ラフミー・ベイビー 『叔母さん、見つかったよ』 かあちゃんから電話が掛かってきた。 あれほど待ち望んだはずなのに。 かあちゃんは何時になく口数が少なかったのに。 やっぱり俺は何も言えなかった。 何も言えず、ただベイビーを抱いてあやすだけだった。 「身体壊して入院してんだってよ」 金時にそれを伝えると、そっか、と短い返事しか返って来なかった。やっぱり金時も俺と同じような気持ちなんだろう。きっと。 「相当ヤバかったらしくて、連絡出来なかったって」 「……そう」 「ウチのかあちゃん情報だと……親が、養育できない状況にあるときは、」 乳児院に入れられる、と。 「でも、そんなのってないだろ? 親がいない間は俺たちが面倒見られて、親が見つかった途端、乳児院なんて!」 「出生届はどうなってる」 金時は冷静だった。俺と一緒に憤ってくれはしなかった。それどころか俺と目も合わせようとしなかった。 「き、聞かなかった……」 「その一点だけでも、お前が興奮しちまってベイビー優先に考えられなかったって証拠だよ」 「なっ……!? 俺が、何だって?」 「お母さんはこの世にただ一人なんだよ、十四郎」 金時はベイビーを抱き上げ、そっとその顔を覗き込んで笑った。No.1ホストとは思えない、ぎこちない笑顔だった。 「俺たちの役目は終わったんだ。お母さんに返そう」 俺はまたもやベイビーを抱いて走っている。 金時は仕事に行った。 今度は金時から逃げている。 (どうして金時が) 必ずわかってくれると思っていた。賛成してくれると信じていた。なのに。 『乳児院なんて嫌だ! このまんま俺が育てる!』 『無理だよ。それに乳児院だってそんなに悪くないぜ?』 『なん、……っ』 『少なくとも俺がいた施設は、楽しかったよ。十四郎だってガキの頃の俺を知ってるだろ。自分で言うのもなんだけどそうヒネたガキでもなかったと思うんだけど』 『……』 『あれっ俺の思い込み? やっベー俺浮いてた? あはは』 『……お前は、別だ』 『そうでもないよ。それに』 金時は苦しそうに笑って見せた。 『……お母さんが迎えにくる。それは、決まったことなんだろ?』 『……』 『一時預かりなら里子に出されることはない。お母さんが治ったら、一緒に暮らせる』 『放り出して逃げた母親だぞ!?』 『じゃあ十四郎はこの先放り出さないって言えるの。この子が来たからカノジョに振られただろ。この先お前に……縁談が、』 『ベイビーが嫌だってヤツはこっちが願い下げだ!』 『就職する時は? 子どもがいますって言って、希望の会社に落ちたら? 保育園の送り迎えしながらじゃ昼間の仕事なんてろくにできないぜ? そんでも邪魔にならないって言える?』 『当たり前だろ!?』 『十四郎。この子はペットじゃねえんだ。その時になって、あの時手離してれば、なんて後悔はしちゃいけねえんだぞ』 『……俺が、後悔すると思うのか』 『うん。するよ。きっと』 『!』 『母親ですら面倒になることがあんだ。無理だ、聞き分けろ』 それから金時は、俺を一切見ずに出掛けていった。その直後、俺はベイビーを抱えて逃げ出したって訳だ。 高杉に電話したが出なかった。あの気まぐれ野郎。河上も出ないが、こいつはライブ中とかかもしれない。ムカつくが大っ嫌いな伊東に連絡してみた。クソインテリメガネめ。ダメだと言いやがった。テメーの血は緑色か。デスラーか。 佐々木もクソインテリメガネだし伊東より大っっ嫌いだが背に腹は変えられない。 「子ども連れなんだ。泊めてくれ」 『お子さんは自宅のほうが落ち着くと思いますが。食事なども我が家はエリートとはいえ男の一人暮らし、お子さんの口に合うものは用意できませんよ』 「飯は持ってく! 湯を沸かすのと、風呂貸してくれればいい」 『エリートですから風呂場など汚さないで欲しいのですが。あと近所迷惑なので静かにできますか』 「それは……無理、だ」 『ではお断りするしかありませんね。実は昨日のぶたすが来てミスドを食べ散らかした上に、足りないからと言ってコンビニ強盗紛いのことを』 「何やっとんじゃあ!? いいわ、やめとく」 『賢明です』 嫌味なヤツだ、ミスドくらい買ってやれ。あと強盗しようとする前に止めろ。おかしいだろいろいろと。 そろそろ飯の時間だ。なんか食わせないと。今日はベビーフードに頼るしかない。ミルクはどうしよう。 そこで思い出した。ベイビーの外出用具一式が入ったバッグ(ママバッグというらしいが俺は男だ)を、ほとんど無意識に引っ掴んできていた。大学に連れて行ったり来島に預けたりするときにモタつかないよう、取り揃えておいたんだ。ネットで見たんだけど。母ちゃんたちみんなやってたし便利そうだったし。 魔法瓶に熱湯入れてきたんだった。ミルクは作れる。それに湯煎も出来るから少しはあったかい飯を食わせてやれる。 公園のベンチに座らせて、少し遅い夕食だ。 「また、二人ぼっちになっちまったな」 「んまんま」 「いただきます。今日はスプーン落とすと使えなくなっちまうから俺がやるぞ?」 「うー……」 「ホラ、あーん。はいはい、自分でやりたいのな。明日、」 「んぐんぐ、んまー」 「美味いか。良かったな」 「うー! あーあ」 「ダメ。落としたら砂だらけだから。明日、な」 「あーう」 明日。 今夜はどうすればいいのだろう。高杉や河上が帰って来るとは限らない。来島の連絡先なんて知らないし、女の家に子連れで泊まらせろとは言えない。前カノと同じ迷惑は掛けられない。 (今から実家帰るか) 無理だ。かあちゃんは家にいない。それに時間が時間だ、もう終電はない。田舎の終電は遅いからな。俺だけならともかく、ベイビーを遅くまで連れ回せないし。 大っっ嫌いではあるが、佐々木はもしも俺一人だったら泊めてくれたかもしれない。クソインテリメガネも、子連れなのを知ってて断りやがったんであって俺だけならなんやかんやで泊めただろう。 でも、ベイビーごと受け入れられないなら意味なんかない。 「お前、出てっちまうのかな」 「だーた」 「嫌だよな?」 「あー?」 「イヤだって、言えよ」 「だー」 「……無理か。そうだよな」 何にも知らずにうちに来て、何にも知らないうちに別のとこに行かされて。 俺のことなんか全然覚えてないだろう。こいつの人生は長く、俺が一緒にいた時間なんてそのごく一部に過ぎない。 でも、俺はお前が、 やべえなんか前がよく見えねえ 「とーと、」 「ん?なんだ、慰めてくれんのか」 「とー」 「ごめん。こんなんじゃダメだな。もう平気」 「とー」 小さいながらも俺の様子がいつもと違うことに気づいたのか。 大きくなったな。前に家出したときはただ泣くばっかりだったのに。 ベイビーは不思議そうに俺を見上げる。俺は無理に笑って見せた。だが。 「とーいろ」 指をさされた。確かに俺に向けて。 「とーいろ」 「……おう」 「とー、ろ」 「うん……」 「とー」 「……ッ、」 大きくなったら忘れられてしまうだろう。 それでも、今だけでも、お前の記憶に残れたなら嬉しい。 嬉しすぎて、 「ひぐっ……」 嗚咽が止まらない。ベイビーを抱きしめ、心を落ち着けようとしたけど無駄だった。小さな体の温かさに泣けた。何にも知らずに笑う声に泣けた。泣いて、泣きまくった。こんなに愛おしい存在が、もうすぐ居なくなるかもしれないなんて。 突然、背中を叩かれた。 咄嗟に前に駆け出した。振り返ったら追いつかれる。 「ちょっと。俺なんだけど」 「離せッ」 「捕まえてないんだけどなぁっ! こんな時間に小さい子連れ歩いて、どういうつもり!?」 「……きん?」 振り向いたら金色の髪をボサボサに乱した金時。逆光で顔はよく見えないが、怒っているのはわかる。 ベイビーを金時から隠すように抱き直した。 「このド阿呆! 風邪ひかせたらどうすんだ、病院にもロクに掛かれねえのに!」 「……」 「母ちゃんに返せば病院にも行ける、予防接種だって! 俺たちひとつも受けさせてねえんだからな!」 「……」 「言っただろう! お前のペットじゃねえんだ、いやペットだって今時もっと大事にされてるわッ」 「ペットなんて思ってねえ!」 「思ってなくたってやってるこたァ変わりねえよ。自分の都合で引きずり回して。今日はどうするつもりだったんだ、こんな寒いのに!」 「……それは、」 「考えてねえだろ!」 「考えたわ! ただ、少し……当てが外れただけで」 「何を? 誰を当てにしてたの? つうか誰かを当てにしてたわけ?」 「……」 「十四郎。お前は親にはなれない。わかっただろ?」 「……だからって俺の叔母がこいつの母親とは認めねえ」 「他の奴のことはいい! おめーに資格がねえっつってんだ!」 返す言葉は、なかった。 金時は仕事を休んで、俺たちを探していた。それだけ金時に迷惑を掛けていたし、心配もさせたってことだ。 ベイビーのせいじゃない。俺のせいで。 引き取るなんて、もう言えなかった。 そもそもこの子と二人きりになった途端、俺は別れることを考え始めたじゃないか。何にも知らないのに。無心に俺を呼んでくれたのに。 「ごめんな……」 みっともなく泣き腫らした目でベイビーを見た。とーろ、とベイビーは言って笑った。 「あれ。十四郎のこと呼んでる」 「……」 「やっぱ、わかるのかね。血の繋がりっていうか、愛情の深さみたいなのが」 金時はベイビーを覗き込んで、寂しそうに笑った。 確かに寂しそうに見えたんだ。 前へ/次へ 目次TOPへ |