追ってもなお、 今日も土方と昼飯を食えた。よかった。幸せだ。 土方と飯なんか今まで何十回も食ってきたのに、この幸せを噛み締めることを思いつかなかった俺は、本当に馬鹿だった。 向かいの土方にそう言ったら微妙な顔をされた。未だに土方は、俺の気持ちを信じきれないらしい。 俺が熱を出したあの日、土方を口説いて口説いて、やっと土方は帰ると言わなくなった。それどころか俺のために慣れない料理までしてくれた。そして、銀時、と呼んでくれた。 あんなに頑なだったわりにつるりと出てきたその呼び方は意外だった。予想外な分余計に嬉しかった。浮かれ過ぎて女に連絡するのを忘れるところだった。土方の様子がだんだん沈んでくるので首を捻ってたら、またまた帰るって言い出して、それで思い出して慌てて電話した。まあ予想通り揉めた。あの子には悪いことをしたと思う。 それから土方との関係は、少しだけ親密になった。飯を食うだけの関係から、土方の部屋に頻繁に上がらせてもらえる関係に変わった。約束通り俺は土方の部屋で飯を作って、土方を驚かせた。とはいっても大して凝ったモン作ったわけでもなく、とんかつ揚げただけだけど。松陽が好きだから家ではよくやるし。 だが順調に見えて、俺には密かな不満があった。 土方の部屋に行くことに遠慮しなくていいのは幸せなことだ。泊めてもらったこともある。前にも泊まりはあったことはあったけど、つき合ってからのお泊まりはいかにも恋人っぽくて、関係が変わったんだなと実感できて俺はやっぱり嬉しかった。 でも土方は落ち着かないようだった。他人を入れたことがないのかとも思ったが、話を聞くと近藤や沖田は来たことがあるらしい。 「一回か二回だぞ? 珍しがって、大学入りたての時ちょっと」 「ふうん」 「あとは……あ、高杉も来たわ」 「低杉?」 あいつ俺には何にも言わなかったぞ。あ、土方とつき合うことになったって言ったら、なんかニヤニヤしてたけどそれか。俺は先に部屋に上がったぞ的な。あの野郎今度ぶん殴る。 小さな不満を解消するべく土方にくっついて座ろうとしたら、土方は急にトイレに立ってしまった。 まただ。 俺の不満はこれだ。 土方は俺と体が触れるのを避ける。それはきれいに、するりと避ける。 そういうのが嫌いなのかと思うと他の奴には寛容だったりする。部屋に上げるのと同じだ。俺にはどこか躊躇いがあり、他の奴にはそうではない。体に触れるのだって、高校のとき近藤がよく肩組んでたのを見た。沖田だって平気で触ってたけど俺の時みたいに避けたりはしなかった。 俺だけが避けられている。 好きなのに。触りたいのに。 (好きなのとそれとは別なのかな) 別ではない俺は、ひたすら耐えるしかない。高杉が俺より先に土方の部屋に上がったことなんて、これに比べたら小さな不満に過ぎない。俺は土方に触れたいのだ。 ただでさえヤリチンの印象があるんだ、汚名を晴らすためには多少の我慢はしよう。だがいつになったら土方は心を許してくれるのか。警戒し過ぎじゃないか。 不満は溜まる。だが俺がいかに図々しいとはいえ、さすがにこれは土方に言い出せなかった。 「とうしろ。今日バイト終わったら行ってもいい?」 「……何時、ごろ」 「遅くなる。ダメ?」 「家遠いもんな。でも俺も寝るかも」 「あ、迷惑ならやめるから言ってね」 「いや……なるべく起きてる」 土方は俺以外に対しては喜怒哀楽のはっきりした奴なんだが、俺にはどうも喜だけ隠しているような気がする。今のは迷惑だったのだろうか。唇の端に、ほんの少し笑みが見えたと思うのは気のせいだろうか。 遅くなる予定だったのだが珍しくその日は客入りが極端に悪かった。店長が呆れるほど入店者がいない。そうこうするうちに夕飯どきは過ぎてしまい、俺たちバイトは早上がりとなった。 自宅に帰るのに不都合のない時間帯だったけれど、俺は土方に会いたくて、予定より早いが行きたいと伝えるために電話を入れた。 ――のに、出ない。 (風呂、かな?) 電車の中でメールもしたが返信はない。到着予定時間も大雑把だが書いたし、迷ったけれど行ってしまうことにした。 まだ鍵は渡されていない。部屋の前でインターホンを押す。何事も起こらない。 (寝てる?) そういえば寝るかもって言ってたな。どうやって入ったらいいんだろう、と考え始めたとき、中でバタバタと足音がして、ドアが突然開いた。 「悪ッ……き、気づかなくて、メール」 そういう土方の息が妙に上がっている。なんとなく頬も赤いし、 「もしかして具合悪いのか」 「えっ、いや、なんで? 別に」 「しんどいなら帰るよ。気にしないで」 「そんなことっ、大丈夫だから、上がれよ」 土方にしては動揺が激しい。というか土方は案外こういう無防備な奴なのかもしれないと最近思うのだけれど。それにしても何をそんなに慌てているのだろう。 部屋に入ってそれはすぐにわかってしまった。 男ならわかる匂い。 土方の動揺っぷり。 そしてゴミ箱に、タバコの空き箱の陰に隠しきれなかったティッシュ。 一人でお楽しみ中だったわけだ、こいつは。 ぶわっと湧き上がる不穏な気持ち。 どうして。なんで俺に隠して。 俺には触らせないくせに、お前はなにで欲情するのか。俺に我慢させておいて、お前は――。 土方のオナネタをその辺に探したがる目を無理やり土方の顔に固定した。詮索するのは良くないとは思いつつ、自分の心が険しいほうへと一気に傾くのが止まらない。 土方はその空気を察して、腰を浮かせた。 「な、なんか飲むか?」 「今いい」 「じゃあ風呂、」 「それもいい」 「でも外、あ、暑いし、汗流せば」 「ここ涼しいから平気」 俺を風呂に追いやって、お前は何を隠す。 そんなに見られたくないか。 俺に見せられない物なのか。 俺は、お前の何? じっと見つめると、土方は可哀想なくらい狼狽えた。目を逸らさないでいたら居心地悪そうに俺の向かいで正座し、そしてとうとう俯いてしまった。 はっきりと意地の悪い気持ちで、俺は土方に追い討ちをかける。 「ねえ十四郎」 「……なに、」 「俺、お前とつき合ってからお前でしかヌいてないよ?」 土方は勢いよく顔を上げた。耳たぶまで真っ赤に染まっている。いつもなら可愛いと思えるその反応が憎たらしい。 「お前、何でヌいたの。俺が来るのわかってただろ」 「……! ………っ、……」 唇が開いては閉じ、その隙間から舌が覗いて渇きを潤し、それでも声は出ず。 俺はまだその唇に触れたこともないのに。 「十四郎」 「!」 「お前はどうなの。それとこれとは別? 俺に触るのは、いや?」 「……」 「返事は?」 土方の目が絶望の色に染まる。でも許さない。 立ち上がると、土方はびくっと体を竦めた。構わず隣に移動する。 「……なに、」 「十四郎。俺、怒ってんだけど」 「なんで、」 「なんでもクソもあるか。俺に触んの嫌かって聞いてんだよ」 「…………いやじゃ……ねえ」 危うく聞き取り損ねるほど小さな声だった。それでも俺の憤懣は治らない。 「我慢できんの、俺がカラダ弄くり回しても? 途中でやっぱヤダとか言ってもやめねえぞ俺」 「……ッ、」 「俺はお前の何。友達?」 「……か、っ」 「はっきり言えよ。なに?」 「……か、れし」 今度こそ囁くように言って、土方は下を向いた。耳どころか首筋まで紅く染まっていて、俺の中の良からぬ部分が疼く。 「じゃあ触っていい?」 「……」 「嫌なんじゃん。俺が近寄ると避けるし」 「そんな……」 「無意識かよ。救えねえな、お前近藤とか沖田は平気で触らせるくせに俺は、」 「お前だからだ」 土方は俯いたまま、呻くように言った。 「……お前こそ、触れんのかよ」 空気が変わった。土方の表情は少しも見えない。ただ、『カレシ』という単語に恥じらっていた色は消えた。重い呻きは、確かに俺を責めていた。 「俺、男なんだぞ……お前と、おんなじモンついてて、おんなじ構造した! 男だぞ!?」 土方は顔を上げた。目には涙が溜まっていて、眉が険しく顰められていた。 「こんなカラダ……お前こそ触れんのかッ、無理だろ普通!」 怒鳴った途端にほろりと涙が溢れた。 「遅くなるってことは、泊まるんだろうって……お前を泊めたとき、お、俺は……辛かった。自分でもびっくりするほど辛かった。せっかくお前が来るのに! そんなの、お前が……気持ち悪い、だろ、だから今日は先に、手ェ打っとこうと思っ……でも、バレちまった」 土方は震えるため息を吐いた。 「すまねえ。気分悪いよな……帰れ」 「もう。なに言ってんの十四郎」 隣にぴったり座って土方を抱きしめる。ここまではあの日できた。俺はその先に進みたかったけれど、土方のために堪えてきたつもりだったのに。 「言っただろ。俺なんかって言わないで。俺の大事な十四郎なんだから、悪く言わないで。好きなんだよ。頼むから」 なぜか自己評価の低い、俺の大切な恋人。そんなところも可愛くて大好きだけど、 「俺は十四郎でしかヌいてないんだってば」 「……どういう、意味」 「え? わかるだろ、オカズは全部封印して、っていうか見たいと思わなくなっちゃった」 ってのは実は少し大袈裟だ。見ればそれなりに勃つし一人で処理するには手頃ではある。でも俺の脳内で悩ましく俺を誘惑する十四郎に、自分でもドン引きするほど興奮するのだ。こんなこと言ったら嫌われるかもしんないから黙っとく。 「十四郎は? 俺に触られんの嫌じゃねえのはわかったよ。触られたい? ていうか今ナニでヌいた?」 「お前……知らねえからな。俺はお前が思うほど、き、キレイでもねえし、」 「それはもうわかった。大丈夫、なに聞いても驚かないから。言ってみ」 「……」 「何でヌいた?」 「……………ぎんとき、」 「そっか。良かった」 「……」 「俺の、なに?」 「……っ、」 「俺が何してるの想像したの。十四郎」 「………」 「言えよ。言わねえと押し倒すぞ」 「ッ、できんの、かよ」 「は? 何言ってんのホントお前ね、」 まずは問答無用で唇を重ねて、舌を抉じ入れる。頬の内側を舐めて舌で突くと、十四郎の口の中にとろり、と唾液が溢れてきた。歯列に沿って舌を這わせたらそっと口を開いてくれた。なので十四郎の舌を舐りにいく。 十四郎の手が俺のシャツを掴む。なんでそんな恐る恐るなんだよ。もっと自信持ってくれよ頼むから。 俺は、お前がこんなに好きなのに。 ぼうっとなってしまった十四郎の手を取って、俺の首に回す。ハッと正気に返って申し訳なさそうにする顔をわざと睨んだ。 「俺の首に腕回せんのはお前しかいねえんだぞ。他に誰がすんだよこんなこと」 「……」 「さみしいだろうが。せっかくこんな大好きな人が出来たのに、抱きついてもらえねえなんて」 「……ほん、と?」 「ホントに決まってんだろ。で? 十四郎は? 俺とセックスすんの、嫌?」 涙の溜まった目で、十四郎は何度も瞬きした。おかげでまたハラハラと涙が溢れた。 「嫌じゃねえに、決まってんだろ……俺が何年テメェでヌいたと思ってんだ」 もしかしたら土方は、俺以外に催したことがないのかもしれない。 土方にとっては何もかも初めてのことだった。自分の手以外のものに欲情させられるのも、他人に触れられるのも、肌を合わせるのも――身体を繋ぐのも。土方は今、疲れ果てて眠っている。 酷くしてしまったかもしれない。あんな可愛い懺悔を聞かされては、我慢が効くわけがない。初めてだろう土方に合わせてゆっくり進めようと思えたのは最初だけで、気づけば無我夢中で土方の中を探っていた。痛いかと聞いた気もするが、正直に答えるはずのない人は健気に首を横に振った。待ってやれなかった。こんなにも自分が土方を切望していることを思い知らされた。愛しくて、大切過ぎて、どうにかなりそうだった。 中学のときから俺に一途だったとしたら、土方は俺以外に性欲を感じたことはなく、俺だけがその対象だったのかもしれない。長い間土方はたった一人でこんな想いに耐えていたのかもしれない。 だとしたら俺は、土方の招きに甘えて気軽にここに来てしまった俺は、土方に何という苦行を強いたのだろう。 「ごめんな……言ってくれよ、俺やっぱり鈍チンだから」 相変わらず土方は俺から少し離れて眠っている。 でもそれは、自信のなさから来る遠慮だと今ならわかる。 土方の頭をそっと持ち上げ、その下に俺の腕を差し込む。土方は緩く目を覚ました。そして腕枕に気づき、慌てて身を起こそうとする。 抱き寄せて、それを阻止した。 「カレシの特権くれえじっくり味わせろよ」 耳元に囁くと、土方は戸惑って動きを止めた。 「お前の重みで腕が痺れんのが、俺の特権なの。大人しく腕枕されてくれよ。それと、首に腕。教えただろ、」 腕を取って強制的に抱きつかせると、土方は困ったように、それでも小さく笑ってくれた。たまらなくなって、その唇に小さなキスを贈る。 いつか自分から回してくれるようにと願いながら土方を抱き、俺たちは初めての眠りに落ちるのだった。 前へ/次へ 目次TOPへ |