在学中 前篇


 我ながら良い判断だったと思う。
 入学当時は視界に入るたびに心臓が跳ねて、何やってんだいい歳して恋する乙女か俺は、と自己嫌悪に陥った。土方は見るたびに背が高くなり、声は大人のそれになり、それでも切れ長の目元は変わらず涼しげだった。

 剣の通り一途で、クールを気取ってるけど実は友人思いで(近藤と仲がいいのは納得もしたけど、なぜ沖田に散々おちょくられてんのに相変わらず世話を焼こうとするのかは皆目見当がつかなかったが)、不器用なのを自覚してなくてなんで自分が失敗するんだろうと首を捻り、でも影で努力するひたむきさ。
 学校生活でなんの接点もないのに、俺は土方というひとを知り、知るほどに恋情は深まった。

 土方が卒業するまでのタイムリミットが待ち遠しくて、でも、本心は絶望していた。
 こんなに早い一年があっただろうか。
 土方はあっという間に二年になり、剣道部の次期副部長に決まった。沖田くんはやっぱりもの凄く強くて、とうとう全国大会で個人優勝を果たしたけれども、三人の立ち位置はどうやら違うようだった。

 近藤、土方、沖田。

 おそらく近藤の人望なんだろう。彼らの周りには生徒が集まった。土方はその輪から少し離れて、それでも親友と悪ガキと、増えた連中の面倒をそれとなく見て手を貸す役割だった――かなりマヌケな失敗は多々あったけれども。
 そして無様にも俺は、土方の信頼を一心に背負う近藤に嫉妬し、のたうち回った。もし教科担当だったら俺はきっと、近藤に陰湿な嫌がらせをしたに違いない。
 それを思えばやっぱり俺が土方を避けたのは正解だった。そして土方にも、全く関係ない近藤にまでどす黒い思いを抱く自分が呪わしかった。なに食わぬ顔で生徒に接するくせに、一切関わりのない生徒個人に害意を覚える自分の薄汚さに我ながら絶望した。

 そして三年目。
 クラス編成会議で俺は声を飲んだ。

 3年Z組。担任、坂田銀八。
 例年その生徒たちは、成績と生活態度不良というのが暗黙の了解だった。それはいい。気にしてねえし。上手くいかなかったこたァねんだから、毎年同じルーチンこなしゃいいんだろくらいには俺も既にスレていた。だがこれはダメだ。

 あの三人がいる。
 剣道ばっかやってて勉強しなかったんだな、と納得はいったけれども。
 土方は困る。土方の担任はできない。
けど、なんと説明すればいいのか。

 俺はこの生徒にずっと邪な想いを抱いていて、親密になったら理性が利くかどうか自信がありません。

 言える訳がない。
 俺はなんと罵られようといい。どうせ不良教師だ、いつだって辞めてやるさ。
 でも、土方くんは関係ないままに終わらせたいのだ。あの子は俺の薄汚れた想いなんかに気づかないまま、この後の人生を歩まなきゃいけない。

 何も言えなかった。
 俺は、土方十四郎の担任になった。



 間近に見る土方はますます愛おしかった。
 あのマヨネーズ癖には驚いたし、あんなに綺麗な顔をしてるのに彼女もできないのは不思議に思ってたら原因はコレか、と微笑ましくも、ホッとしてる自分が嫌で仕方なかった。
 でも幸い、このクラスには愛すべき生徒が山ほどいた。俺の教師人生でいちばん濃ゆいメンバーだった。沖田は留学生の神楽となんやかんやで付かず離れず。心配だったゴリ……近藤は志村姉に惚れてストーカー気味。ああならないように気をつけよう、なんて密かに思いつつ、一途な様子にむしろ彼の身の危険をそれとなく気づかせてやったり。
 地味にメガネ掛けたみたいな志村弟とか、お前オッサンだろっつーような高校生のマダ、いや長谷川とか。ハム子とか花子とか阿音百音姉妹とか……とにかく賑やかなクラスだった。
 土方はその中の良心ともいえる存在なのだが、トンチンカンな手助けをするもんだから更にカオスを深めるばかり。しかも口下手。三者面談じゃ頷くか首振るだけかしかしねえから、お母さんが俺に頭を下げていた。
 本当に申し訳なくて居た堪れなかった。こんな中年の教師が、あなたの息子さんに恋を、しかも三年も前から。

 ――ずっと温めてるなんて、キモチワル過ぎる。

 困ったことに、土方は風紀委員の副委員長も兼ねていた。就任したその日から、銀魂高校の煙草というタバコが消えた。消されたんだ。土方に。
 生徒はもちろん、たまにやってくる卒業生や教師にも土方くんの掟は発動された。あの切れ長の目、開き気味の瞳孔で『出すよな?』と言われようものなら、大抵のヤツは差し出した。目がコワイから。
 その掟はもちろん俺にも適応された。
授業中にタバコ吸うのはおかしいと指摘され、これはレロレロキャンディを高速で……と適当なこと言ったら信じたのにはこっちがびっくりしたよ。アホの子なんだ。コワイ顔するくせに。
 五月の連休明けに、とうとう俺自身がヤニ臭くて(高杉は半笑いで『バレる頃合いだ』なんて言ってたが、おめーチクっただろチビ)、それは俺がタバコ吸ってるからで、つまり自分が騙されたことに気づいたらしい。怒ってたなぁ。国語科準備室に乗り込んできて、現行犯逮捕された。ほんと、可愛かった。

『だ……騙したな!』

 騙されンな、アホ。
 あんまり可愛かったんで言い返したら、真っ赤になってさらに言い返してきた。けど、正面攻撃の土方に口から生まれたと言われる俺が負けるはずもなく。

『ぜってー明日は取りに来るッ』

 ピシャッとドアを閉めて、足音も高く帰っていったときの、俺の心臓ったら。


 明日も、来る?


 急に準備室の空気入れ替えてちょっと掃除して、飲み物チェックしたりして何やってんだ俺はあの子を遠ざけなきゃいけないのに、って愕然とした。
 ほんの少しだけ。
 教師の皮は決して破らない。だから、数分の会話だけは。
 自分に甘くなってるとわかっていたのに。

 土方は頻繁に通ってくるようになった。部活のない日はほとんど毎日、準備室に来る。何かしら口実を作って。タバコは諦めたらしい。外で吸うなよッと、どっちが教師で生徒かわからないセリフを遠くから叩きつけてきたのも可愛かった。抜き打ちチェックとかいって、毎日来たら抜き打ちになんねえじゃんアホなのキミはと揶揄ったら困った顔になって、俺は慌てて翌日も土方くんが準備室に来られる口実を作ってやる羽目になった。
 宿題がわかんないから、と俺が出した課題を堂々と持ってきたときは呆れたけど。

『それ俺のじゃね』
『だから聞いてんだけど』
『……特定の生徒に教えんのはちょっと。これでも先生よ?』
『!』

 これが下心アリじゃねんだ、沖田と違って。いっけねーてへぺろ、じゃなくて真面目に言ってるからアホ可愛い。申し訳なさそうに、その頃にはすっかり伸びた背を縮めて慌てて帰っていったっけ。
 夏休みの剣道部合宿は、金がないから校内で済ませるのが恒例だが、松平のとっつぁんが一日だけ代わってくれってスゲェ圧迫感で頼んできたから仕方なく朝の点呼だけって約束で引き受けて、行ってみたら前の日AV鑑賞会で卒倒した土方が、まだ放心状態だったのは可笑しかったけど可哀想だったな。


 おかしな点はいくつかあったと思う。
 俺はひたすら、気づかないように細心の注意を払っていただけだ。


 なかなか進路希望調査票を出さない。
 理系文系の、基礎的な調査さえ拒否する。尤も成績は3Zの中では中の上、沖田のちょっと上くらいで、理系に問題はなかったし、英語がちょっと酷いなぁとは思ってたけど、まだ挽回できると担当も言ってたからまた来たら注意しよう、としか思っていなかった。いい加減なモンだ、俺も。
 内申は悪くない。多少素行に問題はあったが、ウチの高校基準じゃ『問題なし』に分類された。それを狙って高校のランク下げたんでさァ、と沖田はしゃあしゃあと言ってのけ、推薦を勝ち取っていった。近藤も大会での成績は優秀だったから、体育推薦で早々に進路が決まった。
 長谷川なんか自分も担任の俺も就職が決まる気がしねえし、桂はどうすんだろ。浪人覚悟なんだろうなって感じだし、だいたい行く末は見えた。
 決まらないのは、ほぼ土方だけだ。


 準備室に来なくなったのは夏休み明けだ。
 きっかけは俺が作った。俺はもう限界だった。口実を作ってやる余裕がなくなった。むしろ二人きりにならない口実を作った。いつものように土方が準備室に遊びに来たとき、扉を閉めさせず、あの子の好きなブラックコーヒーの代わりに甘ったるい(とあの子が言う)カフェオレをわざと出し、同じ時間に新八や高杉を呼び出した。来た途端に職員室に帰ったこともある。
 アホの子のくせにそんなところは敏いから、土方はすぐに察したのだ。俺があの子を避け始めたと。

 意味もわからなかっただろう。傷ついただろう。何故、どうしてと詰りたかっただろう。だが土方のそれらの言葉を、俺はすべて封殺した。授業中も目を意図的に逸らした。悄然とするのは視界の隅に入ったが、これは土方のためだと俺自身に言い聞かせた。
 もう、手を伸ばせばすぐそこにいる、そんな距離に耐えられなくて。
 いい大人、しかも教師、さらに担任が、未来ある生徒を一時とはいえ傷つけてはいけないと知りながら。
 これはあの子の長い人生で、躓いてはいけない分岐点だった。俺の願望なんぞで汚してはいけなかったのだ。土方の未来に、俺はあってはならない存在だった。

 だから消した。
 束の間の触れ合いは幸せだったけれど、俺の一方的な幸せでしかなかった。これからは土方の幸せだけを願おうと決意した故の行動だったのだ。だが、事は俺の思い通りには運ばなかった。



 しばらくして、高杉がドヤ顔で報告にきた。
 土方が毎日泣いていると。






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