少しだけ非日常の、日常


 遊びに行きたい、と銀時が言う。なに言ってんだお前。俺にそんな暇あると思ってんのか。

「休みはあんだろ。いつもおうちデートばっかじゃん、たまにはどっか行きてえの俺は」

 それだけでも呆れた発言なのにこのバカは、その後に『お前の金で』とつけ加えやがった。ふざけんな。
 却下したはずなのに、なぜか次の非番の日、海なんかに連れ出された。バカじゃねえの。俺疲れてるんだけど、主に仕事で。
 だいたい海で泳ぐのに電車で行くってなんだ。帰りどうする気だ。せめて車でも借りとけ、当然運転はお前がしろ。

「……で、浮き輪なんぞどうすんだ」
「使うんだけど。沈むし」
「泳げねえのかよ!?」

 おう、と元気よく銀時は答えた。そして堂々と浮き輪をつけて腰のあたりに両手で持ち、おもむろに砂浜を駆け出した。呆気にとられて見守っていると振り返って、俺がついてこないのを不満そうに睨む。ほんと面倒くさい。
 でもまあ、来ちまったもんはしょうがない。あとを追って波打ち際に足を浸す。冷てえ。このまま沖に行ってもいいが泳げないなら水を怖がったり、

「って少しは躊躇えよ!?」
「大丈夫だって、浮き輪あるし」
「なんで泳げねえのかよくわかんねえよ!」

 足がつかなくなるとなぜかご機嫌で、俺に浮き輪を引けと言う。こっちも腹いせに沖まで連れ出して、思いっきり水掛けてやった。自力で浮けないから手もたくさんは動かせず、俄然俺有利。バッシャバシャに濡らしてやって大笑いした。それからわざと遠くに泳いで離れて焦らせたり、潜って近づいて下から足引っ張ったり。泳げるほうが有利に決まってんだろ、あ、海パン脱がしてやろうかな。
 銀時をからかうのにも飽きたから、有無を言わせず浮き輪を押して砂浜に上がる。さんざんな目に遭わせてやったのに文句言うから凄い、いろんな意味で。
 喉渇いたし今度は売店を巡り、銀時はかき氷、俺は

「ビール飲んだらもう泳げないだろ! ダメ!」
「まだ懲りねえのかよ、上等だ」

 ラムネにしといてやった。甘ったるいのに美味い。青緑のビンを通して海を見ると、やけにキラキラ輝いていた。
 それからしばらくは日向ぼっこしてカラダをあっため、ちょっと用足しに行って帰ってきたら銀時が女にナンパされててムカついたからもう一度沖まで拉致。今度こそ海パン脱がしてやろうと心に決めてたけどやめた。誰かに見られンのも腹立つからな。
 そうして夕方になり、遊泳時間が終わりに近づいた。帰り支度をしなければならない。

「もう一回くれえ泳げんだろ、浮き輪の空気抜くな」
「イヤもう無理だろ。わがまま言うんじゃねえよ」
「テメーのペースじゃ無理だろうが俺が押してけばいける」
「無理無理、腹も減ったしもう終わり」

 なんだか面白くない。ごろりと砂に寝転んでみる。空の色が変わっている。あんなに青かったのに、少しずつくすんでいく。
 あーあ砂だらけになって、と銀時が苦笑する。そうだ、砂だらけだからまだ帰れない。

「楽しかった?」
「――まだ楽しい」

 過去形にする銀時が気に入らない。もう帰らないといけないのはわかってるのに駄々を捏ねたくなる。
 帰り支度をするのが嫌で、全部銀時にやらせた。しょうがねえなと笑いながらテキパキと手を動かすのもなんだか嫌だ。

「来るの面倒くさがってたくせに」
「帰るのが面倒くせえだけだし」
「俺たちもうオッサンだから明日辛えぞー」
「オッサンじゃねえし! 毎日鍛えてるから平気だし」
「もっと若いときに来られたらよかったのにな、二人で」

 なに言ってんだもっと若いときはお前のこと知らねえだろ。
 と言おうとしてやめた。銀時が来たがっていた理由が少しわかった気がした。互いに待つ人がいて、帰る場所は別々にある。それを無視できるほど、もう子供ではなくなった。
 それでもせめてほんの一日、たった二人の世界を無責任に楽しめた。時間に限りがあってもいい。めいっぱい、腹の底から二人で笑えた。

「充分だな。俺はオッサンじゃねえけど」

 負け惜しみを言ってみたけれど、銀時は笑っただけだった。俺も立ち上がって、帰るために身支度を始めた。
 きっと何十年経っても忘れないだろう。ほんの少しだけ非日常の、忘れがたい普通の日。年甲斐もなくはしゃいだけれど、歳とって振り返ればこの日の自分も若かったと思えるのだろう。

 空が暮れてゆく。物悲しくなるのが嫌で、見上げるのはやめた。銀時が黙って手を引いた。
 さらば、束の間の幸せ。この儚さは、青春とかいう青臭く、かつやけに懐かしい言葉に似ている。


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