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猫をも殺す好奇心



明日はついに卒業式。だけど、親しい先輩もいない二年生の私には、特になんの感慨もない。
強いて言えば、いよいよ三年になってしまうのが憂鬱というくらいだ。年中受験生と呼ばれる一年が始まってしまう。音駒は基本的にほとんどの生徒が進学するので、先生たちはこの時期を三年0学期なんて言って、受験への意識を高めようとするけれど、実感はあまりない。
何が学びたいか、どこの大学へ行きたいかはまだ決まっていない。まあ成績は上の中から下程度を維持しているし、きっとほどほどの偏差値の大学へ行くのだろう。

明日の式典に向けてパイプ椅子を指定の場所に並べながら、ぼんやりと将来のことを考えていた。今年度の学級委員としての仕事も、これが最後だろうか。

こういうとき、ちゃんと自分の趣味嗜好がある人は将来のことを考えられるんだろうな。たとえば、芸術方面とか、スポーツとか。その道で食べていくようなプロにはならなくとも、その分野に関わる進路はいくらでもある。小さいころは何も考えずにケーキ屋さんだの漫画家だのになりたいと考えていたと思うけれど、十七歳となった今その職に進みたいかと言うと、そんなことはない。

「苗字さん、もうあとはこっちでやるから大丈夫だよ。手伝ってくれてありがとう。昼休みにごめんね」
「あ、うん。おつかれさま」

上の空で考えているうちに、いつの間にか会場設営もほとんど終わったらしい。生徒会の子に声をかけられて、ようやく気がついた。
足早に教室へ向かう。昼休みも半ばを過ぎていた。お弁当、残りの時間で食べ切れるだろうか。




賑わっている教室へ戻れば、私の席で頬杖をつき、退屈そうな顔で携帯をいじっていた女子がこちらへ視線を向ける。

「お疲れさま。いーんちょー」
「はあ、つかれた」

彼女の前に座り、机の横にかけていた鞄からお弁当を取り出す。五限が移動教室じゃないことだけが救いだ。

「いやぁほんと、学級委員なんてなるもんじゃないよね。ご愁傷様」
「誰のせいだと思ってんの」
「今年は私のせいじゃないでしょ」

急いでお弁当箱の蓋を開けながらじろりと睨むが、罪悪感のかけらもなく、彼女はにこりと綺麗に笑ってみせた。
この笑顔に騙された人間が、今まで何人いたことか。

「来年こそは、絶対に委員長なんてやんないから」
「えー? それ、煽ってる?」
「違うってば」
「まあせいぜい頑張って推薦されないようにしなよ」

目の前の彼女、芦屋千枝は私の親友だ。そして、一年生のときに「なんかぽいよね」の一言で私に学級委員長を押し付け、先日の修学旅行で素晴らしい寝相を披露してくれた張本人でもある。
適当でマイペースで、めちゃくちゃ美人。その人目を引く容姿で男子から告白をされることも多いが、容姿に釣られた彼らは彼女の中身を知って離れていく。
マイペース、自分をしっかり持っているといえば多少聞こえが柔らかくなるものの、悪くいえばゴーイングマイウェイ、自己中なのが彼女の難点だ。表裏がなくて自分に正直なところは美点だと思うけれど、合わない人はとことん合わないだろう。
誰もやりたがらなかった委員長を初対面から押し付けられたことから、第一印象は最悪だったが、紆余曲折を経て、高校に入ってから私が一番仲良くなったのは彼女だった。

「そういえばさあ」
「んー?」

すでに昼食を食べ終わっている千枝は携帯をいじりながら、ふと思い出したかのように口を開いた。
ちょうどゆで玉子を食べていた私は、咀嚼しながら続きを促した。

「名前って隣のクラスの黒尾のこと、好きだったの?」
「っ!? げほっげほっ!」
「あーあー、大丈夫?」

突然の話題に慌て、ゆで玉子の欠片が気管に入りかける。何度かむせ、落ち着いたところでお茶を流し込んだ。

「ゆ、ゆで玉子で死ぬかと思った……」
「間抜けな死因じゃん。で、どうなの」
「す、好きじゃないよ!」

先ほどのむせ込みで涙目になりながら、必死に否定する。

「なんで急にそんなこと……」
「バレンタインの日の放課後に名前が黒尾にチョコあげて告白してたって噂、聞いたんだよね」

噂ってこわい。あげたのはチョコじゃないし、ましてや告白なんてするわけない。ただ一つの机を挟んで余ったお菓子の処理を頼んでいただけなのに、話に尾ひれがつきすぎている。

「なーんだ。違うなら良かった」
「良かったって、なんで」
「名前が誰を好きだろうとどうでもいいけど、私に教えてくれないのは納得いかない」
「そこなの……?」
「そこでしょ。他人の惚れた腫れたをはたから見てるのほど楽しいこと、そうそうないよ。しかも今回は、男が苦手な名前だもん。レアでしょ」

ここで親友なんだから相談してほしかったなどとは言わないあたりが彼女らしい。あくまで面白い話題を見逃したくないということが重要なのだ。

「はあ……告白なんてしてないよ。あの日はアップルパイが余っちゃったから、残るよりはと思ってあげただけ」
「ふうん。でもバレンタインにお菓子あげる程度の仲ではあるんだ」
「……まあ、成り行きで」
「へえー、あの名前がねえ……」

ブロッコリーをもぐもぐと噛みながら答えれば、千枝は薄い唇をにやりと吊り上げて楽しそうにこちらを見る。ああ、これは、彼女の興味を引いてしまった。

「そういう、千枝が想像してるやつじゃないよ。元々、小学校が一緒だったの。だからまあ、顔を合わせれば話すくらいで……」
「えっ、二人って幼なじみだったの?」
「いや、小学校が一緒で家が近いってだけで、幼なじみってわけじゃない……と、思う」

幼なじみという言葉に、千枝の大きい瞳が輝く。大方、少女漫画のような関係を想像しているのだろうが、生憎そういったときめきとは無縁だ。漫画に良くある、お互いの家を行き交うだとか、家族間の交友だとかをした覚えはあまりない。
たまに家の近くで黒尾くんや研磨くんの家族に声をかけられて、昔のようにタメ口で話すべきか敬語で話すべきか分からず、不自然な敬語になってしまう程度には距離感がある。

「関係だって薄いし、それに幼なじみって、要するに小さい頃から関係が続いてるやつでしょ? 途中で疎遠になったら、それってもう幼なじみじゃなくない?」
「そういうもん?」
「だってそうじゃなきゃ、幼稚園の同級生とか、全員幼なじみになっちゃわない?」
「じゃあ今から馴染んできて幼なじみになっておいでよ」
「そういう仕組みでもないでしょ……」

何がなんでも私と黒尾くんを面白い関係にしたいのか。呆れてため息をついた。

「だから、黒尾くんとはそういう関係じゃないし、なる予定もないってば」
「ふーん、つまんないの。それにしても、黒尾ねえ……」

千枝はちらりと視線を外し、遠くにやる。何かを考え込むようにしばらく黙ったあと、口を開いた。

「……そういえば話は変わるんだけどさあ、修学旅行でチェックアウトするときさ、なぁんか半纏が一枚多かったんだよね。しかもXLサイズの、女子部屋に用意されてないやつ」

彼女の急な話題転換に目が泳ぐ。心当たりがありすぎる。それは明らかに、私があのとき黒尾くんに借りたものだ。動揺してそのまま持ち帰ってしまった、男物の半纏。バレないように畳んで他のものと紛れ込ませていたのに、まさかだれかに気がつかれるとは思っていなかった。

「そ、そうなんだ……、不思議だね」
「XLサイズなんて、よっぽど背が高くないと男子でもそう着ないよねえ。……名前さ、だれかと逢引でもした?」

千枝は綺麗な笑顔を作りながらも、私の動揺を見逃すまいとこちらをじいっと見つめる。話は変わると言いながらも、どうやったってその話に持っていくつもりじゃないか。元はと言えば彼女の寝相のせいなのに……とは言えず、全力で首を横に振る。

「し、してない」
「その必死さが怪しい。あー、背の高い男子、誰がいたかなー」
「怪しくないしわざとらしい!」
「分かった分かった。じゃあ待ち合わせたわけじゃないけどばったり会ったとか?」

なんでこんなに勘がいいんだ。
彼のあの発言が他意のないものだと分かった今でも、あのときのことを思い出すと少し意識してしまう。夜中に偶然会って、二人きりでどんな話をしていたのかと聞かれてしまえば、照れずに答えられる自信はなかった。少しでも照れた様子を見せてしまえば、全て答えるまで千枝の質問責めが止むことはないだろう。……いや、今もこの話題が終わる気配はないのだけれど。

「ねえねえどうなの? 黒尾と実際にどういう仲なの?」

この傍若無人に好奇心を満たそうとする言動、千枝じゃなかったら普通に嫌いになっている。彼女以外の人間がここまで無神経なことを軽率にするとは思えないけれど。

「だから、黒尾くんがっていうか、そもそも男子にべつに興味ないし! 千枝が面白がるような関係じゃありません!」
「あのー、お二人さんさあ。本人目の前にしてそういうこと言うのやめません?」

毅然とした態度で彼女の想像を否定した途端、後ろから渦中の人物の声がして、びくりと肩が跳ねる。
慌てて振り向けば、海くんと黒尾くんが苦笑いでこちらを見ていた。冷や汗がたらりと背中を伝う。

「い、いつから……」
「あー、幼なじみを定義してるあたりから?」
「あら偶然。いたんだ?」
「苗字はともかく明らかに芦屋は最初から気がついてただろ、目合ってたじゃん」
「だって言わない方が面白いでしょ」

後ろに二人がいることを知った上で、あんなにぐいぐい聞いてきてたわけ!? もし仮に私が黒尾くんのことが好きで、あの場でそれを漏らしていたら、とんだ大惨事じゃないか。

「悪い、芦屋さん、苗字さん。俺たちもべつに盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど」
「いや、あの……教室だもんね……こちらこそごめん……」

海くんは謝ってくれるけれど、そもそも昼休みの教室で聞かれて困るような恥ずかしい話をしている方が悪いのだ。
賑やかな教室では多少大きな声で話していても気にする人は少ないだろうが、こんなにも至近距離で話していれば、いやでも聞こえてしまう。自分の名前が話題に上がっていればなおさらだ。黒尾くんだって気まずいに違いない。

「黒尾くんも、あの、ごめんね」
「いやぁ、あんなはっきり興味ないって言われると流石にショックだなあ」
「あああ、あの、ごめん、違うの。異性として見るとか、そう言う話での興味ないって意味だから……!」

べつにお前なんか興味ないみたいなそういう口の悪い話ではないのだ。ただ、ただそういう、男女の噂になるような関係というのを否定したかっただけであって。

「ほんっとうにごめんなさい……!」

 ◇

歯磨きしてくる、と逃げるように教室を出て行った名前の背中を見送りながら、ぽつりと呟く。

「盗み聞きするつもりはないって、どうだか。名前の話にずっと聞き耳立ててたくせに」
「そりゃあ、会話に自分の名前出されたら反応しちゃうでしょうよ」

横に立ったままの胡散くさい彼は、悪びれもせずそう答えた。教室に顔を出したときから、名前を意識しているのがバレバレだったっつーの。

「あっそう。その割にはずいぶん動揺しているように見えたけど」

特に、『そういう関係になる予定はない』のあたりとか。

「名前、私の隣にいるからあんまり目立たないけど、あれでけっこう男子から告白されたりしてるからね」
「マジで!?」
「ほんと。まあ本人があんなだし、全部断ってるけど」

そう言えば、彼はほっと胸を撫で下ろした。さっきまでの澄ました姿は跡形もない。この情けない様子、名前の前じゃ死んでも見せないんだろう。

「……わざわざ言い直して男として興味ないって言われたんだけど、どう思う?」
「んー、まあ、そのまんまの意味でしょ」

先ほどの名前の言葉を思い出し鼻で笑う。好きじゃないし、そういう関係ではないし、なる予定もないし、男として興味もない。ないない尽くしで脈までないが、まあせいぜい頑張ればいい。
この軽薄そうな男が、名前にずいぶんと望み薄な片想いをしてるっていうなら、それはそれで少し面白いかもしれない。

私はべつに、名前が黒尾を好きだろうと、黒尾が名前を好きだろうと、どうだっていいのだ。ただ面白ければ、それでいい。
これから二人がどうなるのか、それとも全く発展しないのか、それはまだ誰にも分からないけれど。あと一年、面白いものが見られそうだと期待に胸を膨らませた。