7 『銀ちゃんが居なくなるのは嫌ネ』 十四郎は倒れた日の翌日も、仕事に行くと言っていつも通り出かけていった。 俺はそれが不満ではあったが、あいつがいないならここにいても仕方がない。万事屋に戻るつもりだった。 ところが神楽がこっちに押しかけてきた。 「やっぱり。今日はダメガネが電話番してるヨ。銀ちゃんと私はここで待機ネ」 「……ここ、あいつんちだから」 「屯所に電話してマヨラーに断ってきたから、大丈夫アル」 ほら見ろ、やっぱり神楽が居着いちまったじゃねえか。しかも俺に断りもなく、土方と連絡まで取り合って。 ん? なんで電話番号なんか、 「アンチクショーに聞いたネ」 「沖田か……」 なんだ。こいつも『好き』な奴ができたのか。 「オイ、ちゃんと恒道館に帰ってンだろうな」 「? 帰ってるネ」 ああ、まだこの娘にはわからないらしい。 この娘はきっといつか、わかる日がくる。神楽は人の気持ちを想像できる子だ。沖田が寄せる想いにも、いつか気づくんだろう。 「神楽」 「なに」 「オメー、好きな奴できたらどうすんの」 「どうもしねーヨ」 「どうもしねーって、ただ見てんの」 「かぶき町の女王に惚れるとヤケドするネ」 「あー悪ィ、お子ちゃまには難しいハナシだったわ」 「バカにすんなヨ。取り敢えず酢昆布10年分上納させる」 「うんごめん。なんでもねえ」 けど、馬鹿にしたもんじゃない。 気持ちって形にできるのかな。 だとしたら、あいつは何を喜ぶかな。 やっぱマヨネーズ? それとも煙草かな。 「神楽ァ、俺ちょっと出かけてく……」 「駄目ヨ」 「?」 「マヨラーと約束したネ。今日一日銀ちゃん見張っとくって」 「は?」 「マヨラー帰ってくるまで、私銀ちゃん見張っとくヨ。逃げないように」 「逃げるって、」 「マヨラー、辛そうだった。嘘ついて元気に見せようとしてたけど、帰って銀ちゃんが居なかったらどうしようって思ってた」 「なんでわかるよ」 「なんでわかんないネ」 神楽は定春(も連れてきたんだ、こいつ)と顔を見合わせた。 俺がバカだって言いたいんだろう。でも、どうしてそんなに自信を持ってそう言えるのか。そのほうが俺にはわからないし、わかったなんて言う奴が馬鹿なんだと思う。 「マヨラーの声がおかしかったアル。それと、お前んちで銀ちゃんとゴロゴロしてていいかって言ったらすぐ『いい』って言ったくせに、電話切らないヨ」 「……だから?」 「まだ言いたいことあるってことネ。だから私も切らなかった。そしたら、『今日は仕事ないのか』って」 「いや、普通に疑問だったんじゃね」 「鈍感。そんならすぐ訊くアルよ? そこんとこの間の意味、わかってないネ銀ちゃんは」 「……」 「ないって言ったら、じゃあ一日中居るかって」 「オメーが邪魔なんじゃねーの」 「それは私もそう思ったから、もう一回聞いたヨ? 私が銀ちゃんとゴロゴロしてるのイヤかって。そしたら」 「?」 「むしろ、居てくれって。私聞き返したネ、思わず」 「……」 「忘れろって慌ててたけど、あいつ銀ちゃんがどっか行っちゃうの、怖くてしょうがないアル」 「......」 「私も、新八も。銀ちゃんが居なくなるのは嫌ネ」 「......」 「覚えとくヨロシ」 もし俺が、あの日先生は居なくなると予め知っていたら。 いや、居なくなることを予め知っていて、それがいつだかわからなかったら。 俺はそんな日々に耐えられただろうか。 目の前には穏やかな時間があるのに、これを『いつか』取り上げられると知っていたら。 穏やかに、過ごせたはずがない。どんなに幸せな時間であっても。 先生は知ってたんだ。『いつか』終わりがくることを。 その日が近づくことを恐れなかっただろうか。高杉や桂や、他の門下生と別れることに恐怖したり悲しんだりしなかっただろうか。 そんなはずはない。 土方を遺して死ぬと思ったとき、胸が傷んだ。 俺の死後他の奴と幸せになって欲しいのに、胸の奥が痛くてたまらなかった。 先生だって少しは、いや出来の悪い弟子が混じっているからこそ、近づく死を誰よりも現実的に恐れていただろう。 だから遂にやってきた『その日』、俺に言い聞かせたんじゃないのか。 自惚れていいんですか、先生。 突然遺されたあなたの弟子たちを、世界を、 護れ、と。 独り遺された傷みから。 理不尽に奪われた怒りから。 失った日々を思う、哀しみから。 あなたの一番近くに居た俺に、その役目を課したのですか。 自分の死後、俺がそうすると信じて。 俺が死を思ったとき、土方に後を託したいと思ったように。 土方が帰ってきた音がした。 神楽が玄関に駆けていく。定春は首だけ起こしてそれを見送る。 新八も呼んでいいかと神楽がねだるのに、土方が笑う。呼んでやれよ、可哀想に。来てるんだと思ってたぜ。 姿を見せた土方は、ただいま、と言って笑ってみせた。神楽に携帯を渡して使い方を教え、外で掛けてこい、と声を掛ける。 飛び出していった神楽の勢いとまるで反対に、土方はよろよろと近寄ってきて俺の肩に額を乗せた。 「ただいま」 もう一度、土方は囁くように言った。 「おかえり」 神楽が戻るまでの間、俺はその背中を抱きしめた。 章一覧へ TOPへ |