あなたしか見えない


 特に釣りが好きなわけではない。むしろやったこともない。家でゴロゴロしてるのがいいに決まってるクチである。

「……思ったのと違ったな、やめときゃよかった」

 知らないとは恐ろしいことだ。釣りならじっとしているだけだし、なんて思っていた自分はなんてバカだったのだろう。
 俺しか見えない土方は、いとも簡単に足を踏み外す。今にも水に落ちそうなのに本人だけがその危機に気づかない。土方が心配することといえば、さっきからたったひとつだ。

「俺と二人じゃつまんねえか、やっぱり」

 視線が下がっていく。それでも他所を向かずに俺の足元に目を落とすのは、何も見えないより足先だけでも見えるほうがまだマシだからだろうか。

「そうじゃない。そういうんじゃねえから……とりあえずそこ、ちょっと待てそうじゃなくて、こっち向きに……そう、そのまま座って。これ持って、じっとしてろ」

 俺が余計なこと言ったせいで浮いた腰をもう一度落ち着けてやり、釣竿を持たせる。その横に、俺はぴったりと寄添わなければならない。
 二週間ほど前だったか。朝、校門の前の公道を笑顔で突っ切ってきた土方に、俺は肝を冷やした。車通りも少なくないのに、土方はただひと言、銀八、と言って駆け寄ってきた。途端に鳴り響くクラクションに驚いた顔になって、それでも周りを見ようとはしない。土方は真っ直ぐ俺だけを見つめていた。そして、銀八は見える、と呟いて俺の白衣の裾を笑顔のまま握りしめた。
 他は見えないらしい。恋とかそういう意味じゃなくて、本当に俺しか見えないんだそうだ。あとは真っ白。音は聞こえるらしい。登校途中で急に周りが見えなくなって、勘だけで校門まで辿り着いたんだそうだ。あっけらかんとしているようには見えたが、白衣を握る手は震えていた。
 それ以来、土方はいつも俺のそばにいる。
 もともと一人暮らしみたいなものだった。一応親は同居していることになっているが、仕事柄ほとんど家に帰っていない。だから土方が俺と暮らしていても、学校にバレさえしなければ咎める者はいなかった。
 もちろん医者にもかかった。が、そんな症状を信じてくれというほうが無理で、嘘つきと明言はしないもののそれに近いことをやんわりと言われて終いだった。
 釣りに行こうと誘ったのは俺だ。不自然な共同生活を始めてからは俺の部屋と学校を往復するだけの毎日だった。気分転換と本人には言ったが、原因を探るためにはいつもと違う行動も必要ではないかと思ったのだ。
 土方は喜んだ。嬉しそうに、手探りで持ち物を揃えようとしてひとつひとつ、これはタオルだとかこれはクーラーボックスだとか、釣れたらこの中に入れて今晩食えるなとかなんとか、ずっとしゃべっていた。そして何か言うたびに俺を真っ直ぐ見つめるのだ。


「なあ、釣れてるか?」

 俺のほかは何も見えないから、持っている釣竿の先がどうなっているのかもわからない。さっきから土方は何度も同じ台詞を繰り返す。

「そう簡単に釣れるわけあるか、魚だって今日始めたばっかのヤツに釣られたくねえもん」
「魚に俺たちが今日始めたばっかかどうかなんてわかんねえだろ」
「じゃあ俺たち釣りのセンスねえんじゃねーの、まるで釣れないんだけど」

 いくら見えなくたって手の感触でわかるだろう。土方の竿はピクリとも動かない。もちろん俺もだ。

「周りって、人いるのか」
「すぐそばにゃいねえけど、まあまあ」
「全然声しねえのに?」
「静かにしてねえと掛かんねえんじゃね」
「よくじっとしてられるなあ……」

 気の長いほうではない土方は、何度目だかのため息を吐く。
 周りに人がいないところを選んだのだから、釣れるわけがない。上手い下手以前に、たぶんポイントを外してるんだろう。他の釣り人は声の届かない距離にいて、俺たちの姿なんて目にも入るまい。

「おい、もう少しこっち来い。落ちるぞ」

 それをいいことに俺は、土方の腰に手伸ばして引き寄せる。土方は何の疑いもなく大人しく体を寄せる。
 治らなければ土方の人生は前途多難だ。現に、好きな剣道も休部扱いになっていて復帰の見込みはない。だから大学の推薦だって取れそうにないし、一般入試だって見えなければ難しい。見えるようになればいいに決まっている。

「あったけえ。やっぱり川べりって寒ィな」

 呑気に呟く土方は、何を思っているのかわからない。少なくとも今は、目を細めて気持ちよさそうに俺の肩に頭を乗せる。眠ってしまいそうだ。こんなところで眠ったら風邪をひく。起こしたほうがいいんだけれども、気持ちよさそうだし。
 もうこのまんまでいいか、なんて投げやりな気分になって、俺は川面に目を向けた。この風景を土方と一緒に見るときは、きっと土方が俺から巣立っていくときなんだろう。

「銀八先生と
坂田しか見えなくなった土方が
魚を釣りに行く」
#とある銀土のとある1日 #スロットメーカー



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