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まだあそこにいていいんだ?



「名前ちゃん、6時だよ」
「んん……、あー、今日、休みなんです……」

松野さんに蒸しタオルを顔に当てられ、無理矢理夢から覚醒させられながら答える。そういえば休日なことを言い忘れていた気がする。
一週間前の休みは寝込んでしまったから、久々に自由な休日だ。何しようかなあ。お昼まで寝てもいいし、買い物にも行きたい。それに、美味しいごはんも食べたいなあ。まだ6時なら、可能性は無限大だ。休日ってすごい。

「そうなの? じゃあ今日1日ダラダラする?何なら俺添い寝してあげよっか」
「んーとそうだなあ、……買い物。買い物します。ショッピングモールのとこ」
「……え、」
「だから、えっと、あと3時間したら起こしてください……」

おやすみなさい。ばたり。ベッドに身体を委ねる。二度寝出来るって、本当に幸せだなあ。お布団暖かい。ぬくぬく。
私はすっかり二度寝の魅力に夢中で、松野さんの表情が翳ったことに気がつかなかった。


  ◇


「松野さん、お待たせしました、買い物行きましょうか」
「……俺も、行くの?」
「行きます。こないだ洗ったパーカー、もう乾いてますからそれ着てください」

3時間後、いつものように気持ちよく起こしてもらい支度をささっと済ませる。
松野さん、どうしたんだろう。朝からずっと元気がない気がする。お腹でも痛いとか?でも悪いご飯を食べさせた記憶はない。調子が悪そうには見えないけど、何かあったのかな。

バスに乗って、私のアパートから30分のショッピングモールへ向かった。
出来て2年くらいのそこは、多くのテナントで賑わっている。まずは食器屋さん。洋服も買い揃えたいな。そのあとメンズ物のシャンプーや髭剃りなどの衛生用品を買って、布団も必要だ。ソファベッドを買ってもいい。スーパーで夕飯の買い物をするのは最後だ。今日は時間がたっぷりあるし、張り切って自炊しようと思う。車じゃないし、大きい荷物は宅配サービスを頼まなくちゃ。
次の休日は松野さんのものを買い揃えるために1日を費やそうと、ずっと考えていたのだ。ようやく時間が取れた。今までラグに毛布で寝てもらっていたけれど、あれじゃあゆっくり眠れなかっただろう。洋服だって2、3枚を着まわしていた。

食器を数多く揃える店舗に向かう。

「松野さん、お茶碗どれにします?あとお椀とコップ。気に入ったのがなければ他のお店も見ますけど」
「……?俺の、買うの? なんで?」
「なんでって、いらないんですか?これから暮らすのにないと不便だと思いますよ」
「待って、待って名前ちゃん。今日、新しい目覚まし時計を買いに来たんじゃないの?」
「松野さんがいるのに、どうして目覚まし時計を買う必要があるんですか」

何言ってるんだろう。松野さんに起こしてもらう以上の目覚ましは無いのに。
松野さんはぽかんとしている。こう言うのなんて言うんだったかな、鳩が豆鉄砲食らったような顔?あれ、食っただったかな、どちらだろう。

「名前ちゃんって、よく分かんない。変わってるよね」
「松野さんだけには言われたくないですね」

あ、クレープ屋さんだ。寄ってこ。

その後もたくさんのお店に立ち寄って買い物をした。
掛け布団を羽毛布団にするか羊毛布団にするかで少し口論になった。松野さん曰く、軽すぎて怖くない?暖かくなさそうとのことだったけど、値段を見ると即座に羽毛がいいと意見を変えていた。人の金で高い物買ってもらうのは最高だよなと言っていたけれど、それを、金を出す人の前で躊躇いなく口に出すところが松野さんらしいなと感心してしまった。付き添ってくれた店員のお姉さんには哀れむような目で見られた。違います、貢いでるわけじゃないです。

「ふー!たくさん買ったな!名前ちゃんが!」
「必要なのはこれで全部ですかね」
「名前ちゃんってさあ、実はお金持ち?」
「お金持ちって程じゃないですよ、収入は少なくないとは思いますけど。まあ、人1人増えたところで生活水準は余裕で維持できる程度には」
「すっげー! 何なら俺のことも養ってよ」
「今も養ってるじゃないですか」
「そうだった」

荷物は大方宅配をお願いした。今日の21時ごろには届くそうだ。今日から松野さんはラグじゃなくてソファベッドで眠れるだろう。そろそろエアコンをかけても寒いだろうし、今日買えて良かった。

次のバスまではあと10分。ベンチに2人並んで座る。
あのさ、名前ちゃん。
松野さんが私の名前を呼んだ。この人はよく私の名前を呼ぶ。彼の声はなんだか心地が良くて、優しい。自分の名前を呼ばれるのが気持ちいいと思ったことは初めてだった。

「俺さ、今日名前ちゃんが休みだって聞いて、この生活も終わりだなって思ったんだよね。名前ちゃんが俺を家に住まわせてくれるのって、要するに目覚ましが壊れて朝寝坊しちゃうからじゃん?だから、休みの日に目覚まし時計が新しく買えたら、もう追い出されるんだろうなって思ってた。……でも俺、まだあそこにいていいんだ?」

松野さんが、私の意思を確認するかのようにゆっくりと尋ねてくる。そうか、松野さんが朝元気がなかったのは、そんなことを考えていたから。
まだあそこにいていいかだなんて、そんなの、決まっているのに。

「松野さん、あのね。今から少し恥ずかしいことを言うので、私の顔見ないで聞いてください。……私ね、明日から松野さんがいないと、寂しいです。帰ってきて真っ暗な部屋にただいまって言うの、嫌なんです。松野さんがおかえりって言ってくれなきゃ嫌です。毎日松野さんに出迎えてほしいし、送り出してほしい。おはようもおやすみも言ってほしい。あなたが思っている以上に、私の中の松野さんの存在は大きいんです。私が帰る場所に、あなたがいてほしい。だから」

だから、ずっとここにいてください。

「……うん」

夕陽が眩しい。逆光で松野さんの表情は見えない。でも、夕陽がきれいでよかった。私の顔が赤くなっているのを、夕陽のせいに出来るから。
まるで愛の告白みたいな言葉だった。でも、本心だった。松野さんがいないと、私、いやだ。