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仰ぐ十月



十月。月が丸くて明るくて大きかった。


「そういえばさあ、女子高生に何ヶ月か前に駅前で話しかけられたんだよね」
「ああ、そういえば俺もだな」
「事案じゃん!」
「犯罪!? 逮捕!?」
「あっちから話しかけられたから合法でしょ」

と、いうわけで。俺は今、弟五人に尋問を受けている。
なんで今さらそんなこと思い出してんの?

「おそ松兄さんの知り合いでしょ?」
「女子高生とどこで知り合ったの?」
「あの子とどういう関係だ?」
「そんな矢継ぎ早に言われても、お兄ちゃんいっぺんに答えらんねえよ〜」

距離が近いって、距離が。そんなに取り囲んで、お前ら俺のこと大好きかよ。

どうやら苗字は俺を探すべく、五月ごろに手当たり次第、駅でこいつらに話しかけてたようだ。まあね、俺たちみたいな六つ子相手じゃなきゃ、それで一発目から再会出来たはず。でも俺たちは六つ子なわけで、五人の人違いを経ての再会だったわけで。
女子高生に人違いをされた五人のクズは、そりゃ訝しむよねって話だ。

「どういう関係って、べつにやましい仲じゃねえってば。週一くらいで会って、コーヒー奢ってもらってるだけ」
「女子高生に奢らせてんの?!」
「いやそこもだめけどそこじゃないでしょチョロ松兄さん! こいつ今デートしてるって自白した!」
「あー、これは事案ですねえ」
「事案すか」
「罪深きギルティ……。大人しく吐け、おそ松」

罪深きギルティって頭痛が痛い的なあれじゃない? カラ松。そう思ったけどぎゃあぎゃあ騒いでる五人はだれも突っ込まない。
本当にやましい関係じゃないんだって。たしかにこれでもかと好かれてはいるんだけど、小動物になつかれたとかそんくらいの感覚だ。
……まあたしかに、この間遊びに行ったときは、初めて見る私服がかわいいなって思ったり、よろけたのを支えて顔真っ赤にされたときは、ちょっと、まじでほんの少しだけドキッとはしたけど? ただ、それだけだ。やましいことは何にもない。

「吐くったって、特に面白い話じゃねえって。駅で困ってんのを助けたら懐かれてぇ、なんかお礼がしたいとか言うから、コーヒー奢らせてんの」
「それだけ? ほんとに?」
「週一で会ってるっていうのは?」
「なんかコーヒー一杯じゃ気がおさまんねえっていうから、付き合ってあげてんの。あいつが土曜に予備校いく前の、空いた時間だけ」

そう言った途端、奴らの瞳がきらんと輝く。口を滑らせたと気がついたときにはもう遅い。あいにく今日は土曜日。苗字との約束の日だった。

 ◇

苗字は先に駅前に着いていた。なんでも夏で部活は引退らしく、予備校までの時間はかなり余裕があるらしい。……あれ、そんならまとまった時間に俺と会ってんのもったいなくない? べつにいいけどさ。
苗字は俺に気がつくと、顔を輝かせてぶんぶんと手を振った。

「おそ松さーん! こんにちは!」
「あー、うん」
「今日もかっこいいです!」
「はあい……ありがと……」

今日もテンション高いねお前は。
後ろから隠れて見ているあいつらの視線が痛い。今日もかっこいいですといつものように苗字が口にした途端、ものすごい圧を背中に浴びた。
懐かれたって誤魔化して、ベタ惚れされてるとは言ってないもんなあ。だって言ったらぜってえめんどいじゃん。実際今、すげえめんどくさくなってんじゃん。

「部活ないんじゃないの? なんで制服」
「ああ、毎週土曜の午前中に学校で自由参加の講習があるんです。二学期から受講してて」
「はー、大変だね。受験生ってのは」

一日中勉強詰めじゃん。死ぬほどめんどくさそ。
なんとか適当に場を繕えないかと適当な世間話をするうちに、後ろからの早よ言えという薄暗いオーラを背中で感じる。ああもう、分かったよ。言えばいいんでしょ言えば。

「あー、あのさあ、今から俺、弟たちと居酒屋行くんだけど、苗字もどう?」

断れ、断れ。絶対断れ。今日もどうせ予備校行くんだろ?

「わ、私も行って怒られませんか!? 制服ですよ!?」
「怒られねーよ、いまどき子供向けのキッズメニューだってあるわ」

制服は怒られるかもね、なんて適当言っときゃいいのに、思わず突っ込んでしまった。こないだも思ったけど、こいつの酒あるとこに未成年は行っちゃ駄目理論なに? 真面目かよ。真面目だったね。

 ◇

「わ、すごい。おんなじ顔」

ぱちくりと音がしそうなほど、苗字が目を見張る。

「え、えっと。苗字名前と申します。その節は人違いをして失礼しました」

律儀にお辞儀をして自己紹介をする苗字をよそに、六人席の空いている椅子に腰掛ける。苗字は俺の斜め横のお誕生日席だ。

「ねえねえ、きみっておそ松兄さんの彼女!?」
「彼女じゃねえよ」
「彼女がいいです」
「立候補しないでぇ?」

人見知りとかしねえの、こいつ?
前から思っていたけど、苗字はおとなしい顔して物怖じしないし、行動力もある。今日だって、初対面であるはずの五人に対してもすぐに慣れて受け答えをしていた。

「ていうかまじでおそ松兄さんに惚れてんの? 趣味悪」
「一松〜、なあにやきもち妬いてんの? お兄ちゃん取られちゃうかもって不安〜?」
「は? きも」
「辛辣」

もうちょい優しい言い方できないもんかね。お兄ちゃんをもっと大事にしろよな。
ふんと鼻を鳴らし、口の中に頬張った枝豆をビールで流し込む。目の前では苗字がチョロ松とトド松に絡まれていた。

「ねえねえ、二人はどこで知り合ったの?」
「えっと、電車の中でちか、」
「ちか?」
「あー、えっと、うんと、ちか……ちか……」

あー、もう。苗字ほんとばか。なんでそういうこと言いそうになっちゃうの。痴漢されてたなんて、人にべらべら話したいわけないだろうに。
案の定、あたふたと言葉に詰まっている苗字と目が合う。知らないよ、そんな目、向けんなよ。まるであの時電車で目が合ったときと同じように、苗字がこちらに助けを求める。はあと観念したようにため息をついて、助け舟を出した。

「地下鉄をさあ、こいつが探してたんだよ」
「そう! そうなんです! そこをこう! おそ松さんが! めちゃくちゃかっこよく! 颯爽と!」
「いや、おそ松だぞ」
「誇張しすぎじゃない?」
「眼科行ってきたら」
「それも人違いだったりして」
「名前ちゃんってもしかして、頭弱かったりしない?」

こんなボロカス言われることある? お兄ちゃんなのに可哀想すぎるでしょ。苗字の頭がちょっと弱いのは否定できないけど。
トド松はいつのまにか下の名前で呼んでいる。やるじゃんトッティ。

「名前ちゃんさあ、好みの異性のタイプってあんの?」
「うーん、おそ松さんみたいな人ですかねえ」
「それってもう、ほぼほぼ僕らじゃない? 僕でもよくない?」
「だめでーす」

苗字は、場の雰囲気に酔うタイプなのかけらけらと笑っている。
こいつ本当に素面? 間違って酒飲んでたりしない?
苗字の前にあるジョッキを一口飲んで、中身を確認する。間違いなく烏龍茶だった。

「あれ、おそ松さんも烏龍茶飲みますか?」
「いやいらね、俺ビールあるし」

「ていうかもしかして苗字さん、今日ってなんか予定あったんじゃないの?」
「あ、あー……、今日は、サボっちゃいました」
「おー!」

やるじゃん、と途端にクズ共がはやし立てるが、俺だけがその発言に驚いていた。
サボりなんて、こいつと知り合ってから初めてのことだ。苗字は馬鹿で、変に行動力があって人の話をあんまり聞かない馬鹿ではあるけれど、なんだかんだで真面目なやつだ。今日だって勉強をした帰りだと言っていたはずなのに、俺から誘われたからと言えど、予備校をサボるなんて、普段のこいつからは考えられない。

「いいねえ、名前ちゃんもけっこうクズじゃん」
「まあおそ松兄さんに惚れるような子だし、まともじゃないとは思ってたけどさあ」
「はあ? ちょっと苗字、毎週真面目に通ってたじゃん。何やってんだよ」
「いいんです。どうせ予備校なんて、授業料払って良い大学の合格実績さえ増やせれば、生徒が何してようがなんだっていいんだから」

普段の苗字を知ってるのは俺だけだ。今日のこいつに違和感を感じることが出来るのも、この場で俺ただ一人だけだった。

「なんかさあ、苗字、いつもと違くない? なんかあったの」
「……べつに、ちがくないですよ?」
「ちがくねえだろ」
「はあ? おそ松兄さん、なに」
「いいからお前らは黙ってろよ。今苗字に話してんだから」

問い詰めると、苗字は拗ねたような顔をしてぽつりとこぼした。

「…………ちょっと、むしゃくしゃして」
「むしゃくしゃしてじゃ分かんねえよ。何があったの」




「もっと志望校のレベル上げろって言われた?」
「はい……」
「え、先公が学校のレベル上げろって言ってくんの? 下げろじゃなくて?」
「おそ松兄さんはひどい成績だったから知らないんだろうけど、自分のとこから良い大学に進学した生徒が出たら、教師とか予備校の評価に繋がるんだよ」

そう言われりゃたしかに、駅前の予備校とか塾の広告とかに、『ほにゃらら大学に○名合格!』なんて書いてあった気がするけど。

「だから、もっと上を目指してみろって無責任に言うわけか」
「受かれば儲けもん。落ちたところであっちは何にも痛くないからね」
「……私、一年生のときから、行きたい大学があって」

俯きながら、苗字が小さな声を出した。俺たち六人は会話を止めて、黙って苗字の言葉を待つ。

「ずっとそこに行きたくて、だから三年間頑張ってきたのに、ちゃんと一年生のころから面談でもそう言ってきたし、勉強もしたのに、妥協するんじゃないって、言われちゃって」

声が震える。俯いた苗字の膝に、ぽたりも水滴が落ちた。
隣に座った十四松が、おろおろと背中を撫でる。

「私がしてきたことは、したいことは、妥協なんかじゃ、ないのに」
「……苗字が勉強してんのさあ、俺知ってるよ。知り合ってから半年しか経ってないけど、俺待ってるときいつも参考書読んでるし、俺とおしゃべりしてても、そろそろ時間だから行ってきますって毎週予備校行ってたじゃん」
「へへへ、ありがとうございます」

顔を上げたときには、鼻は少し赤らんでいるものの、すでに涙は浮かべていなかった。苗字は重たい空気を誤魔化すようにへにゃりと笑う。

「あーあ! 世界中の人がみんなおそ松さんみたいに優しかったらいいのになあ!」
「いやそれはだめでしょ」
「社会が崩壊するよ」
「人類滅亡!」

苗字は明らかに空元気な様子で笑うと、目の前にあったジョッキを手に取って、真上にあおる。
ごくごくと勢いよく、茶色い液体が苗字の喉に消えていく。

「あ、それ俺の烏龍ハイ」
「あれ?」
「は?」
「てめえ何やってんだクソ松!!」
「いや、ちが、だってさっき店員さんが持ってきてくれたやつ誰も俺のとこまで届けてくれないから! なんか自分で手伸ばして取れる空気じゃなかっただろ!」

一松に殴られてるカラ松は放っておくとして、とりあえずおろおろと手に持ったジョッキと俺を交互に見る苗字を見遣る。だーから、その目やめろって。困ったらなんでも俺頼みじゃん。

「ど、どうしましょう。おそ松さん……」
「あー……、気持ち悪いとかねえ?」
「それはたぶん、平気です」
「とりあえず水飲んどけ水」
「すみませーん、お水もらえます?」
「あ、ピッチャーでおなしゃーす」

店員が持ってきた水を空のジョッキになみなみと注ぎ、重たそうなそれを両手で持ちながら苗字は必死に飲むが、ビールと違ってただの水なんて、そうがぶがぶと飲めるもんじゃない。ジョッキの中身が減るペースは遅かった。
とりあえずその場でぶっ倒れるとかじゃなかったことに安心しながら、苗字の背中をさする。

「とりあえずそれ一杯飲んで。もし後から気持ち悪いとかあったら、多分吐いた方が楽になるから吐いとけよ」
「は、はい……」

不安そうに揺れる瞳で苗字がこちらを見つめる。誰が強要したわけでもないけれど、未成年に誤って一気飲みをさせてしまったという罪悪感から俺たち六つ子はいそいそと甲斐甲斐しく世話を焼いた。
時間も遅いし、多分早いうちに帰らせた方がいい。
数分かけて水を飲み干し、一息ついたのを見届けて、その場を立ち上がる。

「よし、じゃあ送ってってやっから。行くぞ」
「あ、はい」
「立ちくらみとかない?」
「大丈夫、です。……えっ送ってくれるんですか!?」
「お、結構元気じゃん。はい、じゃ、お先〜」
「あ、ちょっとおそ松兄さん!会計!」

呼び止める弟の声を聞き流し、苗字の両肩をぐいぐい押して颯爽と居酒屋を後にした。

十月の夜はほどよく涼しくて、アルコールで火照った身体で出歩くにはちょうどいい。あと少しすると上着が必要だし、さらにもうちょい経つと寒すぎて外に出たくなくなる。今くらいの季節が、酒飲んだあとは一番気持ちいいんだよなあ。

「苗字んち、どっち?」
「あ、えと、駅の反対側です」

じゃあ歩いて三十分くらいか。酔い覚ましになるしちょうど良さそうだ。

「……おそ松さん。さっき、ありがとうございました」
「さっき?」
「頑張ってるの、知ってるって言ってくれて。嬉しかったです」
「……べつに、ただ事実を言っただけじゃん」

お礼を言われることなんて、なにも言ってない。
励ましたつもりも、慰めたつもりもない。ただ、こいつがいつもしてたことを声に出して言っただけなのに、なんで苗字はこんなに嬉しそうにしているんだろう。

「ふふ、ねえおそ松さん見て。月が綺麗ですよ」
「……そーね」

 ◇

「ただーいまー」
「あ、帰ってきた」
「おそ松、一人四千円だったからな」
「えー、俺も払うの? 苗字送った分値引きしといてよ」
「おそ松兄さんのへそくりからもう抜いといたから大丈夫っスよ!」
「はあ!?」

帰ってくるなり、無慈悲に金を毟り取られていた。十四松はなんで俺の隠し金山の場所知ってんの? この家プライバシーとかあったもんじゃねえな。

「名前ちゃん、大丈夫だった?」
「うん、わりとぴんぴんしてた」
「良かったー! 危うく僕たち、名前ちゃんの親御さんに半殺しにされるとこだったよ」
「まあセーフじゃん?」
「セーフセーフ」

トド松は久々に女子と話せたことがよほど楽しかったのか、るんるんでスマホをいじっている。
そうだよな、ニートを蔑んだ目で見てこない素直な女子なんてレアだもんな。

「いやあ、結果的に無事だったから良かったけど、女子高生に予備校サボらせて、居酒屋連れ込んで、酒飲ませて、やってること完全にアウトでしょ」
「スリーアウト!」
「しかもおそ松兄さんに至っては女子高生と条例違反だからね」
「はあ? べつに俺手出してねえじゃん! あっちが付きまとってくるだけだってば!」
「そこで『付き合う』とかじゃなくて『手が出る』って表現が出るあたりがおそ松なんだよな」
「ばっさり切り捨てないのが悪いよ、あっちはまともな判断ができない未成年なんだから」
「一松の言い方厳しいな」
「第一、あの子受験生なんでしょ。おそ松兄さんと遊んでて、大学落ちたらどうすんの」

一松の言葉に反論しようと口を開いたとき、先月遊びに連れ出したことを思い出す。もしああやって俺といるせいで、あいつが大学受験に失敗したら。

「今日だって、予備校サボらせちゃったじゃん。俺たちが居酒屋誘わなきゃ、ああは言っててもきっとあの子なら、予備校ちゃんと行ったと思うよ」
「わ、わかんねえじゃん。そんなこと」
「あー、でもまあ、僕たちニートが悪影響を与えることは間違いないよね」

なに、なんで急にお前らそんなこと言うの。今日だって、なんだかんだ楽しく食べて飲んで喋ってたじゃん。
なに急に手のひら返して、俺責められてんの。訳わかんねえ。


冷や水を浴びせられたような気持ちで、その場の糾弾から逃れるように、無言で家の外に出た。
風が冷たい。おかしいな、さっき苗字と歩いてたときはあんなに気持ちよかった空気が、今はただ不快なだけだった。

一年のころからその志望校ってやつに行きたくて、そのためにきっとあいつは今まで色んなことを我慢してきたんだろう。外野にとやかく言われたことが悔しくて泣いてしまう程度には、思い入れがあるんだろう。それを俺が、たった半年で台無しにしてしまうかもしれないなんて、そんなことあってたまるか。

こんなクズでニートな俺が、まだ18年も生きてないあいつの将来を変えてしまうなんて、考えたこともないし、考えたくもない。
けど、俺があいつのために出来ることなんて、何もないじゃん。どうしろっていうの。

「知らねえよ、そんなこと……」

吐き捨てるように声に出して空を仰げば、まん丸の月がてっぺんで輝いている。


『ねえおそ松さん見て。月が綺麗ですよ』

帰り道、そう言った苗字の声が脳裏をかすめる。

「……知ってるわそんくらい。馬鹿にすんな」

八つ当たりするかのように、月に噛み付いた。
満月は何にも言わず、ただ爛々と輝いている。