電気羊10


夜が過ぎて、あっという間に空の端から太陽が上がってきた。路地裏に座って、ビルとビルの間から見えるうすい色をした空を眺める。昨日と同じ、ひんやりとした朝の空気。夜とは違う、清水のように澄んだ空気。

「帰れるかなぁ……」

僕の言葉に腕の中の子猫がにゃあと鳴いた。まるで返事を返してくれたようなタイミングの良さに驚いて笑う。ありがとう、と言って喉を撫でてやるとぐるりぐるりと僕の手に震動が響いてきた。どうやら喜んでるみたい。

「じゃあね、僕はもう行くから」
「にぃ」

ぴょん、と僕の膝から降りた猫に手を振る。先端が曲がったかぎしっぽを一振りして、夜みたいに真っ黒な子猫は颯爽と路地裏の奥に消えていった。

それを見送ってから僕も歩き出す。かつりこつりとブーツを鳴らして町に出る。路地裏から出てきた僕の事を何人かが怪訝そうに見たけれど、すぐに興味をそらした。カイトが盗まれたんだって!と昨日のニュースのことをきゃいきゃい喋る学生の横を通りすぎて、ボーカロイド専門店の方へ向かう。店の前ではマスターがうろうろしていて、僕の姿を見つけると急いで駆け寄ってきた。

「………大丈夫だったかい?」
「はい、ま」

その、どこからどう見ても「僕」を心配してくれていた様子が嬉しくて、へにょりと笑って返事をする。いやしようとおもったのだけど、マスターと呼ぶ前に彼女にべしりと頭を叩かれた。

「こら、バレちまうだろ!あたしのことはアンナと呼びな」
「しかし」
「しかしも糞もないよ!死にたいってなら別だがね!」
「あ、それは嫌です。僕はまだ自由に歌えてなくて」
「ならあたしを名前で呼ぶべきだね。それと……うちには防音施設がないから、お前を好きに歌わせることは出来ないんだ。それでもいいならここに住んでいい」
「……いいんですか?」
「但し、しっかり働いて貰うからね!」
「はいマスター!あっ、いえ、アンナ!」
「………それもしっかり直さなきゃだねぇ」

釘を刺されたにもかかわらずいつもの癖でマスター、と呼んでしまった僕にアンナが笑う。ぽんぽん肩を叩かれてそろそろ中に入らないかと言われた。僕はボーカロイドで、機械で。必ずマスター達に従う存在だ。いつも言われる言葉は命令系だった。だからアンナの言葉が新鮮で、思わずまじまじと彼女の顔を見つめる。なんだい、としかめっ面をした彼女がばし、と背中を叩いて痛みに飛び上がりそうになった。彼女は結構暴力的だ。

prev next

[back]