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当たり前だろ男の子だもん



AM8時。そろそろ名前ちゃんを起こす時間だ。

俺を養ってくれている彼女は、朝がひどく弱い。彼女を起こすには、寝起きが悪い一松を起こすのに慣れた俺でも、一苦労だ。
今日の仕事は休みとのことなので、きっと彼女は1週間で溜まった洗濯物を片付けたり、掃除をしたり、昼飯や夕飯を作ったりして1日を過ごすのだろうと思う。仕事をして、仕事が休みの日は溜まった家事をこなして。あのままだと疲労で倒れてしまうんじゃないだろうか。
じゃあお前が家事をやれって? 残念だけどそれは難しい相談なんだよなあ。俺は一度洗濯を頼まれて、脱衣所を水浸しにした男だよ?あれ以来、何もしなくていいと名前ちゃんからのお墨付きだ。

フェイスタオルを水で濡らして、ラップで包む。レンジで1分温めれば蒸しタオルの完成だ。彼女に声をかけて、有無を言わさずこのタオルで顔を拭く。彼女はその間されるがまま。普段あんなに凛としているのに、寝起きだけはあんなに無防備な姿を見せてくれる。俺だからいいけど、あんな可愛い姿見せたら、他の男だったら襲われても仕方ないと思うよ?

「名前ちゃーん、ほら朝だよー」
「んぅ……」
「ほら、今日こそゴミ出しするって言ってたじゃん。なんだっけ、燃えるゴミ?資源ゴミ?」
「まつのさん……」
「ん、なに?起こして欲しい?だっこ?」

冗談で手を差しだし待ち構えてみれば、ぼんやりと目を開けた彼女が、手を広げる。え。

「え、? あ、ほんとにだっこ? するの? して平気?いいの?」

名前ちゃんは眠いと頭が回らなくなるらしい。頭が回らなくなるというか、ただでさえ少ない危機感がいつもの半分になるというか。していいなら抱きつくよ?過剰なくらい引っ付いて抱き起こしちゃうよ?

この前も、眠そうにする彼女に冗談で「運んであげるから寝ていいよ」と言ったら、本当に俺の肩で寝られてしまったことがあった。
何でもない風を全力で装ってはいたけど、あのときの俺の気持ちわかる?可愛い女の子が俺に全幅の信頼を置いてくれる状況で、お姫様だっこした俺の気持ち、わかる?手は出せないのに、女の子の風呂上がりの良い匂いとか柔らかい身体とか、どことは言わないけど特定の部位に思いがけず手が触れてしまったときの感触とか、全てが五感を刺激するの、地獄だよ?ベッドまで運んだあと15分間トイレこもったわ!当たり前だろ!男の子だもん!
閑話休題!

「……からだ、なんか重くて……」

ひとまず彼女の手を取ると、違和感を覚えた。何度か彼女に触れたことはあるけれど、寝起きとはいえもっとぬるい体温だったと記憶している。

「名前ちゃん、ちょっと失礼」

一言断って彼女の前髪をかきあげ、額に触れる。熱い。38度くらいはありそうだな。

「うぅ……松野さんの手、ひんやりしてきもちいいですね……」

心なしか彼女の口ぶりも舌足らずだった。まあ名前ちゃんの寝起きはいつもこんなんだけど。
彼女が俺の掌の上から、自分の両手を重ねて額に押し付ける。掌から、彼女の熱が伝わってきた。じんわりと汗で湿った額と、熱を持った掌に挟まれて、俺の手がすぐにぬるくなる。

「あー、風邪かな、こりゃ。今日休みなんだし、ゆっくり寝てなよ」
「あ、でも……ゴミ捨てと、あと、せんたく、」
「いいから!はい寝てろ!」

最後は乱暴に布団を顔の半分までかけた。わあ、なんて可愛い声が布団から聞こえる。
こんな状態のときにまで、彼女は働こうとするのだ。俺が言えたことじゃないけど、もう少しくらい頼ってくれてもよくない? まじで、俺が言えたことじゃないんだけどさあ。あーあ、これから少しくらい俺も家事覚えてこうかなあ。いきなり料理とかはちょっとハードル高いけど、買い物とかゴミ捨てくらいは出来ると思う、多分。少しでも彼女の負担を減らしてやりたいと思った。俺が何よりの負担であろうことについては、全力で!目を!そらす!


「俺、ちょっと買い物行ってくるから。ちゃんと寝てろよー?帰ったときにもし起きてたら怒るからな!」

強く言わないと、真面目な彼女は体に鞭打って洗濯を始めそうだ。
彼女の部屋を出て、買い物の支度を始める。彼女が以前何かあったときのためにと置いていった万札が玄関に置いてあったはずだ。何が必要だろう。冷却シートに、レトルトのお粥、ゼリー、ポカリスウェット、ビタミンドリンク。あと氷枕もこの家には無さそうだな。ドラッグストアまで行けば薬も売ってるよな。


  ◇


「ただいま、名前ちゃん。枕変えるから少し頭上げるよー」

寝ている彼女の頭を持ち上げて、羽枕を氷枕にすり替えると、気がついたのか、名前ちゃんが目を覚ました。

「おはようございます……」
「ちゃんと寝てたな、えらいえらい」

いつものように頭を撫でる。今日は寝ているから、おでこから頭頂部にかけてだけど。

「へへ、松野さんの手、つめたくてきもちーです」

ふにゃりと笑う名前ちゃん。もっと、と小さい口でつぶやかれた。今日の名前ちゃんはひどく甘えただ。普段はすぐに照れてしまう彼女の珍しいお願いに応えて、ゆっくりと彼女の額を撫でる。掌に彼女の体温が移り温くなったので、途中で手の甲を使って撫でると、くすぐったいのか身じろぎながらくすくすと可愛らしい声をあげた。困ったな、冷却シートも買ってきたのだけど、こんなに可愛いことをされると貼りたくなくなってしまう。まあでも、寝たおかげで、少しは元気になったのだろうか。

「お粥あるけど、食べられそう? 薬もあるよ」
「おなかすきました。食べたいです」

小さな頭がこくんと頷く。じゃあ温めてくるか。湯煎くらいなら俺にもできる、大丈夫、キッチンを水浸しにはしない。ヤカンでお湯を沸かすのはインスタントラーメンで慣れてるんだ。


その後、無事レトルトの玉子粥を茶碗によそうことに成功した俺は、ふうふうと息で冷ます名前ちゃんをガン見して居心地悪そうにされたり、「あ、身体拭く?タオル持ってくるよ、俺全身吹いてあげよっか」と冗談で言って、何も考えてなさそうな名前ちゃんに「じゃあお願いします」と言われて困り果てたりするなどした。大体自業自得!


「ふう、じゃあもう薬も飲んだし、今日は寝な」
「んん、んー、はい」

何か物足りなさそうな、少し不満がありそうな、そんな顔をされた。

「ん? なんか食べたいのとかある?アイス買ってこようか」
「ええと、そうじゃなくて」

じゃあ林檎?ごめん俺皮剥けないやと言えば、違う違うと首を横に振られた。一体どうしたと言うんだろうか。普段会話の途中で臆したり言いよどんだりすることの少ない彼女のこんな姿はレアなので、黙ってじっと答えを待つ。

「……もうちょっとだけ、そばにいてくれませんか」

申し訳なさそうな、遠慮がちの声でそう呟かれた。気恥ずかしいのか、布団で目元までを覆っている。なにそれ。なにそれ、なにその可愛いやつ。思わず真顔になると、勘違いしたのか、「あ、風邪うつっちゃいますよね、何でもないです、ごめんなさい」とまくしたてる。

「いるよ。名前ちゃんが寝付くまで、ずっとここにいる」

そう返せば、途端にほころんだような笑顔を見せた。

「風邪を引いたときって、なんだかこころぼそくて、だから、松野さんがいてくれて、よかった」



額に浮かんだ彼女の汗を、タオルで拭う。熱が苦しいのか、息が荒い。うとうとしている姿を見て、愛しいという感情がこみ上げた。
少しかがんで、彼女の小さな額に口付ける。

「なんですか……、いまの」
「んー? よく眠れるおまじない」

何でもない顔をしてにかっと笑って言えば、名前ちゃんは真顔でなるほど……、と言って納得したようだった。布団をかけ直し、腰掛けていたベッドから立ち上がる。

「ゆっくり休みなね。おやすみ」
「はぁい……」





彼女が眠りについたことを確認して、音を立てないよう静かに部屋を出る。部屋のドアを後ろ手に閉め、一息。深呼吸ー。吸ってー、吐いてー。


…………。
うっわーーーーー!!!!
なにあれ!俺何やってんの!何やってんの!?
なんだ寝る前のおまじないって!でこチューって!意味わかんねえ!あのカラ松でもあんなキザなこと言わねえぞ!あのトド松でもあんなたらしみたいなことしねえぞ!訳がわからん!俺何してんの!?名前ちゃんも「なるほど」って!なるほどじゃねえよ!風邪とは言えもっと疑問持ちなよ!つーかそんな弱ってる名前ちゃんに手ぇ出す俺ってなんなの!?だってすげえ可愛かったんだもん!あれは仕方なくない!?あんな可愛い名前ちゃんが悪くない!?今日の名前ちゃん全体的に可愛すぎない!?あれはずるいでしょ、あざといとかそんな甘っちょろい話じゃないよ、可愛いっていう概念を見せられたよ!?

自分が先ほどしでかした言動を振り返って、羞恥で思わず顔を手で覆い隠した。気がついたら何故か、彼女の額に口付けていたのだ。本当に、下心も打算も何もない、ただただ、愛しいと、そう思った。あ、ごめん嘘、下心は少しだけあったかもしれないです。
潤んだ瞳、赤らんだ頬、荒い呼吸、かすんで舌足らずな声、熱を持った体温。全てが、俺を誘惑しているように見えた。思い出した今でも、思わず顔が紅潮する。全身の体温が上がり、汗が噴き出ているのが分かった。名前ちゃんの熱が移ったんじゃないかと思うほどだ。

あ、あー……。
……だめだ、うん、トイレ行ってこよ。