小説
- ナノ -




恋愛遍歴、聞きたいなー



おかげさまで大事なプレゼンも終わったし、仕事はひと段落ついた。今日は少しくらいゆっくりしようかな。
そう思って、風呂上がりにアイスを食べて一息入れていると、私の後に風呂へ入ってそしてすぐに出てきた松野さんが寄ってきた。男の人ってシャワーの時間短いなあ。

「あ! アイス食べてる!しかもハーゲンじゃん!俺のは!?」
「冷凍庫に入ってますよ」
「やったー!さすが名前ちゃん!……あ。やっぱやめた。一口ちょうだい」

そう言って松野さんは、冷蔵庫に向かって歩き出した足を止め、あ、と大きく口を開けてテーブルの側にしゃがみ込んだ。

「え?」
「一口ちょうだい」
「あ、……はあ」

この銘柄のアイスを買った時にだけ付けてもらえるプラスチックの特製スプーンで少し大きめに一口分をすくい、彼に手渡そうとしたが、スプーンは受け取ってもらえなかった。どうやらこのまま食べさせろということらしい。
仕方なくスプーンを彼の口の目の前まで差し出すと、嬉しそうにスプーンを咥えた。

「あむ、……うめー!家にいた時はニートだったしこのアイス滅多に食えなくてさ、競馬で勝ったときに弟たちの目の前で自慢気に食ってやるのが何より最高なんだよねー。まあ俺にも食わせろって喧嘩になるけど」
「そうなんですか……」

一人っ子だった自分は、アイスを取り合って喧嘩というものを経験したことがなかった。なるほど、兄弟が多いとそういうことが起きるのか。
松野さんは、あれ以来自分が家にいたときの話をたまにしてくれるようになった。心を開かれているような気がして少し嬉しいし、単純に彼のお話は面白い。

「名前ちゃんはさ、どんな家で育ったの?」

私の家、私の家か。松野さんみたいにそう楽しい話が出来るわけでもない。

「普通の核家族ですよ。母親と父親がいて、私がいて、3人家族です。私は大学から上京してきたので、もうかれこれ6年は一緒に暮らしてないですけど。」
「大学から6年ってことは、名前ちゃんいくつ?24?」
「はい、早生まれなので年が明けて誕生日を迎えたら24です」
「ふーん……。あ、ねえ、俺っていくつに見える?」

いくつだろう。同じくらいの年代であることは間違いないと思うのだけれど。
彼の年齢を想像してふと思う。今まで敬語を使っていたけれど、彼が実際年下だったら、私は彼に対してタメ口を使ったりするんだろうか。想像がつかない。もし彼が年下でも年上でも、私は彼に対して敬語を使う気がするし、松野さんと呼ぶ気がした。

「うーん、20代前半かとは思うんですけど。あ、でも精神年齢は12歳くらい?」
「ひっど!名前ちゃんわりと辛辣じゃない!?」

ふふふ。ここ数日で、お互いずいぶん気心が知れてきたので、冗談も言い合うようになった。打てば響くように答える彼との会話は楽しい。でも、彼の衣食住を世話していると、たまに子供と暮らしているかのような気分になるのは事実だ。子供みたいで、私がいなかったらどうなるんだろうと不安になる。これが母性本能ってやつなのだろうか。
結局、年齢を尋ねても、拗ねてしまった松野さんは教えてくれなかった。

それから私たちは、アイスを一口ずつ食べながら、自分の話をお互いに話していった。

「名前ちゃんって甘いの好きでしょ。バレンタインとか俺にチョコ作ってよ」
「甘党なのとチョコを作ることって関係ないでしょう」
「細かいことはいいじゃん。ちょうだいよ。俺憧れてたんだよねー、本命チョコ」
「松野さん、本命チョコもらったことないんですか?彼女がいたことは?」
「あ!なに!?俺の恋愛遍歴興味ある!?聞きたい!?聞きたい!?」
「いえ、そこまででは」

あまりの勢いに少したじろぐ。本命チョコを貰ったことがないと聞いてふと質問しただけだった。他意はない。

「なんで!聞いてよ!」
「……松野さんの恋愛遍歴、聞きたいなー」
「しょうがないな、じゃあ名前ちゃんにだけ話すけど。俺、初めてを捧げるのは、結婚を決めた女の子って決めてるから、それまでは」
「あ、ごめんなさい。ティッシュ取ってもらえます?手にアイスついちゃって」
「雑!名前ちゃん雑過ぎ!ティッシュはい!」

だって、聞いてほしそうにするから何か面白い話かと思ったら、ただ単に今までいなかったってだけの話でしょう。

「名前ちゃんは?」
「え?」
「名前ちゃんはいたことあるの? 彼氏」

彼氏。彼氏か。23年生きてきて、そう呼べる存在がいたのは一度きりだ。

「……いましたよ、1人」
「いたんだ!なんで別れちゃったの?」
「ええと……『お前って一人でも生きていけそうだよな』って言われて、それで、新しい彼女を作られてました」
「うっわー!!まじで!そんなクズいるんだ!やっべえ!」

面白いのか、手を叩いて笑う松野さん。彼の脳内に遠慮や配慮という言葉がないというのは、今までの生活で思い知っている。下手に同情されたり慰められたりするより気が楽だ。

……恥ずかしいから言わないけれど、振られたときはそりゃあもう荒れた。初めての彼氏に初めて振られて、仕事のとき以外は家にずっと引きこもっていた。「一人でも生きていけそう」って何よ、自立っていいことでしょう。彼の新しい彼女は、可愛らしくて守ってあげたくなるような子だと、大学の友人から噂で聞いた。

「それが、1年くらい前ですね。大学のときから付き合ってて、就職して半年で別れたので、それ以来はずっといません」
「ふーん……。大変だったんだなあ」

松野さんが私の頭を手のひらで優しく撫でる。彼はことあるごとに私の頭を撫でる。時には「お疲れさま」と言って、時には「頑張ったな」と言って。彼にとっては単なる労いなんだろうけど、こんなの元彼からも、大人になってからは両親からもされていない。慣れていなくて、いつも反応に困ってしまう。
彼の手が、私の髪の根元をかきあげて上から下に梳かす。気持ちが良くて眠くなってしまう。撫でられている猫もこんな気分なのだろうか。がくんと舟を漕ぐ。頭が重たくて、彼の肩にもたれかかってしまった。

「松野さん、それ、眠くなります……」
「寝てもいいよ、運んでやるから」

そっか、運んでくれるのか。じゃあもういいや、今日はこのまま彼の肩で寝てしまおう。

「おやすみ、名前ちゃん」

おやすみなさい、松野さん。

彼の肩に体重を預け、私は意識を手放した。