家康様
三成赤ルートから来た







「俺、竹千代様の天下がほしいんだぁ」

な、あんたなら天下取れるから。と初対面なのに、ある意味無礼にもとれる馴れ馴れしさで話しかけてきたナマエのことをいまでも覚えている。まだ自分が人質としてあちこちを転々としていた時の話だ。やけに馴れ馴れしいその男は、何故か周りの力ある武将達ではなく自分に注目していた。

「見たいなぁ、徳川が天下を取るところ」

やけに透き通った目で男は自分の顔を覗きこんできた。忠勝が静止する間もなく自分の頬をふにふにと触って、やわらかいなぁと幸せそうに微笑んだナマエは一体何を考えていたのか。

「………ナマエ?」
「あっ、家康様」
「その傷、どうした?」
「いーや、ちょっとばかし下手こいただけ」

徳川の傘下に自ら進んで加わったナマエは、時々ひどい怪我をしていた。晩にふらりとどこかへ消え、朝に傷だらけで戻ってくる。怪我は主に切り傷が多かったが、時折酷い打撲も混じっていた。誰かに殴られたのか、と問うとナマエはいつもへへへと笑って答えをはぐらかした。

「心配されるような怪我じゃないって」
「だが……」
「平気平気」

自分のことはちゃんとわかっております、といって怪我をしているのであろう箇所をかばうようにしながら自分の部屋へ帰るナマエは、その日の晩にはもう怪我なんて何一つとして負っていないとでも言うかのように元気に動きまわるのであった。なぁなぁ家康様、と何が楽しいのかにやにやと笑ってこちらに絡んでくるナマエに怪我の様子はいいのか、と訪ねてもなんのことだろ?という返事が帰ってくるだけ。

「怪我なんかした記憶はないぜ」
「嘘つけ……なら、なんで朝に、」
「それ、多分今の俺じゃないんだよな」

別の俺さ、と意味のわからないことを言ってナマエは笑いながら部屋に戻っていった。その足取りには隠せない痛み、と言ったような違和感が全くなくて、しばしば首をひねったものだ。

その理由はほんの少しだけ理解できた。ナマエが死ぬ前に。

「いえやすさま」
「……ナマエ?………ナマエ!どうした!」
「やー、今回は駄目だった。やっちまったわ」

ある日、いつもよりももっと酷い姿で、ナマエは自分の部屋に現れた。壁によりかかって脇腹を抑え、荒い息をついているその様子は見るからに重症で、なのに人を呼ぼうと開いた口に突きつけられたのはひとふりの抜身の刀。

「………ナマエ?」
「他のやつ、呼ぶなよ。もう手遅れなんだ」
「お前……何を、」
「あのな、この際だからいっちゃうけど、俺な、今から先の時代からやってきたんだわ。俺にはちょっとした能力があるんだよ、少しだけ、時代をさかのぼれる力……」
「は、」
「まぁ、そんなのはどうでもよくて、なんつーの?その時代は、日の本が統率された時代っつーの?とにかく、ここから少し先の未来……」

それは信長公も、秀吉すらも未だ成し遂げていない偉業だ。先ほどわずかに話した信じられがたい能力のことといい、何を言っているのか、と開きかけた口を再度刀が封じる。

「頼むよ、時間ないんだ、黙って聞いてくれ、頼むよいえやすさま……」
「………ああ、わかった。聞こう。もうお前の話を遮りはしない」
「ありがと……」

泣く寸前の子供のように一瞬くしゃりと顔を歪めて、ナマエはずるずると床に腰を下ろした。未だ突きつけられている刀の切っ先がわずかに震えている。

「俺がいた未来は地獄だったよ、最後に天下を掴みとったのは最悪な人間だった。誰もが絶望の淵に沈んだよ。みんな思ってた。家康様、あんたが勝てばよかったのにって」
「…………」
「あんたは未来で、一番天下人に近かったんだよ家康様………今はそんなの、あんまりわかんないだろうけど、俺は、知ってるもんね。だから、あんたがまだちっちゃな竹千代様だったとき、あんたのこと見てすごい感動した。これがおっきくなって家康様になるのかーって思った」

死なせるもんかって思った。と荒い息を吐いて、ナマエはそう溢した。
いつの間にか刀は下ろされていて、ナマエの手はすでに柄を手放していた。武器向けて、ごめんなという謝罪に首を横に振る。

「ごめん、こんな話しちゃってごめん、ほんとはこんなことしないで、こんな話なんかしないでずっと横で助けようと思ってたんだ。でもあいつ強くてさぁ・・・・ほんとはぶっ殺したかったんだけどなぁ・・・」
「……それは、お前が時折怪我をしていたことと…?」
「ああ、うん。関係あるよ、俺、そいつを殺しに行ってたんだよ」

何度やっても殺せなかったけれど、と言ってナマエは重いため息を吐いた。悪運が強いのか、はたまた何かが守っているのか、良く分からないけどあいつは殺せなかった。赤子の時も、子供の時も殺せなかった。憎い、と歯ぎしりをするナマエの左目から赤い液体が垂れる。頬に赤黒い痣が出来る。ぷんと濃い血水の匂いが香る。今まで感じなかったそれらに目を見開くと、もう時間切れか、とナマエが笑った。

「ごめんなぁ家康様、俺、あんたの天下が見たかった、よ、」

笑った顔のまま、ナマエの頭が横にずれる。ずれて、ずれて、ずれて、そのまま頭だけが床に落ちた。一瞬遅れて目の前の死体から血がわずかに噴き出る。よくよく見れば、ナマエの座っていた場所は大量の血で濡れていた。ぽたり、液体が落ちる音が聞こえる。

ナマエの首を拾い上げる。自分に最後に見せた、笑顔のまま固まっている表情。いつの間にか、ナマエが持っていた刀は二つに折れていた。呆然とその二つを見比べる。

「ナマエ」

誰がお前を殺したんだ、お前は誰を狙っていたんだ、そいつの名を教えてくれ。もう返事なんて返ってこないと知りながら物言わぬ生首に問いかける。ナマエの首は左目から血の涙を流しながら笑っている。首の鋭利な太刀筋。おそらくナマエの刀ごと首を断ち切った。さぞ名のある達人に違いないと、ナマエの首を抱きしめてぼんやりそんなことを考えながら、そのような剣の使い方をする知り合いの事を、自分はなんとなしに思い出していた。



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