去る者を追う



 銀時が熱を出し、自宅で一人だと言うので差し入れをした。しなければよかった。
 自分の良心の声に耳を傾けるべきだった。具合の悪さにつけ込むような真似は卑怯だと、俺は確かに思ったのだ。だが俺はそれを無視した。酷い熱だった。無事に帰り着いたかどうか確認するくらいいいだろう、と。

 その結果、銀時は俺の隠し続けた秘密を、それこそ中学の時から何年も隠しおおせていた秘密を遂に知ってしまった。

「そばにいて。俺も、お前と一緒にいるから」

 銀時はそう言って、俺を引き寄せた。苦笑するしかなかった。病気のときは誰だって心細くなる。普段弱味を見せない銀時も例に漏れない。俺は説得を諦めて、せめて熱が下がるまでは言い争うのはやめようと決めた。その決意を銀時に知らせるためではなく、俺自身に言い聞かせるためにそっと手を握り返した。
 安心したのか、銀時はすぐに眠ってしまった。

 来たときつけっ放しだったテレビはとっくに消してある。静かすぎる。片手を取られてしまったから、銀時から離れることができない。熱を帯びたその手は、俺に錯覚を起こさせる。俺自身を求めるが故の熱ではないかと思いたくなってしまう。
 今の彼女とは別れるようだ。銀時の歴代の中でも、特に気に食わない女だった。銀時を振り回し、遊び歩く。具合が悪いと言う銀時にすら、外で何か食べようとつきまとっていた。阿呆か。目の前のカレシの皿を見ろ、ほとんど手もつけてないのに。食えないのがわからないのか。
 銀時が惚れた女を悪し様に言うのは憚られたが、その場にいたら何か言ってしまいそうだった。
 それでも俺にできることといったら、いつも通り逃げ出すことだけだった。銀時の女の顔など見る勇気はない。あった試しがない。それに、俺もたいして変わらない。銀時が弱っているのをいいことに、俺の部屋に引き込もうとした。ああ、俺のほうが質が悪い。親切に見せかけて、その実下心満々だなんて。




 明け方、冷えピタがデコに貼りつく感触で目が覚めた。俺は土方の手を握ったまま爆睡していたらしい。

「目ェ覚めたか。もう離してくれ」

 土方は控えめに言って、そっと手を引いた。反射的に強く握ると、困った顔になった。

「なあ……トイレ、行きてえし」
「あ、ごめん」

 そうか、俺のせいでひと晩中トイレ我慢してたのか。それは悪かった。名残惜しく手を離すと、土方は急いで手を引っ込めたがそれだけだった。

「あれ? トイレの場所知ってるよな」
「ん、ああ……知ってる」

 つき合いだけは長いから、土方も何度かここに来たことがある。沖田とか近藤と一緒に、夏休みの宿題が終わんねえから土方呼びつけて写したっけ。高杉も混じってたな。
 あの頃も土方は俺には一線引いてた気がする。高杉の頭は遠慮なく引っ叩いてたのに。あの頃から土方は俺が好きだったのかな。
 その想像は微笑ましく、温かいものだった。もっと早く気づけばよかった。なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろう。これからはきっと大事にしよう。土方も、土方との時間も。

「じゃあ、帰る」
「――え?」

 突然土方の声が耳に飛び込んできて、頭が追いつかず、間抜けな声が出てしまった。

「水分は摂れよ。食えそうだったら飯も」
「……え?」
「鍵はドアのポストに入れとくから。じゃあ」
「ちょっ、」

 起き上がったらくらっと目眩がしたのは熱のせいだけじゃない。

「帰る? なんで?」
「なんでって……」
「まだカノジョと別れてないから? あいつ朝弱えんだよ、別れ話すんのに寝ぼけられちゃたまんねえから午後する。延ばしてる訳じゃねえから」
「……良くなってから、よく考えろ」
「は? まああの子すんなり納得するかわかんねえけど、押し通すから」
「そうじゃなくて……坂田、」

 さっきまで手を伸ばせばそこにいた土方が、また距離を取っている。俺の手がちっとも届かない。
 でも、これは縮めていい距離だと俺はもう知っている。熱なんか知ったことか。俺は土方に近づいて、手を取って、

「……ッ、ちょ、さかたっ」
「土方。好き。どんな女よりお前が」

 土方を抱きしめた。慌てて俺を突き放そうとするのを押さえ込んだ。相手が男だと力も強いからちょっと苦労した。

「気のせいだ。弱ってるときは誰でも人恋しくなるもんだ」
「そうじゃない」
「だからカノジョ呼べって言ったのに……悪ィこた言わねえから、今からでも」
「呼ばねえ。もう会わねえし」
「お前なぁ」
「なんで信じねえの。お前が好き。一緒にいてえのはお前。熱出たからじゃねえよ、頭は正常だもん」
「全然正常じゃねえよ」

 土方はひっそりとため息をついた。

「どこで勘違いしたか知らねえが、俺は単に見舞いに来ただけだ。終電なかったし、夜中に実家の家族起こすのもなんだから泊めてもらっただけだ。それに坂田、」

 腕の中で、土方の身体がきゅっと強張った。

「俺は男だ」

 どうやら土方は、昨日のことをなかったことにするつもりらしいとやっとわかってきた。その理由は見当がつかないが、腕の中から抜け出そうとするのがその証拠だ。

「知ってる。でも、好き」
「なに言ってんだお前、付き合ってきたのみんな女じゃねえか」
「うん。今まではね」
「じゃあこれからもそうしろ」
「やだよ。土方がいい」
「ッ、いい加減にしろ」
「しない。土方がわかってくれるまで離さねえし、好きって言い続ける」
「俺は男とはつき合わねえ」
「女ともつき合わないくせに」
「――ッ、」

 土方の息が、ピタリと止まった。何も言わない。息もしない。

「おい、ひじか」
「離せ。二度と触んな」
「え、泣い」
「黙れ! 来んじゃなかった。俺が馬鹿だった」

 思わず緩んだ腕の中から、土方はスルリと抜け出した。

「俺は! テメェが取っ替え引っ替えつき合う女の! 代わりになんざなれねえ! 俺は、テメェと楽しく授業サボって遊びにも行けねえしっ、楽しませてなんて……やれる訳が、ねえだろ! 女とつき合ったことがねえ? 当たり前だ、テメェみてえに、俺は……誰かを幸せになんざできねえ! できる訳がねえ、」


 土方が取り乱すのを初めて見た。土方はいつも冷静で、さりげなく人を気遣い、助けるんだと思っていた。要領の良さはなくても、土方が人を惹きつける様は、中学の頃から今も変わらないあのモテっぷりでもよくわかるのに。

「土方、俺は幸せになれるよ。お前がいれば」
「うるせえ! テメェは俺なんかいなくたってッ」
「お前がいたほうがいい」
「いなくたって! 他の、誰かと……ッ」
「なんでだよ。土方がいいって言ってるじゃん」

 確かに生真面目な土方から見れば俺は不誠実な男に見えるのかもしれない。でも、泣いて嫌がるほど俺のダメっぷりが気に入らないなら、なんで今まで一緒にいたんだ。

「俺は……! 俺なんて、」
「なんて、って何。男だから? 土方は、男とつき合うの、嫌?」
「嫌だ! どうせ、長続きしねえならッ」
「なんでだよ。ずっとって言ったよね俺」
「お前のずっとなんざ信用できねえんだよ、今まで何人いたか、俺は全部ッ」
「よく覚えてるな。お前、俺のこと大好きじゃん」

 土方は目を見開いた。綺麗な目だと思った。魅入っていたら、フイと逸らされてしまったけれど。

「帰んなよ。ほんとは帰りたくないだろ?」
「……そんなこと、」
「一緒にいたくねえ? 俺はいたい。好きなヤツとならいつまでも一緒にいたい。土方は? いくら好きでもそうなんねえの? だったらしつこくしねえし、明日からは土方の時間も大事にするよ。でも今日は」
「なんで、そう言えるんだ」
「え、そりゃしくじることもあるかもしんねえけど、ヤだったら言ってくれれば気をつけ、」
「そうじゃねえ。なんで、俺がお前を好きだって、そんな自信持って言えるんだ」
「だってどっからどう見ても好き好きじゃん。あ、だからお前のこと好きになったわけじゃねえよ? 俺がお前を好きなんだからな」
「……」




 自分が愛されていると、銀時はその前提を疑うことなく言葉を紡ぐ。今までの銀時の彼女と同じ位置に、俺を置こうとする。
 俺はそんな自信を持てない。歴代の彼女は銀時とどう向き合ったのだろうか。俺は見ていられなかったから目の当たりにしたことはない。怖かったのだ、自分がするであろう嫉妬の、その深さが。女を呪い殺しかねないのではないかと本気で思ったほどだ。
 俺は、銀時と並んできた女のように銀時を幸せにできない。俺の想いは銀時が思うようなキレイなものではない。どす黒くて重いことを、銀時は知らないのだ。俺が心の中で坂田と呼ばず銀時と呼び、銀時に抱かれることを夢想しながら欲を抱いていることも。そして、銀時の肌に触れることのできる女を、呪いかけさえしたことも。

「土方、」

 銀時は再び手を差し伸べてくる。俺を引き寄せようとする。その手に捕まってしまいたい。だが、俺にその資格はない。

「坂田……とにかく、寝ろ」
「土方が帰んないって言えば、寝る」
「いいから寝ろ。そんで、カノジョ呼べ」
「またそこ!? それはもう済んだだろ。や、電話はしてねえけど! さすがにLINEだと後が厄介だから、話はしねえと」
「馬鹿言うな、寝ろ」
「なんでそんな頑ななんだよ」

 とうとう銀時は不機嫌そうに眉を寄せた。

「俺がお前のこと好きって言うのが遅すぎたから? 怒ってんの?」
「は、」
「気づかなかったんだよ自分でも。つき合うのは女じゃなきゃいけねえって思い込んでたの。好きなヤツとつき合えばいいって、昨日やっとわかったんだよ。鈍くて悪かったけど、そこは俺の限界だから許してくれよ」
「……」
「あれ? もしかして、ホントにお前がダメだからって思ってる?」
「ダメじゃねえ理由がねえだろ……」

 今さらお前に指摘されなくても、わかっている。わかりきっているのに。
 だが銀時はますます眉をひそめた。そしてあっと言う間に距離を縮め、また俺は手を握られる羽目になった。そればかりか銀時のもう一方の手は俺の頬を包み、強制的に俺は銀時と向き合うことになる。

「いやダメな理由なんてひとつだよ。お前が俺なんか嫌ェだってときだけ。でも違うだろ」
「……なんで、」
「え、好きだろ。隠してるつもりなの? そりゃ昨日までは俺が鈍すぎて気づかなかったけど、気づいたからにゃわかるよ。今までお前がすげー我慢してきたことも、今ならよくわかる」

 銀時はそこで少し黙った。

「ごめんな」
「別に……俺のことなんざ、」
「なあ、本気で? 別に自分のことなんかとか、本気で思ってる?」
「……」
「そんなの土方が可哀想。お前は平気でも、俺の土方が可哀想だ。俺はそんなん嫌だ」

 今度は緩やかに、俺は銀時に引き寄せられた。銀時の手が俺の頭にそっと触れ、俺は銀時の肩に顔を埋めることになる。背中では銀時のもう一方の手が、ゆっくりと、宥めるように撫でる。

「お前はいい男だろ? なんでそんなに悪く言うの。俺、お前のこと大好きなんだよ。今までこんなに好きになったことねえくらい好き。つーか今までずっとお前が好きだったから、無理につき合った女なんてそりゃ上手くいくはずねえし……なんか、手当たり次第つき合ったみたいに見えるかもしんねえけど、」

 銀時の声が、耳に直接吹き込まれる。本心をきっと伝えようという意志を持って。

「ごめんね。俺がお前のこと好きだったの、俺ずっと知らなかったんだよ」

 それは真摯な言葉であることは、どんなに撥ね付けても疑いようがなかった。

「俺は、お前には似合わない」

 だから俺も、真摯に打ち明けなければならないと思えた。これで銀時と二度と触れ合えなくても、今までのつかず離れずな関係にはもう戻れなくても、俺は俺の真実を、知らせなければ。

「俺は……お前が、俺に何を期待してるか、知らねえが……お前が思うような、人間じゃ、ない」
「え、いいよそんなの。どんな土方でも土方には違いないだろ」
「?」
「ちょっと待って。俺、土方がイイ奴だから好きとかそんなんじゃないからね。そりゃ昨日みてえに見舞いに来てくれたら嬉しいけど、来なくてほったらかされても好きだからね? あ、昨日は来てくんないと俺が土方好きって気づかなかったから、昨日は来なきゃダメだったけど。これからは、」

 ぐい、と俺の背に回す手に力が入る。

「どんな土方も大好きだから。今までそうだったんだからね。何度も言うけど」
「……さか、」
「だからもう、俺に似合わなきゃなんて言わないで。土方が土方なら、それでいいんだから」
「……」
「もしかしてそんな理由で帰ろうとしてんの? ほんとやめて。帰んないで」
「……」
「土方がいい。土方にいてほしい」


 それから絶対に帰らないと約束させられ、銀時が俺を好きなことを納得しろと無茶を言われ、頷かないと離さない、なんて甘い脅迫をされた。
 そして俺は銀時のためによその家のキッチンに立っている。

「フレンチトーストくらい作れるだろ。え? 知らない? うっそ、じゃあ教えるから作って。簡単だってば、イヤできねえ奴のほうが少ねえから」

 銀時は熱で潤んだ目を細めて嬉しそうに笑う。

「それに土方が作ったヤツなら真っ黒焦げでも食える。まあいいからやってみ」

 惚れた男にそう言われたら、やらない理由などない。俺は渋々なふうを装って、いそいそとキッチンに立つ。

「卵割るだろ。それから牛乳……ってか殻入っただろソレ! え、もしかして一人暮らしなのに料理したことねえの!? なにその手つき、卵潰れるって!」

 『しょうがねえなもう、治ったら俺が作りに行くわ』という言葉を少しは信じてみてもいいかもしれない。

「あ、バカこっちの蜂蜜多いほうが銀時の、……ッ」
「マジ? ありがと、十四郎」
「!」
「もう一回言って」
「……」
「早く。十四郎」



「………………ぎん、とき」



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