幼馴染


 チャイナがどうしてもってェんで仕方なく誘ってやったんですぜ。

 総悟が心底嫌そうに電話してきたのは、バイトも終わりに近づいた頃だった。
 大学はまだ冬休み前だったが休講が増え、実質冬休みのようなものだったから俺はほとんど部屋を出ず、バイトまでの時間をゴロゴロと怠惰に過ごしていた。そのバイトも今日は休みで、もうこうなったら一日ゴロゴロしてやろうと心に決めたばかりだったのに。
 俺もテメェと会う謂れはねえと言い返してやったが総悟がそんな嫌味に怯むはずもなく、今から行くから待ってろィ、と一方的に宣言されて勝手に電話切られた。
 ぼんやりしていたらほんとにチャイムが鳴って、ドアを開けたら仏頂面の総悟が立っていた。

「入れろってんでィ。寒ッ」
「来てくれっつった覚えはねえ」
「るせー上げろィ」

 ふくれっ面の総悟は短く吐き捨てた。そしてフンと鼻を鳴らして付け加えた。

「旦那に文句言われることもなくなったんでしょう」

 鼻先までマフラーに埋まって、目だけじろりと俺を睨み上げた総悟の勢いに押されて、俺は久し振りに他人を部屋に招き入れた。
 それに、総悟の言う通りだ。もう俺には他人を部屋に入れることを拒絶する理由はなかった。



「で、原因は何です」
「……何でもいいだろ、」
「だいたいの見当はつきやした。でもアンタの口から聞きてえんでィ」
「は、」
「高杉にも会いやした。念のため旦那の元カノも遠目に見てきやした」
「……」
「ま、俺がやったんじゃねえ。ザキ走らせただけですが」

 山崎め。余計なことを余計なヤツに喋りやがったな、明日会ったらシメてやる。

「ならわかっただろ。そういうことだ」
「いーや、全然わからねえ」
「調べたんだろ。山崎ならキッチリ調べ尽くしただろうが」
「俺が知ってんのァ、旦那が高杉んちにお泊まりしてアンタがいっちょまえにヤキモチ妬いて高杉に文句言ったことと、旦那は高杉にハメられたってことだけでさ――あ、ハメられたってのァ掘られたってことじゃありやせんぜ、オエエェ」

 総悟は露骨に顔を顰めた。

「おちょくられたんでさァ。元カノが旦那のこと追っかけ回してるって脅されて」
「……そうか」

 ああ、なんか言ってたな。あの女とは何にもなかった、とか。そういうことか。

「それはどうでもいい」
「ヨリ戻そうが知ったこっちゃねえ、と?」
「それは……まあ、あいつがそうしたいなら俺が口出す謂れはねえし」
「ヤキモチは妬くのに?」
「……」
「高杉が腹抱えて笑ってたそうでさァ。銀時を誘うなって言ったって、野郎は旦那と会うこた滅多にねえらしいじゃねえですか」
「……」
「泊まりがそんなに嫌でしたか。心狭すぎらァ」
「……」
「旦那にそれをやめさせンなら、アンタも俺たちと会えなくなりやすぜ」
「……」
「まあ俺ァ清々するけど。近藤さんにめっちゃ心配かけやがって、迂闊に呼び出さねえほうがいいかもってあの人が慣れねえ気ィ遣ってンのなんざ見ちゃいらんねえや」
「もう気遣いはいらねえだろ」
「別れるつもりですか」

 こいつの前で泣きたくない。
 深呼吸して、込み上げてきたものを無理に飲み下す。
 なんでもない。こんなことは、なんでもないのだ。

「それがいいと思う」

 何度も考えた。そうしなくて済む方法を必死で探していることに愕然とした。別れることを自分に納得させるためにもう会わないと決めたはずなのに、油断すればふらふらともう一度会える方法を考えているのだ。
 もう友人としての立ち位置も失った。
 ああ、あの日欲張りさえしなければ、俺はまだ銀時の友人ではいられたのに。

「どうして?」

 総悟は無表情に俺を見つめた。
 そこに救いはなく、だが俺を責める色もなかった。総悟が無表情になると、大抵の奴はギョッとして距離を置く。だが俺や、多分近藤さんも、長い付き合いの身内にはわかる。相手の話を聞くことに意識を向けるあまり、総悟は自分のことが疎かになることがあると。ドSで嫌がらせばかりするこの馬鹿でも長年付き合えるのは、そういう一面があるのを知っているからかもしれない。
 それにしても久し振りにこの顔を見る気がする。懐かしく、ああこいつ変わってないなと思える安心感。この先何かが起きて俺たちの間に距離ができても、きっと付き合いは途絶えないのだろうという漠然とした未来図。途絶えてしまった繋がりに比べて、こいつらとの関わりは俺にとって遥かに堅実なものに見えた。
 だからつい、言ってしまおうと思った。

「……夜中だった。近くのコンビニで、あいつを見かけた」

 連絡なしに俺の部屋に来る人ではなかった。来るときには必ず都合を聞いてくれた。それが他人行儀な気がして、本当は少し寂しかった。そんなことを言うのは我儘でしかないと自分を律していたけれど。

「とうとう突然押しかけて来る気になったのかと思った。嬉しかった」

 また少し、距離が縮まった気がして。俺の傍に、あのひとが近づいてきてくれたような気がして、俺は確かに嬉しかった。きっと本人に言っても理解されないほどささやかであっても、俺にとっては小さくない一歩だと思ったのだ。

「……だが違った。大きな勘違いだった」

 銀色の髪に目を奪われて、しばらくその隣に人がいることに気づかなかった。よく見れば、知った人物がそこにいた。

「俺には二人きりになるなって言ったくせに……夜中に、もうあいつんちに帰る電車はねえって時間なのに、二人で、楽しそうに喋りながら、」

 俺には気づかずに。
 高杉が何か言うと、ムキになって言い返しているのが見えた。いかにも昔馴染みの、楽しげな雰囲気だった。

「わかってる。たとえば俺とテメェが夜中に買い出しに行ったって何も起こらねえ。起こるはずがねえ。それとおんなじだって、わかってんだ」

 でも、ダメだった。
 俺と二人きりにしたくないと言った高杉なのに、そう言ったその人自身が、高杉と二人きりでいる。そのことに我慢できなかった。

「何にもなかったことなんてわかってる。その後あいつと会ったから……後ろめたさなんてひとつもなかった。嘘ついてるわけでもない。何にもなかったんだってわかってた。俺の心配までしてくれた」

 きっと俺は不自然に強張っていただろう。あのひとはそれにすぐに気づいてくれた。どうした、と尋ねてくれた。

「何にもなかったのに……ただの幼馴染なのに。男が男の部屋に泊まったって普通はなんも起こらねえ。そんなこた、わかってんだ。おかしいのは俺だけって……でも、どうしても、嫌だった。俺じゃない誰かと二人で過ごしてほしくなかった。高杉は、嫌だった……」

 だから電話した。高杉に、あいつを誘うなと。高杉が呼び出したに違いない、あのひとは悪くないと無理矢理こじつけて、高杉に咎をすべて押しつけて。

「おかしいのは、俺だ。俺だけだ。あいつのそばにいられるのなんて、奇跡なのに。それだけで幸せなはずなのに、それ以上を求めちゃいけねえって知ってたはずなのに、」

 願ってしまった。
 俺だけのあのひとでいて欲しい、と。

「俺は、もう一緒にいられねえ。いちゃいけねえ――俺は、」

 こんなに醜い願望を抱いた俺は、
 あの綺麗な銀色に相応しくない。
 俺の醜さに気づかないまま、離れてほしい。



 総悟がそっとため息を吐いた。

「そう思うンなら仕方ねえ。好きにしなせェ」

 そういえばここに来てからコートも脱いでいなかった。来たときの姿のまま、総悟は立ち上がった。

「だが、一カ所だけ付き合ってもらいまさァ。出かけンだから支度しろィ」
「……なん、」

「電話で言ったはずですぜ。チャイナにどうしてもって言われててねィ。ちょっと賭けして負けちまったんだが借りは作りたくねェ。一個言うこと聞かなきゃなんねえんで、いいから支度しろやしねえならマッパで表ェ蹴り出すぜィ」

 怠惰な休日は強制的に終わらされた。体が重いのは気が進まないせいだけではない。

 俺の周囲に銀色がいないから。
 何もかもが色褪せて、意味なく見える。

 総悟の舌打ちが聞こえ、俺はのろのろと着替えを始めた。後ろからまたため息が聞こえ、続いて苛立ちを隠さない声がした。

「思い通りにならねえのが嫉妬でしょうに」

 振り返って総悟を見たけれど、総悟は素知らぬ顔で俺を待っているだけだった。



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