在学中 後篇


 高杉には喫煙癖があって、バレて停学や退学になると親が面倒くさいタイプだったから準備室にときどき呼んでやってた。銀八のタバコ臭が移ったんだと言い訳しろと言ってあった。ただし『背は伸びねェぞ』と言ったら案外気にしてタバコの量が減ったトコがまだガキそのものだったけど。

 喫煙者を目の敵にする土方にとって、高杉は格好の対象だったようだ。校内でもアンタッチャブルな高杉に構わず突撃しては、腕づくでタバコ取り上げたり失敗したり、そのくせ隣校との諍いには土方も率先して高杉の助っ人に行ったり、まあ喧嘩っぱやい二人の優等生版と不良版みたいなもんで、その駆け引きを見るのは結構楽しかった。
 そんな所以で、高杉には土方との何らかの交流があるらしいのは知っていた。でもこれは。

「なんで。イジメてんのお前」
「はっ。俺が? くだらねえ」
「じゃ、なんで泣かすの」
「俺じゃねェ」
「誰だよ。ハッキリ言え」
「胸に手ェ当ててよく考えろ腐れ教師」

 高杉晋助という生徒は、実は幼馴染――というには歳が離れすぎているが、俺の養父がやっていたフリースクールの生徒で、俺が高校生だった頃に小学生としてしばらく通っていたという腐れ縁があった。
 いけ好かないガキではあったが養父が死んだときは俺より取り乱して、一時期預かってやったこともあった。妙な色気のあるガキに育ちやがって、自意識過剰かなとは思いつつ俺も自己防衛本能はしっかり働いて、ヤバいことになる前に実家に返した。
 そうしたら俺を追っかけて(と本人は恩着せがましく言ってたが、中学ンとき勉強サボったんだ。絶対)ウチに入学してきやがって、うわあメンドクセ、と本人の目の前で叫んで校長に呼び出されたのはいい思い出だ。
 その関係を幼馴染み特権かなんかと勘違いして、堂々と俺を呼び捨てにして見下してくる、相変わらずイヤなガキではあったがその頃この悪ガキも恋に悩んでいた。相手は河上万斉。ちょっとネジ足りないような気もするが、見てくれはいいから女子には人気だった。そいつに惚れられたという。そして本人も気持ちは傾いているのが俺から見れば明らかだったから、悪さの息抜きついでに揶揄って遊んでいた。
 もちろん、クソガキに土方への気持ちなどミジンコ半匹分たりとも教える必要はない。女子じゃあるめえし、勝手にてめェの暴露話持ってきたんだから俺の知ったこっちゃない。
 それに、誰に相談するつもりもなかったのだ。
 もし養父が生きていれば、あるいはしたかもしれない。仮の話はしても虚しいが、松陽先生は俺になんと言っただろうか。

「胸に手ェ当てたけど。何も出て来ねんだけどどうしてくれんの」
「知らねェ。俺ァ見たままを言っただけだ」

 クックッ、と含み笑いして帰りやがる。ホント可愛げの欠片もねえ。
 それに引き換え土方は、などと妄想の中で浮かれることにも、その頃にはもう慣れていた。生身の土方は目の前にいたが、もはやそれは触れてはならない別世界だった。俺は逃げに逃げた。あと数か月、逃げ切ればいいのだと信じた。



 それでも、職務は遂行しなければならない。
 十月の連休に、俺は土方に最後の二者面談をした。

「進路。提出してくんねえと何もサポートできねんだよ」

 至極真っ当なことを言ったつもりだった。だが久しぶりに間近に見る土方は、俯いて口を閉ざした。

「宇宙飛行士になりたい!とかじゃねえだろうな。まあ、突拍子もねえ連中ばっか見てっから大抵のこたァ驚かねえよ。何なら親御さんにも上手く……」
「そんなんじゃありません」

 土方は前のように打ち解けてはくれなかった。それでいい。そう安堵する俺と、偽るな嘘つきめ、と自身を罵る俺がいて、土方の前でも俺は俺のことで精一杯だった。土方を護るためだと言い訳しながら。

「じゃあなんだよ……」

 俺が拒絶したから拗ねてしまったのだろう、と思っていた。受験を控えたこの時期を乗り越えさせるために、ちょっと構ってやれば機嫌を直すと思っていた。

「文系か理系か。そっからだぞオメーは」
「文系で」
「はっ?」
「文系。聞こえませんでした?」

 まあ、俺の話なんざ半分聞いてねえもんな。
 土方は笑った。乾いて疲れ切った笑いだった。

「わかってる。センター試験にゃ足りねえんでしょ」
「……イヤてっきり理系だと思ってたから。ノーマークだったわ、ぶっちゃけ」
「困りますか」
「え?」
「坂田センセ、困りますか」
「えっ、なに嫌がらせのつもり? 俺が困ればいいからってお前、何も人生掛けて反抗しなくても……」
「違います」
「……わかるように言えよ」

「進路は言いました。書類も書きます。帰っていいですか」

 俺の喫煙を咎めて怒ったり、カフェオレの甘さに驚いたり、カップ割って悄気たり、あんなに表情豊かだった土方の目は、ただ硬く、でも変わらずに真っ直ぐ、俺を見据えていた。

「アンタ今日誕生日だろ。俺に構わず早く帰っ」
「なんで、知ってんの」



 聞き流せばよかった。なのに慎重を期していたはずの俺の口は、考えるより先に言葉を吐いていた。
 その年の十月十日は振休で、ただ土方の進路指導があまりに遅れていたから校長にドヤされてたし、生徒が少ない(部活なんかで無人じゃなかったから俺は油断していた)十日に面談して、時間を掛けて――つまり回数を減らして土方に指導して、これっきりにするつもりだった。
 振休だから女子生徒が騒ぐこともなかった。例年はそれなりにチョコを貰ったりしたが、今年は休みで残念だねーセンセとか言っちゃって見向きもされなかった。女子生徒なんてそんなモンだ。それが健康的な女子ってもんだ。

 なのになぜ、土方は俺の誕生日を知ったのか。去年まではなんの関わりもなかった教師だ。よその学年の、男の教師の誕生日なんてなんで関心を持ったのか。

 純粋な疑問だったのは最初のコンマ数秒で、聞き返すんじゃなかったと後悔した時には、俺の中にはどす黒い期待が高まって、口を開けばそれが流れ出てしまいそうだった。

 土方は目に見えて狼狽えた。
 自分の誕生日の二倍だから覚え易かった、と最初は言った。でも二倍だとなぜ知ったのか。誰から。何のために。
 たまたま小耳に挟んだだけ、というのが真実だとしても、俺はそのとき、土方から聞きたいと願った。たまたまだ、お前に興味はないと、土方の口から言って欲しいと願ってしまった。

 黙った俺にさらに狼狽え、土方は帰ろうとした。だが書類は俺の手元にある。書く、と言ってしまった土方は、自分の言葉に忠実に、俺からそれを受け取らなければ帰れない。それが土方だからだ。
 土方はきゅっと唇を結んだ。
 そして、案外冷静に言葉を続けた。


「好きだから。嫌われてんのは、知ってるけど……まさか今日会えるとは、思ってなくて。嬉しくて、つい」


 その先は続かなかった。
 つい口を滑らせたのか。つい――期待したのか。
 でもその言葉だけで俺は救われた。この子が人生のほんの短い数か月でも、俺を好きだと思ってくれた。数週間か数日か、もう数秒だってよかった。俺に好意を向けてくれた――それだけで俺は、この先のなんだか訳のわからない時間を過ごしていける。
 それだけで、充分だった。

「意味がよくわかんねえが……おめーの意志はわかった。調査票は明日提出しろ。それと、文系転向なら国語と英語は死ぬ気で勉強しろ。そんで」

 土方。俺も好きだよ。

「くだらねえ戯言の代わりに英単語のひとつやふたつ、テメェの脳みそに叩っこめ」

 お前の『好き』よりもっと質悪く。

「二度は言わねえ。酒と色恋は二十歳になってから……イヤ、二十歳になるまでに、忘れろ」



 ありがとう。嬉しかった。
 どうか、幸せに。






 振っちまったのかい、と後日高杉が揶揄いにきた。こいつは受験期真っ盛りになって、河上万斉とのつき合いに目覚めてハッチャけていやがった。やれ万斉がこう言ったの、万斉がこうしたの、ああでこうでこんなコトしてあんなコトまで……って、

「盛ってんだろ、話」
「さァな」
「……ぶっちゃけどうなの。ヤることヤッてんの」
「セクハラ教師。知りてェか」
「やっぱいい」
「上手くヤれれば、すっげキモチイ」
「……や、いいって」
「前でイくのと全然」
「や、ほんといいから」
「なーんてな。俺も知らねェよ」
「嘘つけ」
「試してみるか」
「やなこった」
「土方クンじゃねェと勃たねえか」
「……ッ!」


 性に潔癖だったわけではない。
 むしろいい加減だったと思う。ヤれれば上等、あとは有耶無耶なんてことは少なくなかった。
 でも、土方だけは別だとそのとき初めて知った。
 高杉の安い挑発に激昂するほど、俺は土方を聖域に追いやった。そうすることで本物の土方を無意識に護ったのだと思う。土方を知り、土方を愛してからも俺は女と交わりがなかったわけではなかった。そしてその時は間違いなく、その女で快感を得てその女で果てた。


 決して――土方を穢したことはなかったのだ。


 高杉に危うく掴みかかるところだった俺を、坂本が止めてくれた。いくら幼馴染みでももうおんしとっくに成人しちょろうが、と当たり前のことを諭され、高杉ときたら驚きはしたようだが少し肩を竦めただけであろうことかニヤリと笑って出て行った。


 あれは、土方の耳に入ったのだろうか。
 今でも確かめたことはない。



 それから土方とは文面のやり取りだけになった。土方は着々と学力を上げ、淡々と模試を受け、準備万端とは言えなかったが元々の生真面目さが物を言って、志望校に合格した。
 合格発表の日、副校長のバカから内線が回ってきたが結果を聞いといてくれと頼んで職員室を出た。既に結果は調べてあったんだ。
 ごめんな。お前が遠くに行くことを、心から祝ってやれなくて。
 こんな俺の声はもう、聞かないでくれ。




 そして二年が過ぎた。
 バカ高校にしては進学率が二年続けてまあまあだったらしい。まあまあってのがウチっぽい。すげえマジかよ、まではいかない。
 出世頭は高杉の医学部合格だった。裏金が動いてねえだろうな、なんて冗談で言ってやったがあれは実力だ。高杉は案外、成績優秀だった。素行が壊滅的に悪かっただけで。
 『まあまあ』のひとつに、高杉とわりと仲の良くて学年が下だった来島また子が指定校推薦に合格したのも大きかったそうだ。そうだ、ってのは、俺は翌年、二年の担任だったからだ。関心なかった訳じゃねえから。なかったけど。

 来島が確保したのはその前年、土方十四郎が頑なに拒んだ学校推薦枠だった。


 あの子は一般入試に拘った。成績は伸びていたとはいえ文系転向だから、安全策として二重に受けとけ、と言ったのだが聞かなかった。もう俺の言葉には耳を傾けなかったのかもしれない。
 そうしろと言ったのは、俺なんだから。


 あの学年がいなくなった銀魂高校はしばらく何にもなさ過ぎて、時間は本当に過ぎているのか疑いたくなるほど退屈だった。俺は変わらずいい加減な授業をしてたし、生徒も『坂田はそういうモンだ』で納得してた。
 剣道部の顧問にどうかと(主に服部に。道場の冷えが尻にキタらしい)せっつかれたがやる気スイッチは一切見当たらなかった。

 現実なんてこんなものだ。
 あの子がいた、あのときはきっと俺の人生最上の時間で、夢に近かったのだ思うようになっていた。
 土方十四郎は本当にいて、今でも世界のどこかで同じ空気を吸ってることは漠然と理解していても、現実味はなかった。
 俺は、松陽先生を亡くした時よりも惚けていたのかもしれない。



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