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康一と別れた後に、ナマエは足を止めて来た道を戻った。進む先には古びた洋館がある。錆びれて不気味な音を出すようになった重い鉄の門の隣にかかっている表札には、半分掠れた文字で虹村、と書いてある。一瞬そこで立ち止まって、表札をハンカチで拭く。劣化の汚れは取れないとわかっていても、癖というのは中々直るものではなかった。

重い門を押して、庭の中へ入る。鞄から合い鍵を取り出して洋館の鍵を開ける。億泰はまだ帰ってきていないのだろう、玄関に彼の靴はなかった。帰ってきているなら脱ぎっぱなしで放り投げられているはずだ。

階段を登るとぎぃ、ときしんだ音がする。元々古びている上に、まともな手入れをする者がいないから館は劣化する一方だ。東方仗助に頼めばある程度は直してくれるのだろうが、それを頼もうとする住人はこの屋敷に住んでいないし、ナマエも頼む気はさらさらなかった。

「こんにちは」

三階に上がり、通路の奥の部屋を開ける。そこがこの階で一番広く、外から一番遠い部屋だ。騒音を立てても少しは緩和されるようにと形兆が選んだ部屋だった。中には異形と化した、虹村兄弟の父親が住んでいる。

「お気分はいかがですか」

以前は毎日飽きもせずに酷い音を立てて木箱をいじくりまわしていた彼は、今では仗助が直したという昔の家族の写真をずっと眺めている。肉腫の塊のようになった太い指で、まるで少しでも力を入れたらそれが壊れてしまうとでもいうようにそっと写真を摘んでいる。指と同じように醜く腫れた瞼の中で、それだけは変わらないヘーゼルナッツ色の瞳が優しい感情を浮かべて写真の中の二人の子供を見つめている。

ナマエが近付いて声をかけると、父親は少し顔をあげてこちらをみた。鳥にも獣にも似ている、到底人間だったとは思えないような顔面で、口と思わしき部分が僅かに動く。彼はこちらを個人としては認識していないだろうが、敵意か好意かは分かるのだ。特に仗助が写真を復元してからは少し知性の色が見え始めたように思われる。家族写真が彼の精神をいくらか安定させたのだろう。それを自分ではなく仗助が行ったことを少し忌々しく思いながらナマエは父親の腕に触れた。中に膿が溜まったしこりのような、奇妙な感触が手のひらに伝わるが、ナマエにとっては大したことではない。いくら姿形が変わり、知性が退行したとしても目の前の生き物は変わらず虹村兄弟の素晴らしい父親である。

「・・・・クレイドル・オブ・フィルス」

自分のスタンドの名前を呼べば隣に無機質な三日月が現れる。体から生やした紐で父親の体を支えると彼はよたよたとした歩き方ながらも、スタンドの誘いに素直に動き始めた。紐から出ているのは純粋な好意であり、恐怖とも苦しみとも縁のないそれは生き物に嫌疑感を与えない。

「今日は体を洗いましょう。最近暑いですからね」

片腕を取りながらそう話しかけると、父親はまた不鮮明な声で鳴いた。意味は分からないが確かに自分に返事をしてくれている。ナマエはそれで充分だった。本当に彼が望んでいるかはわからないが、人間的な生活を補助をしながらも送らせていれていることも、形兆の父親がそれを嫌がるそぶりをしないことも。人の心を完全に無くしてはいないこの生き物に、少しでも尽くせるのなら、それでよかった。

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