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うるせえ帰ってこい



平日の22時半。現在タネから手作りして餃子を量産している。明日も仕事だからニンニク抜きだけど、これはまあ仕方ない。我慢だ。
今までは、朝起きられるか不安で夕飯は簡単に済ませていたけれど、起こしてくれる人がいるという安心感は食生活も変えるのだなと、不思議に感心した。

「名前ちゃん、冷蔵庫ん中にビールある?」
「無いです」
「飲みたい」

うちにビールが無いことなんて、冷蔵庫を毎日覗いているんだから知ってるだろうに。松野さんはどうしてもビールが飲みたいらしく、床に転がって駄々をこね始めた。お願いだからせめて手を洗ってからにしてほしい。

「やだやだビール飲みたいー!餃子と言ったらビールだろ!なんで無いの!」
「私お酒飲む習慣ないですから。松野さんこの間短期バイトしてたでしょう、そのお金で焼いてる間に買ってきたらどうですか」
「あれは馬に消えた」

どうして一日の労働で得たお金を一瞬のギャンブルに費やしてしまうのだろう。自分には理解しがたい感覚だった。
私がタネを作ってから、二人で包んで作り上げている共同制作餃子は、既に大皿の4分の3を埋めていた。もう少しで全部包み終わるだろう。あとは焼いて食べるだけ。サラダもスープも完成しているから、餃子を焼くときに隣のコンロでスープを温め直せばいい。つまり、あと10分もすれば夕飯の支度はおしまいなのだけど。

「いいじゃん!華金だよ?金曜日だよ?ビールくらいいいじゃん!」
「華金も何も、私は明日も仕事ですから関係ないですってば……。もう、仕方ないなあ。じゃあお金渡すから、好きに買ってきてください」
「やーりぃ!名前ちゃんは?なんかいる?」
「私はいいです。……あ、やっぱりお茶買ってきてください。2Lのやつ」
「ここぞとばかりに重くてかさばるやつ頼むね」

当たり前でしょう。本当は2本くらい頼みたいけれど流石に配慮しているのだ、有情だと思ってほしい。
一度水道で丹念に手を洗ってから、鞄の中の財布を出す。1000円札を渡そうとしたが、あいにく持ち合わせに細かいのがない。

「5000円札渡すので、お釣り持って帰ってきてくださいね」
「使っちゃダメ?」
「ビールとお茶だけ買ってきてくださいね」

にこりと笑って言えば、諦めたのかはいはいと松野さんは返事をする。
ふと、明日は会社の同期から飲み会に誘われていたことを思い出す。二日酔いが怖いし、ウコンか胃薬でも松野さんに頼んで買って来てもらおうか。玄関で靴を履いている松野さんの背中に声をかけた。

「松野さん、あと、ウコンも買ってきてもらえますか?」
「ウコン?なんで?やっぱ名前ちゃんも飲む?」
「いえ、明日会社の同期との飲み会があるので、用意しておこうかなって」
「飲み会?めずらしいね。次の日大丈夫?」
「明後日はお休みだから大丈夫です」
「ふーん、まあそれならいいけどさ」

松野さんは笑いながら、「ビールとお茶とウコンとつまみなー」とこちらを振り返らず前を見ながら片手をひらひらと振り玄関を出た。勝手におつまみ増やしてるし。餃子があるんだから買ってこなくていいのに。

餃子作りに1人戻る。皿を見ると、自分が包んだ右側の餃子と、松野さんが包んだ左側の餃子で形が随分と違っていた。ただ、左側の餃子も、何度も包むにつれ慣れてきたようで少しずつ成長が伺えて微笑ましい。これだけあれば、彼の明日の夕飯も餃子で済んでしまうかもしれない。

松野さんには同期での飲み会と言ったものの、本当はただの合コンだ。私の同期の女子数人と、どこだかの企業の男性陣で飲むらしい。仲の良い同僚に、女子が1人足りないからお願いと頼まれて、断りきれなかった。それだけだ。まあ恋人を作る予定はないし、合コンに来るような人はタイプではないので、特に何もなく食べて飲んで帰るだけだろう。
けれど、その合コンに何か期待したりしているわけでもないのに、何故だか合コンへ行くということをとっさに隠してしまった。彼は別に私の恋人でもなんでもないのに、後ろめたいと、そう思った。何故だろう、考えても分からない。

黙々と1人で単純作業をしていると、悶々としてしまってよろしくない。もう焼こう、全部焼いてしまおう。パリパリの餃子を焼こう。


餃子を焼き終えて、皿に移したころに帰ってきた彼の手には、黄色いビニール袋があった。それは別にいい、コンビニだろうとドラッグストアだろうとディスカウントストアだろうと、頼んだものを買ってきてくれるならどこでもいい。ただ、どうして余計なものを買ってきてしまったのだ。

「これは……?」
「八海山!いやーなんか飲みたくなってさあ、5000円札あるじゃん? ドンキで3800円で売ってたからもうこれは運命だと思ってさー!あ、心配しないで!ちゃんと頼まれたのも買ってきたからさ!」
「は、八海山?」

日本酒の一升瓶。日本酒にはあまり明るくないので詳しくは知らないが、居酒屋の飲み放題で一合800円くらいだった気がする。なるほど、一升だとそのくらいの値段になるのか。やっぱり居酒屋は利益もあるから割高なんだな。割とどうでもいい知識を身につけてしまった。

「……お釣りは、」
「ない!」
「レシート」
「捨てちった」
「……もう絶対、松野さんには最低限のお金しか渡しませんから」

全く人の金だと思って好き勝手使ってくれちゃって。この間の買い物は生活に必要だから糸目を付けず買い込んだのだ。嗜好品となれば話は別だし、勝手に使われたら困る。
期間不明の居候から同居人へと変化したからか、最近は彼の挙動の小さなことに対していちいち苛立ってしまう。お互いが遠慮しなくなった、彼が段々家に慣れてだらけ始めた、素を見せ始めたというのも原因の一つかもしれない。

餃子が焼けたっていうのに、彼は瓶に入った日本酒をコップに手酌してちびちびと飲んでいる。どうやら一緒に買ったらしい塩辛をつまみに晩酌するようだ。

「……餃子、食べないんですか」
「これを餃子と一緒に呑むのは、八海山に失礼だと思わねえ? あ、名前ちゃんも飲む?」
「……結構です」

せっかく、せっかく作ったのになあ。松野さんが肉餃子がいいって言ったのに。そりゃあ私も食べたいから作ったものではあるけど、それでもきっと彼なら喜んでくれると思っていた。
あーあ。餃子に合わせてビール買ってきたんじゃないの?焼きたてが一番美味しいのに。
なにが「飲まないの?勿体ねー」だ、馬鹿。もういい。

「……別にいいですよ。明日は私だって八海山でも黒霧島でも飲んでやります。お金は男の人側が持ってくれるらしいし、滅多に飲めないお酒たくさん飲んできますから精々一人酒楽しんでればいいですよ」
「えっ? さっき名前ちゃん同期の飲み会って言ってたじゃん!なにそれ、合コンするってこと?!」
「まあそうですけど。ただ同期の子たちと一緒に、知らない男性とごはん行くだけですよ」
「ようするに合コンじゃん!なんだよそれ!」

何だかむしゃくしゃして、ひねくれた言い方になってしまう。私は何を言っているんだろう、まるで彼氏にやきもちを焼いてほしい、面倒な女の子みたいだ。ああ駄目だ、別にこんなこと言いたいわけじゃないのに。

「私が合コンに行くからって、どうして松野さんが怒ってるんですか?明日のご飯だって餃子があるし、問題ないでしょう」
「そういう話じゃねえって!」
「じゃあ何なんですか?」
「合コンなんか認めねえ!名前ちゃんなんかすぐ男に持ち帰られるわ!言っとくけど、名前ちゃん自分が思ってるよりしっかりしてるわけじゃないからな!?」
「はあ!?私がそんな知らない男性とすぐ寝るような女に見えるんですか!?」
「ちげーよ!とにかく絶対絶対、明日家帰ってこいよ!泊まりとか許さねえからな!」
「何を偉そうに!松野さんに何の権限があってそんなこと言うんですか!私の家なんだから帰ろうが帰るまいが私の勝手でしょう!」
「うるせえ!帰ってこい!」

なんなんだ。勝手に高い酒買ってくるわ、餃子は食べないわ、勝手に人のことを尻軽扱いするわ。もう知らない、夜中におなか減って困ってしまえ。私が美味しいお酒とご飯を食べているときに一人虚しく餃子食べてろ。

売り言葉に買い言葉だった。合コンに行くことは伏せたままでいるつもりだったのに。大体どうして松野さんが怒っているんだ。訳が分からない。餃子というくだらない理由でなぜこんなにも口論になったのか。
その日は、彼が家に来てから初めて、何も言葉を交わさず床についた。