10


こんこん、と嫌な味の咳が出る。風邪と熱は嫌いだ。せっかく閉じた窓が開いて色々なものが飛びこんでくるからまた前の私に戻ってしまう。狂いかけた冷蔵庫のなかに入りかけた人形が口から金魚を吐いてまるでそれがピンクの羊に似て私を蕩かす。それがどんなに悲しい事か。

「風邪って、いやなものね」
「それは薬が不味いからですか?」
「ううん・・・頭の窓が上手く閉じれなくなってしまうから、私、偶に心の草冠のようなことを言うでしょう」
「・・・・ですねぇ」

熱でほてった頭に、そっと冷たいものが乗せられる。とろりと重い目蓋を開けてそれにさわるとそこはかとなく柔らかな手触り。きっと冷水で冷やした布だわ。しろくまのようでとても心地がいい。

「ありがとう」
「いいえ。さ、姉さま。この薬も飲んでしまいましょう」
「・・・・・・後じゃ駄目?」
「やっぱりお薬が嫌なんですね!駄目です、せっかく薬師さんが調合してくれたのですから」

む、と唸ってくちびるにつけられたつめたい器の中身を舐める。苦さと甘さを凝縮したようなそれは何度舐めても慣れない。顔をしかめた私の口の中に、甘い砂糖菓子を放り込んで鶴姫はふふ、と笑った。

「姉さま、子供のようです」
「貴方も一度舐めてみればいいのよ」
「不味いのはしってます、昔何度も処方されましたから」

だから砂糖菓子が役に立ったでしょう?と胸を張る鶴姫にありがとうと微笑めば彼女はまたにこりと笑った。

「どういたしまして、です!それじゃあ私は少しだけ席をはずしますね」
「…………どこにいくの?」
「今、お客様がいらっしゃるのです」

なので少々先見を、と立ち上がりかけた鶴姫の着物の裾をつかんで引き留める。ぱち、と窓が音をならしたから。

「? どうしました?」
「あまり奥深く潜らないでね、今日は河豚の卵巣をみることになりそうだわ」
「はい、重々承知してますよ」

それでは、いってまいりますと言って鶴姫がゆっくり、裾から私のてを外す。遠くなる背中を握ろうとしたけれど黄桃に染まった手のひらではそれは叶わなかった。疑似餌が逃げたせいだ。

「あまり見てはならぬのよ」

黒い影は窓から入ってくるのだから。そのことは彼女だって、もっと小さな幼子だって生まれる前から知っているのだ。

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