6. 生徒指導


 定期考査の後は大抵補習をしている。
 生徒にとってなるべく身近な具体例を挙げて説明する方式は、坂田以来変えていない。こちらは一人、対する生徒は複数。一人が発信する情報は限られている。その情報のどれが、どの生徒の琴線に触れるのか、やってみなければわからない。

「土方先生の補習って長いですよね」

 社会科の山崎が呆れたように言う。

「授業時間は変えられないんだし、補習だけでも手短かにすればいいんじゃないですか」
「……授業で理解が追っ付かねえから補習になってんだろ。同じこと繰り返したって意味がねえ」
「ええー、最近の生徒って授業聞いてなくないですか? 対面でもう一度言い聞かせて、初めて聞いたみたいな顔する子も少なくないですよ」
「昔からそんなヤツはいる」
「じゃあもう一回同じこと言えばいいんじゃ」
「聞いてても理解できねえヤツ向けにやってんだ」
「……そんなもんですかねえ」

 社会科とは性質が違うから、分かり合える日は来ないことをこの同僚にいくら言っても覚える気はないらしい。俺が苛立ったのは敏感に察知して、山崎は急に用事を思い出したようだった。そう言うお前は、『気づいたら出された課題がものすごい量だった』って生徒に文句言われてるぞ。

「昔いたよな。トシが三回くらい一人補習した生徒」

 先輩の近藤さんが山崎の背を目で追いながらカラカラと笑った。

「忘れた」
「銀髪の男子。赤い眼の」
「……」
「やる気のねえツラしてて、いっつも眠そうでさ」
「……」
「あれ、ホントに忘れた? 急にできるようになったって、あんときトシ嬉しそうに言ってたから覚えてるかなって思ったんだけど」
「覚えてねえ」

 アイツああ見えてやるときゃやる子だったよな、俺の授業ンときもさ、と近藤さんは懐かしそうに話し続けたが俺は聞き流して自分のPCに目を戻した。
 最後の一人になるまで補習したのは坂田だけではない。毎年一人や二人はそういう生徒がいる。
 互いにスッキリ解決して終わることは案外少ない。目の前の設問はなんとか解けたし成績もつけられるくらいには理解が追いついたと思うから終わりにしているが、坂田のように目の覚める進捗が見えた生徒は本当に数少ない。
 今年の補習は女子だった。


 女子生徒一人と男の教師である俺が一対一で長時間を過ごすことに、校長がいい顔をしないので今回は途中から課題提出に切り替え、教室での指導を打ち切った。一人で解くにはまだ難しいだろうと、個人の携帯番号を教えてやった。気まぐれな時間帯に電話が掛かってくる。俺が想定していたより頻繁だし、一回一回は長いし、質問の中身も今ひとつ要領を得ない。それでも、少しは進捗していることが確認できるから良しとしていたのだが、

「先生。何時だと思ってんの」

 坂田が不機嫌も露わに文句を言うようになった。

「仕事だ。先寝てろ」
「寝るけど。寝るけど先生も寝ないと。つーか他にも仕事してなかった? そっちは終わったの」
「これからだ。遅くなるからお前は」
「生徒は終わったらサッサと風呂入って寝るんだぜ? 先生これからまた徹夜じゃん、」
「仕事だ」
「絶対その子もう出来てるって。先生としゃべりたいから長引かせてるんだって!」
「テメェにわかるわけあるか」
「じゃあ俺がカテキョ引き受けてやるわ。安くしとく、先生だから」
「………は?」
「一日で終わる。一万円賭けてもいい」
「アホか」

 仕事に口を挟まれた苛立ちは大前提だ。
 だがこの時、俺の頭にはっきりと、坂田と女子生徒が頭を突き合わせて問題を解く光景が浮かんだのだ。
 この単元を坂田がきっちり理解していたのは、この俺が誰よりも知っている。普通の生徒なら卒業して何年も経ったら忘れてしまうことのほうが多いだろうが、坂田に限っては忘れることはないのも知っている。だから個人授業を任せるなら坂田が適任であることも、坂田にとってはそれが仕事になることも理解している。

 それでも不快だったのだ。

「俺の仕事だ」

 たとえ坂田の言うことが正しくて、女子生徒が俺との時間を過ごすために『できないフリ』をしていたのだとしても。

「口ィ出すなっつったろうが」

 坂田が、小娘と二人きりになることが。
 不快で不快で、そんな想像は一刻も早く頭の中から追い出したかったのだ。
 坂田は黙って俺を見つめた。やる気のない、眠そうなツラと近藤さんが評したあの顔で。
 そうだった。学校にいるときはいつだって、坂田はこんな顔をしていた。
 飲みに行こうと俺を誘い出したときも、待ち合わせ場所で待っていたのはこの顔の坂田だった。

『うわぁほんとに来た』

 と、坂田は開口一番そう言った。その顔には驚きも感動もなく、ぼんやりと死んだ魚のような目で俺を見ていた。そして俺は、馬鹿正直に待ち合わせ場所まで出向いたことを心底後悔した。
 いつからだろう。坂田が笑うようになったのは。
 嬉しそうに俺を見つめるようになったのは。

 そしていつからだろう。
 俺が坂田の視線を、独占するのが当たり前と思い込むようになったのは。

「じゃ、先に寝るわ」

 坂田は笑わなかった。平坦な目のまま、俺に背を向けた。
 部屋の扉が閉まった。


 その日俺は寝室に戻ることはなかった。
 ソファで仮眠し、出勤ギリギリの時間にやっと起き出してシャワーを済ませ、そのまま家を出た。
 坂田の無表情な顔を見る勇気もないまま。


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