小説
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逢瀬する九月



九月。気温はまだまだ高いのに、夜が少しずつ長くなってきた。


「お客様、何かお探しですか?」

放課後に立ち寄ったショッピングモール内のお店で、ひとりで洋服の陳列棚を見ながらうんうん唸っていると、優しそうな女性店員さんが、にこやかな笑顔で話しかけてきた。

「は、はい。デートに行く服を、探してて!」
「デートですか、それは気合い入れておしゃれしなくちゃですね」
「そうなんです! 相手は大人の人なので、その、少しでも大人っぽく見えるやつが欲しくて」

おそ松さんの隣に並んでも、子供っぽくならないように。お似合いの二人に見えるように。実態は伴わないけれど、せっかくのデートだ。外見だけでも釣り合うようになりたい。
とりあえずそれらしい洋服を新調してみようかと思ってお店に来たはいいものの、欲しいアイテムが決まっているわけではなくて、時間が無闇に流れるばかり。ここはプロの意見を聞いてみることにした。

「そうですね……。露出は控えめにして上品さを出したり……、ボトムスはロング丈だと大人っぽさが出て素敵ですよ」
「なるほど……」

店員さんが提案してくれるのは普段着るテイストとは全く違った方向で、やはり専門家に聞くのが一番だったと安心する。
続々と提案される洋服を見ながら、一つ一つ吟味していく。
おそ松さんは一体どんな服装が好みだろうか。今までずっと制服でしか会ってないから、私服で会うのは次が初めてだ。もしかしたら、いつもの赤いパーカー以外のおそ松さんが見られたりするんだろうか。おそ松さんって何を着るんだろう。大人っぽく白いシャツにテーラードジャケットとか!? どうしよう、想像してみただけで色気がありすぎて直視出来ないかもしれない。

「こちらのミモレ丈のタイトスカートはお色も豊富で人気ですよ。ちなみにデートはどちらへ行かれるんですか?」
「っ、え?」
「映画とか、アウトドアとか。アウトドアでしたら、こちらのスキニーパンツなんかもおすすめです」

妄想の中のおそ松さんに照れていると、不意に店員さんからの質問で我にかえった。
そういえば、どこに行くんだろう……。
この間は「お馬さん勝ちました〜!」とご機嫌なおそ松さんとデートに浮かれるだけだったので、肝心のデートの内容はさっぱりだ。
おそ松さんが考えてくれてるのかな? それとも、デートしてもらえるんだから、プランは私が考えるものなんだろうか。

 ◇

結局、インドアとアウトドア、どちらになっても対応出来るよう、白い膝丈のワンピースに黒のスキニーパンツ、スニーカーを合わせて待ち合わせ場所に向かった。
普段はしない色付きのリップもして、学校だと禁止だからいつも出来ないけど、髪を少し巻いて。
気合い入りすぎってからかわれちゃうかな。でもおそ松さんのデートで気合いを入れなければ一体いつ入れると言うのか。
鞄から手鏡を出して、最後の身だしなみチェックをする。寝癖なし、ニキビなし、笑顔良し!
よし、これでおそ松さんがいつ来ても大丈夫!

「もういい? 終わった?」
「わっ!おおお、おそ松さん!!」
「驚きすぎっしょ」
「いつからいたんですか……」
「声かけようとしたら鏡見てにこにこしてるからちょっと待ってた」
「普通に声かけてくれてください……はずかしい……」

いきなり後ろから声をかけられて色気もない声をあげてしまう。せっかく、おそ松さんを良い笑顔で迎えて、普段とのギャップにときめいてもらう作戦を立てていたのに……。
おそ松さんは、半袖の白いTシャツに赤いつなぎを着て、つなぎの袖を腰で結んでいた。
松のマークがTシャツに書いてあるけど、どこで売ってるやつかな。私がメンズのブランドに詳しくないだけで、もしかしたらブランドのロゴとかなのかも。

「おそ松さん!今日の服とっても似合ってますね!かっこいいです!」
「んあ? ああ、あんがとね」

俺って何でも似合っちゃうんだよな、と言いながら、おそ松さんは鼻の下を指で掻く。その仕草、かわいいなあ。かわいいって大人の男の人に言ったら、馬鹿にしてるって受け取られちゃうかな。

「あ、おそ松さん!今日のデートはどうしますか?」
「どうしますかって?」
「えっと、どこへ行きますか?」
「ああ、それなら行くとこ決めてるからへーき。こっから歩いていける場所」

そう言っておそ松さんが案内してくれたのは、線路沿いにある釣り堀だった。
入り口で釣竿と練り餌を受け取って、ビール瓶のケースみたいなものを椅子代わりに座る。せっかく新調した洋服でそのまま座るのは少し躊躇われて、ハンカチを椅子の上に敷いた。うう、やっぱりワンピースやめておけば良かったかなあ。でもせっかくのデートだったし、可愛いって思われたかった。特に感想は何もなかったけど……。

「兄弟でよくここ来るんだよね。コントとかしてもちゃんと後片付けすれば許してくれるゆるーいとこだから、俺ここ大好き」

そうなんだ。おそ松さんのお気に入りの場所を紹介してもらえたんだ。そのことに、単純な私は簡単に浮かれてしまう。
おそ松さんの好きなもの、大切なもの。ブラックコーヒー、5人の弟、ここの釣り堀……、もっとたくさん知りたいなあ。……コントってなにかな、お笑い芸人のあれ?

見様見真似で餌をつけた竿を水面に落とし、ふと顔を上げると、線路沿いに立地する釣り堀からは、駅のホームがよく見えた。
あの人は近くの大学の学生だろうか。あの子は高校生かな、暗記用の単語カードを眺めている。予備校へ向かう途中かもしれない。
それを見て無意識に、弧を描いていた唇が真っ直ぐになる。

目を逸らすように下を向くと、さっきから竿が引いていることに気がついた。慌てておそ松さんに声をかける。

「あ、あの!」
「んー?」
「おそ松さん、これ、竿はどうしたらいいんですか?」
「はあ!? お前、ばか!めちゃくちゃ引いてんじゃん!」

おそ松さんは慌ててそばに立てかけてある釣り網を取りに走る。そうしてるうちにも、竿はぐいぐいとしなって、気を抜くと池の中に持っていかれそうだ。
だって、釣りなんて初めてだもん!

おそ松さんの助けもあって、そのあとも小さい鯉を何度か釣ることが出来た。釣れた魚はそのまま生簀に戻す。何匹か持ち帰ることも出来るそうだけど、このあともデートは続くし、うちのお母さんは生魚を捌くのが苦手だから。ぎょろりとした目玉と匂いがだめだそうだ。苦手な人は匂いに敏感だから、帰ったら私も生臭いって言われるかもしれない。

「いやー、けっこう釣れてたね」
「ビギナーズラックですかねえ」

椅子から立ち上がって、お尻の辺りを軽くはたく。うん、良かった。汚れは付いてないみたいだ。魚の匂いも……多分しない。

「大丈夫? 服汚れて母さんに叱られない?」
「平気です! それに、おそ松さんとのデートのための服なので、おそ松さんとデートして汚れたんだったら、この服も本望ですよ」
「また苗字が変なこと言ってる……。あ、そこ滑りやすいから気をつけてね」
「はい!……あっ」

おそ松さんに注意されたそばから、足元のぬかるんだ水たまりにずるりと足を取られて後ろに倒れかける。
訪れる衝撃に身構え、思わず目をつむったけれど、いつまで待てど衝撃は来なかった。

「……え、」
「あっぶな。言ったそばから何やってんの」

おそ松さんが、私を抱きしめるように背中を支えていた。
顔が近い。おそ松さんの、ちょっと呆れたような顔が、ほんの数十センチ目の前にある。こんなに近づいたこと、今までになかった。
顔に熱が集まってくるのが自分でもわかる。熱い。じわりじわりと身体中から汗がにじみ出る。

「う、あ、ご、ごめん、なさい」
「…………」
「お、おそ松さん? っぶえ、」
「……やーい、ぶさいく面」

おそ松さんは、一瞬真顔で私の顔をじっと見つめたあと、片手で私の顔を左右から挟み込んでつぶした。
うの発音の口をしながら困惑する私は、さぞ間抜けな顔だろうけど、どうして急に。
突然の彼の行動に戸惑いながらも、私はにへらと笑っておそ松さんからのスキンシップに喜んでいた。

 ◇

「オクトーバーフェス?」

まだ9月だけど。
次におそ松さんが連れてきてくれたのは、大きな公園だった。普段2人で待ち合わせしているところとは違って、遊具とかはなくて、たまに大道芸とかイベントとかをやっているような場所だ。

「日本でいう収穫祭とかとおんなじノリだよ。今年も美味い酒が出来たぞーってどんちゃん騒ぐの」
「お酒……。私、未成年なんですけど、入っちゃっても怒られませんか?」
「怒られない怒られない。ソフトドリンクもちゃんとあるし」

たしかに、お祭りみたいに出店がたくさんある。初詣とか花火大会とかで出てるようなやつじゃなくて、もっと全体的に欧風の、おしゃれな感じだ。
きょろきょろ辺りを見回すと、周りのお客さんたちも大人の人ばかりだ。背筋を伸ばして、少しでも大人の女の人みたく見えるように振る舞ってみる。

「なんか食いたいのあったら買って食べようぜ」
「あ、じゃあ私、あれ食べたいです!」
「はいはい」

とはいえ、そんなお澄ましは3秒で消えて、目の前の食べ物に夢中になっていた。



私が買ったのはシナモンチュロスにトルティーヤチップス、それからりんごのサイダー。りんごのサイダーは、ドイツ語でアプフェルザフトというらしい。
黄色い炭酸はシャンパンみたいでちょっと大人の気分だ。
おそ松さんはジョッキに入った黒ビールとソーセージの盛り合わせを買って、座る場所が見つかる前からすでにちびちびとビールを飲んでいた。

「いやあ〜、暗くなる前から飲むビールは美味いねえ」

席についた途端にビールジョッキをあおったおそ松さんの鼻の下には、髭みたいに泡が付いていた。
陽は少し沈み始めて、先ほどまでグループも多かったこの空間にカップルが増え始める。
今は私も、おそ松さんとカップルに見えているんだろうか。

「お昼の釣り堀も楽しかったけど、ここは大人の人みたいなデートでちょっとどきどきしちゃいます」
「ふふん、俺大人だからね」

鼻の下に髭みたいに泡をつけて得意げに言うおそ松さんがおかしくて、思わず笑ってしまった。不思議そうにするおそ松さんに、手鏡とティッシュを差し出す。おそ松さんはきょとんとしながら手鏡を見て、手の甲でごしごしとガサツに泡を拭った。
それにまた声を上げて笑いながら、心の中で存在感が大きくなるもやもやを、私は無理やり飲み込むように、アプフェルザフトで喉の奥に流し込んだ。


「いや〜楽しかったねえ」
「はい、すっごく!」

楽しかった一日も、これでおしまい。
家への帰路を一歩また一歩と歩む度に、今日という日が終わっていく。
今日一日、ほんの少し見え隠れしていた不安が、魔法が解けるように少しずつ、少しずつ大きくなり始める。

「……でも、楽しかった分、明日が怖くなります」
「……なんで?」
「こんな風に、楽しんでいてもいいのかなって」
「なーに言ってんの。息抜きくらい誰でもするでしょ」
「けど、私は受験生なのに、」

せっかく楽しかった一日に、水を差すようなことを私は言っている。ああ、おそ松さんを困らせてしまう。
だけど楽しかった分、それが終わったあとが怖くて怖くてたまらない。思わず吐露してしまったこの不安に、おそ松さんは何の関係もないのに。

「今日一日、ずっとそんなこと考えてたの?」
「ち、ちがいます! ずっと楽しかったです! 今までで一番幸せな一日でした!」
「じゃあいいじゃん。明日から『昨日は楽しかったなー』って思ってまたがんばれば、それでいんだよ」

おそ松さんは、ぐしゃりと私の頭を撫でる。大きな掌が、赤ん坊をあやすようにリズミカルにぽんぽんと私の頭を撫でる。
今朝、綺麗に整えた髪型は、すっかり普段通りだった。

「苗字はいつも、ずっとがんばってるんだからさ。俺といるときくらい、もっとのんびりしたってバチは当たんないと思うよ?」

心臓がぎゅうと押さえつけられるように苦しい。今すぐ彼に抱きつきたい。
ああ、私、やっぱりおそ松さんが好きだ。