好きでいるということ


「俺なんかって言うなって、ずっと思ってきたけど」

 銀時の表情はまだ強張っている。部屋に来てはくれたが、まだ真っ直ぐに俺を見ようとはしない。俺はびくびくしてときどき目を上げることしかできない。

「俺なんか、じゃねえんだな。俺ができないはずがないって思ってる」
「?」
「で、出来なかったらものすごいショック受ける」
「……」
「これも自覚なし、か」
「?」

 休憩終わるから戻るわ、とあの後銀時は唐突に呟いて体を離した。そのまま帰ろうとするのを引き止めていいのかよくわからなくて、背中を見つめていたらボソッと『部屋で待ってろ』と言うのが聞こえて、振り向きもせずに銀時は行ってしまった。
 不安で仕方がなかった。でも最初に突き放したのは俺だった。銀時はもっと長いこと不安だったに違いない。それに待っていろと言ったのだ。信じるしかないと腹を決めた。
 夜になって銀時はやってきた。今までなら鍵を開けておけば勝手に入ってきたのに、俺がドアを開けるまで入ってこようとしなかった。やっと入ってきたと思ったら重苦しく押し黙り、険しい顔で足元を睨みつけている。座れ、と言ってようやく座った。そしていきなりそう言った。

「沖田くんに少し聞いた」

 なんか飲むか、なんて話を逸らすような俺の言葉にきっぱり首を振って、銀時は再び口を開いた。

「女じゃなくて高杉だったのか」
「……」
「妬くなとは言わねえよ。むしろ嬉しい」
「……」
「けど、これはねえだろう」
「……悪かった」
「なんで言わなかった」
「……」
「いちばん腹立つのはな。黙って消えようとしたとこだ」
「ごめ……」
「謝れっつってんじゃねえよ。謝られても収まんねえし」

 どういうことだろう、と俺はびくつきながらも心の中で首を捻る。謝っても収まらないとは。怒りを吐き出してから別れたいということだろうか。
 理屈はわかる。でも、なにか違う気がする。気がする、なんて曖昧にもほどがあるのだが、銀時の求めるものは別にあるように思える。

(なんて言えばいいんだろう)

「なに考えてる」

 銀時は殊更に眉を顰めて、俺を睨んだ。

「……え、っと」
「……」
「あの……」
「……」
「……」

 ヒントはない、らしい。
 なんと答えたら銀時は満足するのか、俺にはわからない。わからないから、答えようがない。

「悪かった、ほんと」
「……」
「その、なんて言っていいかわかんなくて、」
「……」
「黙って、逃げた。すまなかった」
「なにを? なにをなんて言っていいかわかんなかったの」

 追求されるとは思わなかったので少し驚いた。これだけ言うのもやっとだったのに、まだ足りないらしい。でもこの後は、

「総悟に聞いたん、だろ……高杉に会うななんて、俺が言えた義理じゃないのわかってんだけど、どうし」
「言えばいいじゃん。高杉はヤだって」
「……」

 今度は話を切られた。そうだよな、これもう聞いてきたんだよな。
 じゃあ何を言えばいいんだ。

「……何を聞きたいんだ。言ってくれれば答えるから」

 もうお手上げだった。
 けれども銀時は長いため息を吐いた。ムッとしないでもないが、怒らせているのが俺である以上咎めることはできない。
 長い沈黙があった。

「俺もずっとそう思ってた。なにが気に障ったんだろうって」

 やがてポツリと銀時が呟いた。もう一度謝ろうとすると身振りで止められた。

「そうじゃない。そういう気持ちだったって言いてえだけだ。困るだろ、得体が知れねえと」
「あ……」
「それはもういい。そうじゃなくて、この先の話だ」
「先、って、なんの」
「は? 俺とお前の、今後の話だよ」

 何に驚いたのか、銀時は目を瞠って顔を上げた。相変わらず酷い顔だが表情はいつもの銀時が少し戻ってきた。訳もなくほっとする。そして考える。
 俺と、銀時の。今後の、話。

「……別れねえ、で、いいのか?」

 ここを確認しないと俺は先に進めない。
 銀時の腫れた目がさらに大きく開いて、はあ、と大きなため息が出て、銀時は机に突っ伏した。

「今別れるとか言うなよ。心臓止まりそう」
「……いいのか?」
「その言葉使わなきゃいいってもんでもねえよ!」
「う、や、でも」
「別れねーよ絶対!――って言いてえけど、おめーは? 別れたいの? もっかいこのやり取りやんねえとダメなの死にそうなんだけど俺」
「……別れたくない、けど」
「ホラそれだよ」

 再び上がった顔は、また険しく歪んでいた。腫れた瞼の間からこちらを睨みながら銀時は呻く。

「『けど』なんなの。何が引っかかるの。そこんとこハッキリさせようぜこの際」
「……」
「いろいろぐちゃぐちゃ考えてんだろ。俺に言ってみろよ」
「……」
「あのな、ヤキモチくれえ誰だって妬くだろ。俺も、沖田くんも! 猿飛なんざ妬くのがキモチイイとか言い出してんだろ」
「……」
「お前だけは別とかあり得ねえだろ、ンなこた当たり前なの」
「……」
「それが許せねえ? 自分に」
「え、ああ、そんなことは」
「ない? ほんとか」
「……」
「妬かねえのは理想だろうよ。でも現実にイラッとすんだろ。んで、イラッとした自分にショック受けて、俺に見せたくねえからってどっか行こうとしたんじゃねえの?」

 その通りだ。そう考えたことはなかったし、言い分はないでもないけれどそれは正しい。そうじゃない、と反論しようとしてもろくに思いつかないのがその証拠だ。一人足掻いた挙句、俺は渋々頷くしかなかった。
 銀時は何度目かの長いため息を吐いた。

「そら『俺なんか』って言うわ。おめーの合格基準ものすげえ高えんだもん」
「……え?」
「なんでいつも自信なさそうなのかなってずっと気になってたんだよ。こんなにいい男だし、別に勉強できねえ訳でもねえし、剣道強えし、なのになんでちっちゃくなってんのかなって」
「そんないいモンじゃねえ」
「いやいいモンなんだよ。おめーの基準じゃまだまだなのかもしんねえけど、傍から見たらすげえ奴なのおめーは。自覚ないだけで」
「……」
「さらなる上を目指すのは勝手にやってくれよ、それは好きにすりゃいいよ。けど、『できねえ自分』を嫌わねえでくんない」
「……?」
「そのせいでフラれんのなんざ、それこそ納得いかねえもんよ」
「……??」
「わかってねー顔。あのな、」

 ずい、と銀時は身を乗り出した。反射的に身を引こうとすると手を掴まれた。緋色の瞳がじっと俺を見つめる。

「どんな十四郎も好きだ――こないだも俺はそう言ったぞ。寝ぼけて聞いてねえかもしんねえけど」
「お、ぅ、あ、りが」
「だからそういうのいらねえって。ダメで落ち込んでる十四郎も、俺は好き」
「そ、そうか、あの、」
「今さぁ、自分でも酷え顔だってわかってんよ。頭爆発してるし。店長に客の前出んなって怒られたし」
「……うん」
「そんな俺は、嫌い?」
「! ッ嫌いなわけ、」
「じゃあ俺も。ぐちゃぐちゃ悩んで絡まってる十四郎も好き。だからさ、」

 握られた手が組み替えられ、指と指が絡まり、手のひらを合わせて強く握られる。

「一人で悩まないで。俺に言ってくれ――俺に文句言いてえなら俺に言え。そんなんで嫌いになれるわけがねえ。なるわけねえから」
「……」
「まだなんかある? 言ってくんねえとわかんねえ」

 ある。
 初めからずっと、引っかかっていたことが。
 やっぱり俺ではダメなんじゃないかとずっと思ってきたこと。
 言っていいんだろうか。俺に関係ないことなのに、口を挟んでいいのだろうか。
 銀時の指が促すように俺の手の甲を撫でる。眉はまだ寄っているし口許はきつく結ばれているけれど、聞こうとしてくれているのは痛いほどわかる。
 言ってみようか。愚かな願望だとわかっているけれど。

「……一人暮らし、しねえの」

 せめて声が震えないように。顔は、上げられなかった。
 え、と聞き返されたが、繰り返す勇気はなかった。

「ああ、するって言ってそれっきりだから?」
「……」
「一人暮らし、は、しねえかな。たぶん」
「ッそれ、俺と遊んでて金貯まんねえからとか」
「違う。金は貯まってる。高校ンときも少しバイトしてたし」

 それか、と言って銀時はやっと頬を緩めた。そしてしばらく言い淀んだ。
 さっきから俺はこの人をどれだけ苛立たせただろう。俺の心の奥を引き出すのに、この人はどれほど辛抱してくれたのだろう。ささやかなお返しとして、銀時の言葉を待つくらいなんでもなかった。ただ、繋がれた手に力が入ってしまったのは許してもらいたい。
 手の力に気づいた銀時はそっと笑った。

「松陽に止められてたんだよ」
「家、出るの反対ってことか……?」
「いや家はいいんだ。大学入ったら出るって言ってたし、高校時代のバイト代はそのためだってアイツも知ってる」
「……?」
「俺が家出れば、妙な合宿も自宅でできるだろ」
「じゃあ、なんで……?」
「二人で住みたい、って言ったら――まだダメだって言われてよ」
「!」

 自信のなさそうな視線がチラリと俺に投げられる。意味がわからない。なんで不安そうなんだ。というより、

「なんでわかったんだ……」
「なにが?」
「え、俺が、一緒に住みたいって思、!?」

 何を言っているのか。
 勝手な願望、いや、ほとんど夢みたいなものだったから死ぬまで黙っていようと思っていたのに。
 でも銀時は笑った。それは綺麗に笑ってくれた。

「よかった。十四郎がそう思ってなかったらそもそもダメな話だからさ」
「それこそ言えばいいのに……!」
「いや、言おうと思ったんだけどその前に止められた。もう少しよく考えろって」
「松陽先生に……?」
「でも、ついこないだ『そろそろ大丈夫そう』って。フラれそうなのに今言うかって喧嘩になったけど」


『人を好きになるということがどんなかんじなのか、少しはわかったようですから』


 松陽先生はそう言ったそうだ。
 あの得体の知れない笑顔を浮かべて、落ち込む銀時に朗らかに宣言した場面が想像できてなんだか腹が立つような、感謝したいような複雑な気分だ。
 それから銀時と俺は、会わなかった間のことを少しずつ話した。そのうちに銀時がうつらうつらし始めたので慌ててベッドに追いやり、銀時はそのまま眠ってしまった。きっとよく眠れていなかったのだろう。翌日のバイトの予定はよくわからなかったが朝になってもまるで目を覚まさないので、恥ずかしいのを堪えて昨日もらったレシートを見ながら銀時の店に電話をした。夕方からだというのを確かめてから、自分のバイト先に休みの連絡をした。山崎には悪いが今日だけは二人分働いてもらうことにしよう。

「とうしろ……どこ」
「起きたか。もう少し寝てて大丈夫だぞ」
「……」
「飯食えるようにしとくから」
「……」
「腹減ってねえ……?」
「へった。でもいまはいい」

 伸びてボサボサの髪を撫でていたら、いきなりベッドに引きずり込まれた。

「いまは、これがいい」

 抱きすくめられて、首元に顔を埋められた。すん、と匂いを吸い込むのが聞こえた。

「ちょっ、」
「とうしろのにおい」
「……」
「もうどっかいかないで」
「……」
「とおしろがいなくなったら、」
「……ん?」
「おれも、もうだめだ」
「銀時」

 そういうことか。
 心が温かいもので満たされる。
 ずっと好きだった。それは長いこと俺の一方的な想いだった。銀時が俺を好きだと言ってくれた後も、その想いは変えられなかった。
 今から、変えなければいけない。
 互いに好きでいるということは、そういうことだ。


「お前がダメになったら尻叩いて俺が立て直してやる」


 きっとあなたもそうしてくれるとわかったから。


「やっぱり起きろ。飯にするぞ」


 銀時はふんわりと笑って、目を開けた。





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