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寂しい。きみはどこにいってしまったんだろう。

「・・・・・寂しい?」

何が寂しいのだろう、と布団の中で目を開ける。夢を見ていた気がする。目覚めた瞬間に消えてしまったけど、やっぱりそれは懐かしくて、どこか胸の内を刺激されるような何かだ。物理的に作られた暗闇の中でため息をついて、布と綿の塊から顔を出す。寝るときはちゃんとした姿勢で寝ているのに、気がつくと布団にもぐりこんでいるのは何故だろう。

「寂しい」

きみはいったいどこにいってしまったんだろう。その言葉が頭の中でわんわんと響く。自分を置いて何処へ行ってしまったんだろう。何故行ったのか、帰ってしまったのか。

「・・・・・・帰、った?」

これは自分の思考なのだろうか。何故消えた、帰ったのか、一体どこにいってしまったんだ。泡のように脳裏に浮かんでは消えていくその言葉の意味を考えながら布団から抜け出す。襖をあけるとしんと冷えた朝の空気が皮膚を突き刺した。はだしのまま、廊下を歩きだすと鴬張りのそれはきゅいきゅいと音をたてて鳴いた。

「おい」
「はい、○○様。いかがなさいましたか」
「あの女、何処に埋めた」

確かお前に始末をさせた、と馬番を探して聞いた。馬番は自分をみて怯えたような顔をしたあと、寺に埋めたと言った。この間住職が死んで、人がいない寺だそうだ。そこは自分も知っている場所であった。代わりの住職が来るまでは近所の農民が手入れをしていたが、あまりにも色々と雑であるから目を盗んで、少しばかり土地を借りてそこに埋めたと。

「そうか」
「は、はい。しかしもう9日まえのことでありますから、あそこを掘っても・・・」
「誰も墓を暴くとは言っておらん」
「そ、それは失礼を」
「・・・・・馬を借りる」

了承も得ぬままに馬に飛び乗り、掛け声をかけて足で腹を打つ。馬番が何か叫んでいたような気がしたがそれは無視して走らせた。門前を掃除していた女中の前を、青い稲が茂る畦道を、一目散に駆け抜けて寺の前までたどり着く。

「………あ、」

女の墓は馬番から聞きだした通りの場所にあった。高く盛られた土を手でかき分ける。一度掘り起こされたそこは道具を使わずとも柔らかい。女が死んだのは9日前だから、もう腐り始めているだろう。死人の匂いを覚悟しながら、爪に土が入るのにも構わず掘る。

「おかしい」

どれだけ土を穿っても、女の体はでてこない。掘り起こされていない堅い土に到達して、さらにその先に進んでも出てこない。途中で傷付いた爪先からぽたりぽたりと血が地面に落ちて、その部分だけわずかに黒が濃くなる。

「……どこに行った」

は、と顔をあげるとわんわんと鳴く蝉時雨が途端に耳に響いてきた。噴出した汗が顎を伝って、それも地面に落ちる。馬番が埋めたといったその墓は暴かれた様子も無く、あの男が嘘をついているとは思えない。自分は最後に女の心臓をついて殺したし、仮にあの男が嘘を吐いていたとして、死体を持って帰ってどうするのだろう。夏の気温では一日と持たないはず。

「あの、女は、」

きみはどこにいってしまったのだろう。かえったのだ。じぶんをおいていってしまった。
わんわんと痛いほどに蝉時雨が鳴く。頭蓋の中でしくしくとなきごえが聞こえる。女のような気もするし、男のような気もする、そんな中性的な声だ。自分の頬を伝うのは汗か、それとも涙か。寂しい、と自分ではない自分が嘆く。じぶんもいっしょにかえりたかった。

頭痛がする。顎から、爪先から、ぽたりと液体が落ちる。右手に刀を幻視する。つい9日前に女の命を奪った刀だ。しかし、視線を前にやっても、息も絶え絶えに虚空を見つめていたあの姿はない。鮮血に染まったあの懐かしい服装。何処へ消えてしまったのか。

『さみしい』

誰がしゃべっているのだろうか。頭の中の声か、それとも自分か。誰もいない墓の中を見つめても、女の痕跡は何もない。

『さみしい』

自分の記憶を強く刺激する人間はもういない。あの郷愁を感じさせる言葉、服装、雰囲気。知らない場所に一人きりで放り出されたような、置いて行かれた子供のような、そんな不安感が胸に沸き起こる。硬い土を爪で掻いても腐臭は香らない。彼女はここにはいない。

『………さみしい』

女を殺す前、使用人が話をしていたことを知っている。女の処分を命じた馬番がどうして、と自分に向かって言葉を吐いたのか知っている。あの方は以前よりも落ち着きなされた。なにか良いことがあったのだ。よかった、ほんに、よかったなぁ。

『君がいなくて、寂しい』



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