佐助成り代わり17


ぺろっこれは青酸カリ














今思えば、この14年間で私が本当に幸福と思ったことなぞ、眠る時以外は一度もなかった。一度も、たった一度もだ。
だから、あれはフラグと言う奴だったのかもしれない。それなりの幸福のあとには、それと同じだけか又はそれ以上の不幸が私の元にやってくる。その前触れ。

「へぇ、これがあやつの忍びなのですか。不思議な髪をしてるわね」
「はい。名は、」
「よい。こんなものの名なぞ、聞きとうないわ。私の忍びをことごとく打ち砕いてくれて……後は貴方に任せます。好きに痛め付けなさい。一番苦しいと思われる方法で殺してやって、あの子の部屋の前に置きなさい」
「承りまして」

アルコールのせいでぼんやりと霞む頭に聞こえてきたのはそんな会話。女性と、それから低い人の声。拘束されて動かない四肢にぎしりと軋む縄の音、頬に触れる冷たい石造りの床、薄暗い部屋に薄らと漂う血の生臭く、どこか甘い匂い。
状況を把握するにつれて自然に頭が冴えていく。ここは地下室。女はお方様。返事をしたのは……誰だ?知らない声、城の者じゃないな。お方様の買った忍びか?酒の所為だ、油断したな。

「おい小僧、起きてるんだろ?お方様は誤魔化せるかもしれねぇが俺は無理だぞ」

ぺたぺた。此方に近づいてきた人間が、ぐいと容赦なく私の髪の毛を掴んで伏せていた頭を持ち上げた。毛根が悲鳴をあげる、ハゲたらどうしてくれるんだよ。

「…………」
「忌み子の癖に、随分綺麗な面してんなぁ…………ま、お前にゃ恨みは無いが仕事だ。金も貰ってる、悪いな」

にぃ、と笑って汚ならしい乱杭歯を口から覗かせた中年の男が、私を見て笑う。無感動にその顔を見つめたのが悪かったのか、なんの前降りもなしに勢いよく張られる右頬。び、と口の端が切れて滲み出た血を、男がにやにや笑いながら自分の舌を使って舐めとる。悪趣味。

「お前はどんな悲鳴をあげてくれるのかなぁ……。精々死ぬまで泣きわめいて、俺を楽しませてくれや」

男の手の辺りからじゃらじゃらと鎖の音がする。ことり、と近くの地面に何かを置いた男が、私の目が見えないように布をぐるぐる巻き付けた。口は、塞がないようだ。悲鳴が聞きたいと言っていたからだろう。師匠よりも糞な人間を見るのは久しぶりだ。いや師匠には殺意がなかった、敵意がなかった。今思えば彼は、別に酷い人間じゃあなかったんだ。どんな所でも死なないような稽古をつけてくれた。私が一方的に嫌っていただけ。

「それじゃあ始めようか、なぁ。佐助」

佐助、そう呼ばれた瞬間にぞわりと肌が粟立つ。私はこの自分の名前が嫌いだった。本当は私にはナマエと言う名前があった。だから今の自分の名前は、親ではなく師匠に付けられたと言うだけで呼ばれたくはなかったし、佐助と呼ばれることに慣れて『ナマエ』を忘れたら、私が私じゃなくなるようで好きじゃなかった。でも、こいつに「佐助」と呼ばれる事に比べたら何倍もましだ。お前のような男に、私の名前を呼んでほしくない。

「佐助の肌は白いから、きっと赤が映えるよ……真田様の赤だ。美しいだろうね」

つ、と喉をなぞられて、その生理的悪寒を感じさせる触り方に呻く。私の反応を見てひひひと笑う男を、私は殺してやりたいと思った。手足を封じている縄がぎしりと鳴く。
しかしそうして無効力化させられて、唯一情報を得られる目すら塞がれている私に出来る事は何もなかった。

「……生きが良さそうだ」

男がぱ、と私の髪を離して、重力に従ってごつりと額が石床に落ちる。その衝撃で目に滲んでいた涙がぽたりと布に吸い込まれて、そこで初めて目隠しをされていてよかったと思った。少しでも弱味は見せたくなかった。だってきっと、少しでも泣いたことがこの男に露見してしまったら。こいつはその事で私をいたぶるのだろうから。

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