら、ここ赤いでしょ」

名前の下ジャージの裾をめくって指させば、黒尾はそれをよく見ようとしゃがみこみ、まじまじと見つめた。変わらないとは言っていたものの、さっきより心なしか、足首が青く腫れているような気がする。

「悪い、触るぞ」
「……っ!」

一言断って彼が足首に触れた途端、名前は声にならない悲鳴を上げて顔をしかめた。やっぱり痛いんじゃん。

「あー、やったなこれ。ちゃんと冷やした?」
「んーん。球技大会始まって早々にひねって、ずっとそのまま」

痛みをこらえる名前の代わりに答えれば、「余計な事を」という思いが込められているのであろう恨めし気な視線を向けられた。

「た、大したことないから、大丈夫だよ」
「いやどう見てもだめだろ。保健室行くぞ。早く冷やして、そんでテーピング」
「そんな大げさな……」
「捻挫なめんなよ、靭帯痛めてる可能性だってあんだから」
「ほんとに平気だってば。ほっといたら治るよ」
「放置したら癖になってまた捻挫しやすくなるし、特に足なんて負担かけずに生活すんの無理だろ」
「うう……」

流石は運動部員、理詰めで説き伏せていく。名前に対しては、普通に心配するよりも放置した場合のリスクを懇々と伝えた方が効くだろう。

「もうこの状態じゃ歩くのも厳しくない? さっき階段降りてた時もかなりゆっくりだったし」
「千枝!」
「肩を貸そうにも、私じゃ背が足りないし……」
「俺が連れてく」
「うん、そうして」
「えっ!?」

わざとらしくため息をつきながら名前を仰ぎ見れば、思惑通り黒尾が名乗りを上げた。

「い、いいよ! 保健室くらいひとりで行ける!」
「いや無理だろ、その足で」
「名前は少しくらい素直に人のこと頼りなよ」
「うっ……」
「もう二、三時間は放置してんだろ。痛めたときにさっさと行っときゃよかったのに」
「で、でも……」
「でもじゃねえよ」

遠慮のつもりで保健室を拒む名前に、黒尾の語気が次第に荒々しくなっていく。名前はもっと、人に頼られてばっかじゃなくて、人を頼ったらいいのに。
不意に彼の口から出た深いため息に、名前の肩がびくりと震えた。

「あのさあ、俺は優しいから選ばせてあげるんだけど、」

ため息を吐いた後、一度深呼吸をした黒尾は急に穏やかな笑みを浮かべて、怪しいくらい優しい声を出した。急に変わった雰囲気に、名前が怪訝な顔で小首をかしげる。

「このまま担ぎあげられるのと、お姫様だっこされるのと、どっちがいい?」

その言葉に、名前の動きがぴしりと止まった。そばで聞いている私は、こみ上げる笑いをこらえるのに必死だ。
ああ、こいつが先ほどまで、大人っぽいだのクールだの、あとはなんだっけ、ええと、影があるだの言われてたなんて誰が信じるだろうか。とんだムッツリ野郎だ。

「な、ななな、なにその二択!? どっちもいやだよ!」
「じゃあどうすんだよ」

肩を貸してもらうにしても、黒尾の身長とじゃ身長差がありすぎる。名前はおろおろと狼狽えたあと、絞り出すような声で言った。

「せ、せめて、おんぶにしてください……」
「仕方ねえな、それでもいいよ」

こいつ、わざと名前が嫌がる選択肢の二択出して、保健室に行くか行かないかじゃなくて、どうやって行くかの話に持って行った。悪徳営業とか向いてそうだな、という感想を抱く。
目の前にしゃがんだ黒尾の背を前に、名前はかなりの時間躊躇ったのち、遠慮がちに身体を預けた。しぶしぶ自分から申し出た選択と言えど、クラスメイトの男子におぶさるなんて恥ずかしいに決まってる。私だったら絶対いや。

「じゃあ立ち上がるぞ、気ぃつけろよ」
「はい……お願いします……」
「いってらっしゃーい。先生には言っとくからね」

彼らの背中を手を振ってにこやかに見送りながら、面白い展開になったと自分の手腕に惚れ惚れする。おんぶで運ばれることになったのは嬉しい誤算だ。担任が用意してるであろう二人の分のアイスは、溶けちゃう前に私が美味しく食べてあげよう。
早くも、送り出した先で「バランス取りづらいから身体離すのやめてくんない?」「で、でも……!」とわちゃわちゃ話しているのが聞こえてきた。早速喧嘩してるし。
保健室へ続く廊下には、教室もあるし、水道も更衣室もある。今頃人でにぎわっているのは間違いない。
今日あれだけ活躍した黒尾が、女子を背負いながらきゃんきゃんと言い合っているのだ。随分と人目を引くことだろう。

後日、案の定「黒尾と苗字がおんぶ状態で痴話喧嘩していた」と広まった噂は、私を随分と笑わせてくれたのだった。