小説
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鬼さんこちらは聞こえない



良守にずっと片想いしていたはとこの女夢主が、良守と時音を見ているのが辛くなり原作完結後に姿を消す話



「もー、いーかーい!」
「まーだだよー!」

小学校の裏山に、十に満たない幼い子供たちの声が飛び交う。名前は鬼に見つからないよう、身軽さを活かして背の高い木に登っていた。鬼といっても、烏森の地に集うような妖の類いではない。子供遊びの隠れ鬼の話だ。名前が目をつけたこの場所なら、生い茂る葉に紛れて下からは見つかりづらいし、普通の身体能力の子供ではそうやすやすと上ってくることはできまい。
少し離れた場所に住む名前が、ほぼ初対面の顔ぶれに交じってこうして児戯に参加しているのは、他でもない良守に誘われたからだ。良守の学友だという彼らと彼女は学区も違うし、彼らの属性も趣味もなにも知らない。一緒に遊びたいかと問われたら、正直良守と二人で遊んでいる方が気楽だし、何より楽しいに決まっている。けれど、「お前も俺以外の友だち作れよな」と当の良守に連れ出されてしまえば、拒むことなど出来なかった。

「良くんはどこに隠れたのかな……」

ぼそりと小さい声でつぶやき、視界の広い高所にいるのを良いことに名前は辺りを見回す。先ほど鬼の問いかけに応える形で、他の子どもの声に混じって聞こえた良守の声は、たしかあちらの方角だった。見当をつけて上から見下ろしてみると人の動きは一目瞭然だ。あそこの倒木の陰でこそこそ動いているのは二つ結びの女子。草むらに伏せているのは、帽子をかぶった男子。一瞥しただけでは良守を見つけることは出来なかった。遊びに対しても全力で挑んでいるのだろう。このあと夜にお仕事なのに、今から全力で遊んで大丈夫なのかな。同い歳でありながら妹のように可愛がっている名前を年長ぶって連れ出した良守が、いつもよりもやる気に燃えていることに、彼女本人はまだ気が付いていなかった。

元来、かくれんぼという遊びは性質上その場をよく知る者が有利である。隠れ家に相応しい場所、そして隠れ家として人が認識する場所を知り尽くしているからだ。見つける側としても隠れる側としてもアドバンテージがある。今日の飛び入り、悪く言えば外様である名前はその点、圧倒的に劣勢なはずだった。
しかし、病弱でまだ幼いながらも、名前とて術者のはしくれだ。身体能力なら一般人に後れを取ることはない。


……負けるつもりはなかったけど、ここまで見つかんないとはなあ。
「もういいよ」の合図から三十分が過ぎた。文字通り高みの見物をしている名前は、状況の変わり映えのなさに退屈して、思わずため息をつく。否、眼下で繰り広げられる隠れ鬼の情勢は刻一刻と変化しているのだが、彼女はこの遊びが始まってから一度も見つかることなく、場所の移動すらせず木の枝に腰掛けているままだった。誰も名前を見つけられないのだ。まさか、良守が突然連れてきた新入りの内気そうな女子が、目の届かぬほど高い木の上に位置取っているなど、誰が想像できるだろうか。
良くんは友だちを作れって言ったけど、これじゃいっしょに遊ぶって言わないんじゃないかなあ。
名前の友だちを増やしてやりたいという良守の目論見に応えるのであれば、もう少し子供じみた、見つかりやすい場所に隠れるべきなのだろう。けれど、それをしたらきっと良守は怒る。真剣に取り組め、手を抜くなと名前を叱るだろう。これじゃ八方ふさがりだよ、良くん。はあ、と空を見上げて、ため息をついたそのときだ。

「名前、見っけ!」
「っ、わ、良くん!?」

突如ななめ下から聞こえた聞きなれた声に、思わず名前の肩が跳ねあがる。慌てて声の方向に目を向けると、良守が横の木から名前が腰を下ろす枝に飛び移ろうとしているところだった。少し目を離しているすきに、良守が鬼になっていたのか。慌てて名前は枝から滑るように地面に飛び降りて、土の上に片膝をつく。大丈夫だ、隠れ鬼は見つかっただけでは終わらない。鬼に触れられるまで捕まったことにはならず、逃げることもできる。ワンテンポ遅れて木から降りてくるであろう良守から逃げきれば良いのだ。急いで立ち上がり走り出すと、正面から二つ結びの女子が走ってくるところだった。よかった、これでこの子がターゲットになれば私は逃げきれる。そう思って、違和感に気が付いた。
隠れ鬼はその名の通り、息を潜めて隠れるのが定石だ。鬼から逃げているわけでもない限り、少なくともバタバタと大胆に走り回るのは下策に違いない。ならば鬼でないはずの彼女は、なぜこうも鬼がいる方向へ、大っぴらに走っている?

「やったあ! 名前ちゃん、つかまえた!」
「ええっ!?」

正面からぎゅうと抱きしめられ、少女が口にした言葉に、名前は混乱する。だって今は、良くんが鬼じゃ──。

「よーし、逃げるぞ! 次は名前が鬼だー!」

謀られたのだと気が付き慌てて後ろを振り向くと、良守は先ほどまで名前が腰掛けていた太い枝の上に立っていた。彼が高らかに宣言したその声は、きっと裏山一帯に響いたことだろう。
ルールに則りその場を百秒動けない名前は、すぐ真上にいる良守へ向かって思わず非難の声を上げる。戦略とはいえ、わざと嵌めるなんて。

「良くん、ずるい!」
「へへ、お前だけずっと鬼になんなかったらつまんないだろ」

つまらないというその言葉はきっと、この場のすべての人間に向けられていた。良守にもそれ以外の子供たちにも、もちろん名前にも。彼女が退屈していることも、名前ちゃんが全然見つからないと友人たちがぼやいていたのにも、良守は気が付いていた。だからこうして、場を動かして見せたのだ。

「名前を見つけられんのは俺だけだからな!」

得意げに、良守は鼻の下を人差し指でこする。むう、と名前は頬をふくらませて、勇ましく片腕を振る。あと三十数えるまでは、足は動かせない。

「調子乗ってると、良くんなんてすぐ捕まえちゃうんだからね!」
「そしたらまたすぐお前を見つけて鬼にしてやるよ!」

名前を見つけられるのは、良守だけだった。
彼女がどこに隠れるのかなんてすぐに思い当たる。良守は、彼女の考えることなど手に取るようにわかる。名前のことなら、なんだってわかる。それこそ、彼女が生まれたときから一番そばにいるのだから、当然だった。

 ◇

「――もり、良守。そろそろ起きないと、中学校遅刻しちゃうよ」
「……んあ?」

名前を呼ばれ身体が揺れる感触がして、ゆっくりと良守の意識が覚醒する。心配そうな顔をした父が、彼を見下ろしている。しゃもじを片手に、おなじみのエプロンを付けた姿だ。良守は顔だけ動かして、枕元の目覚まし時計をちらりと見る。今から起きて最低限の身支度をすれば、始業までにぎりぎり間に合う時刻だ。あと五分のリクエストは流石に使えない。もしかすると無意識のうちにすでに使ったのかもしれないが。
まだ寝ぼけていると思っているのか、修司はいまだ良守の身体を布団の上からゆすっている。ぐらぐらと揺れる感触に、良守のぼんやりとした意識がようやく覚醒しきった。

「起きる。起きるって……。おはよ父さん……」

ぼりぼりと頭をかきながら、大きく口を開けて欠伸をする。夜の仕事がなくなってから良守の睡眠時間は長くなったが、それでも寝ても寝足りず、相も変わらず授業中にも最前列で惰眠をむさぼり続けていた。最近は夜に膝が痛むし、成長期、伸び盛りと言うやつだろう、と良守は期待に胸を膨らませている。時音の、ひいてはあの兄の上背を抜かす日も、そう遠くはないだろう。そうなった暁には、彼を見下ろしてつむじをぐりぐりと押してやるのだと、良守は大志を抱いていた。

上体を起こした良守を確認すると、朝ごはん用意できているからねと言い残して、父は居間へ戻っていった。開いたふすまの向こうから漂う匂いからして、今日の朝飯は焼き魚と玉子焼きだろう。鮭か鯖かな、玉子、甘いやつだといいなあと考えながら、まぶたを強くこする。
目を閉じると、先ほどまで見ていた夢の中の光景が、鮮明にまぶたの裏に映し出されるようだった。

「…………」

懐かしい夢を見た。名前を誘って、小学校の友人たちと裏山で遊んだときの思い出だ。
良守の姿に慌てる名前、拗ねて頬をふくらませる名前、腕を振り上げて、分かりやすくこちらへ抗議する名前。くるくると表情を変える彼女の姿をよく覚えている。
病弱なこともあり、内気で良守のあとばかりついてきた名前を半ば無理やり連れだしたあの日、彼女は誰にも見つけられなかった。良守以外の、誰にも。

「昔は、簡単に見つけられたんだけどなあ……」

遠い過去の話だ。
今となっては、数か月前に姿をくらませた彼女の居場所も、考えていることも、良守には分からなかった。

「どこに行ったんだよ、あいつ……」

良守の言葉に、誰にも答えてくれない。
今まで鬱陶しいとすら思うほどそばにいた彼女は──、苗字名前は、烏森にはもういない。