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野良猫に餌をあげてはいけない



「え……?」

聞き間違いだろうか。見ず知らずの男の人を泊める? そんなこと出来るわけないでしょう

「だーかーらー! お姉さんとこ、泊めさせてよ!寒いしお腹すいたしほんと死にそうなんだって!」
「そ、そんなの無理に決まってるじゃないですか!他当たってください!」

聞き間違いじゃなかった!この人本気だった! 大体この人家は!?そもそもどうしてゴミ捨て場で倒れてるの!?
この人に話しかけてしまったことを、思わず後悔し始める。

「待って!まじで俺帰るとこないんだって!このままお姉さんに見捨てられたらのたれ死ぬよ!?いいの!?死んじゃうよ!? 昨晩話しかけたやつが朝ゴミ捨場で死んでたら絶対気分悪いよ!?」
「うっ……」

それは、そうだけど。たしかに明日この青年がゴミ捨場で死んでたら寝覚めが悪い。いくら知らない人とは言え、そんなの絶対いやだ。でも、見ず知らずの人に泊めてもらうことを検討する前に、他にもっとやりようがあるはずだ。

「カラオケとか、ネットカフェとかでひとまずしのげば、」
「そんなん行く金、あると思う?」

……ですよね。あったらこんな所でぶっ倒れたりしてないだろう。

「ていうか、意味わかんないんですけど……。家は?」
「……もう、あそこには帰れないんだ」

なんか、訳ありなんだろうか。帰れない?どんな状況か想像してみたけれど、服装からして会社をクビになって帰りづらいとかそういうわけでも無さそうだ。じゃあなんだろう……。

「誰も俺のことなんか見てくれない……」

一体何があったんだろうか。彼にどんな事情があるのか私はわからないが、もしここで訊いてしまえば、きっと私はこの人を放っておけなくなってしまう。それは、絶対に避けたい。

ぐう。唐突に、お腹の音が寒空の下に鳴りひびく。私のお腹からじゃない。目の前の彼だ。

「……あ、あー。これ、食べます?」

帰る家はない上に空腹な彼がなんだか可哀想になってしまって、コンビニでさっき買った梅おにぎりを、目の前に差し出した。彼はそれをかっさらうかのように手に取ると、包装を雑に剥きがつがつと食べ始める。その勢いに思わず引いてしまった。

「と、とりあえず、これで餓死はしませんよね。それじゃ」
「でも寒くて死ぬかもしれない」

うう、どうしてこの人に話しかけてしまったんだ、5分前の私は。知りませんって一蹴して、家に逃げ帰ってしまえばいいのに。でもここで見捨てられるような性分だったら、そもそもゴミ捨場で倒れる不審者に話しかけたりしていない。

「お姉さん、面倒見られないのに野良猫に餌をやるなって親から叱られたことあるでしょ。駄目だよ、中途半端に優しくしちゃあ。……まあでも、ほら。野良猫と違って、俺は一晩だけでいいんだって、な?」

確かに言われたことがある。母に何度叱られても、お腹を空かせて鳴く野良猫に小遣いで買った猫缶をあげていたけど。だからって、なんでおにぎりをあげた私が悪いみたいな言い方をされてるんだ。
でも、何か事情があるみたいだし。ここで見捨ててしまったら、本当にこの人はふらっと簡単に死んでしまうかもしれない。

「……朝になったら、出てってくださいね」

「ひゃっほーー!!」

了承した途端、その場で立ち上がり浮かれ始める彼。けったいな舞を踊り始めている。すごくすごく、変人だ。

「あの、夜中なんで……大声やめてもらえますか」
「いやー、本当に泊めてもらえるなんてね!しかも女の子んち!ねえ早く連れてってよ!俺もう寒くて足の感覚とか無くってさー!」

大声やめてって言ってるのに聞いてない。どうしよう、やっぱり断れば良かった。1分前の自分を恨みたい気持ちでいっぱいだ。

「……私の家、こっちです」

ゴミ捨場のすぐ裏の、階段を上る。このマンションの二階突き当たりが私の家だった。1LDKだから、とりあえず居間に寝てもらえばいいよね。あとは、もう少し寒くなったらまた出そうと思っていた予備の毛布がクローゼットにしまってあるはずだ。

ああ、どうして私は見知らぬ人の寝床を考えてるんだろう。コンビニで買ったおにぎりと味噌汁食べて、シャワー浴びて、寝るだけだったのに。おにぎり1個あげちゃったし。仕事でクタクタの私にこんなこと強いるなんて、神様は意地悪なんじゃないだろうか。べつに神様なんて信じてないけど。

「お姉さん名前は?俺は松野おそ松!」

まつのおそまつ。おそまつ。お粗末?不思議な名前だ。少なくとも私の人生で彼と同名の人は聞いたことがない。
コートのポケットから鍵を取り出し、扉に差し込む。

「一晩だけですから教えなくてもいいですよね?」
「あ!苗字ちゃん?苗字ちゃんって言うんだ!」

あっ、しまった表札……。玄関扉の横に付いた表札を見られてしまった。別に苗字とかプライバシーとかどうだっていいけど、名前を教えることで、一晩泊めるだけの関係ではなくなってしまう気がして、少し嫌だ。

「おじゃましまーす」
「……」

もうさっきから後悔でいっぱいだ。行倒れてると思ったら普通に寝てただけだったし、なんかやたらハイテンションだし。付いていけない。

絶対絶対、朝になったらベランダから投げ捨ててでも帰ってもらおう。