つかず離れず 土方とは中学で出会った。 最初はお互い別の友達とつるんでて、あまり接点はなかった。そのうち土方の友達の中の、沖田って奴と仲良くなったんで、ついでに土方とも話すようになった。 土方はよくモテた。沖田もモテたし、俺のツレでは高杉も結構女子に告白されてたけど、土方はダントツで人気があったと思う。 なのに土方にはついぞカノジョができたことがない。 おんなじようなメンバーで同じ高校に行って、高杉なんか女複数侍らせてブイブイ言わせてたし、辰馬でさえカノジョできて浮かれてて、沖田も何人かつき合ってたのに土方は一人もいなかった。 俺も中学では鳴かず飛ばずだったけど、高校ではそれなりに女子から告白されて、何人かとつき合った。初エッチは高一のときだ。高杉とか沖田とかに自慢したら沖田には聞き流され、高杉には遅いって笑われた。ムカつく。近藤は羨ましがるしヅラは説教してくるし結構盛り上がったんだけど、気がついたら土方はスッといなくなってた。そういうバカ話には絶対に加わってこない、変なとこお堅い野郎だった。物足りない気はしたけれど、土方が嫌がるなら無理強いはしないでおこうと思った。 大学はさすがに連んで進学とはいかなかった。ただ、俺と土方だけは同じ大学になった。それがわかったとき、土方は切れ長の目をほんの少し見開いて、マジか、と呟いた。 嫌がってんのかと思ったらそうでもなく、被った講義は一緒に受けたし飯なんかも一緒に食うことが多かった。土方は一人暮らしを始め、俺は最初は遠慮もしたけれど、そのうちたまに泊まりに行くようになった。 「俺も早く家出なきゃなァ」 「……出んのか」 「金できたら。夏休みにバイトする」 「そうか」 「それか、カノジョんちに転がり込むかな」 「……」 土方は黙って本に目を戻した。 初エッチの話から一人抜けて行ったときのように、こういう話に土方は今でも乗ってこない。その生真面目さが俺と土方に今ひとつ踏み込み難い距離を作っていた。 高杉ら辺とはこうはいかない。馴染んだ距離が楽ではあったけれど、遠慮の無さ過ぎる距離に疲れることもある。歴代のカノジョはもっと酷く、つき合い始めこそ俺も下心があるから上手く合わせてやれるが、大抵女の過干渉っぷりに辟易して別れることになる。 その点土方は決して不必要に踏み込んでこない。その距離が物足りなく思うことも多いが、これがあるからこそ土方とは長い間、穏やかな時間を過ごせているんだろう。そう思うことにしている。これが土方の距離感なんだろう。 「銀ちゃん、次の講義サボって昼カラ行こ」 最近つき合い始めた女は、よく講義をサボる。俺の次のコマはレポートさえ出せば単位をくれる教授だからいいんだが、この女のほうは大丈夫なのか。 (ま、俺の知ったこっちゃねえし) 体つきが好みだからつき合ってみただけ。単位を落とそうが留年しようが、俺には関係ない。 隣にいた土方に目を向けると、黙って席を立つところだった。 「あ、土方は? 出る?」 「出る」 「そんなら……」 代返を頼もうか迷ってる間に、土方はさっさと食堂を出てしまった。女が腕を絡めてきて、早く行こうよと急かす。 俺に注意したりする奴じゃないのは知ってるけど、内心呆れてるんじゃないだろうか。女と連れ立ってカラオケルームに入りながら、土方の去り際の顔を思い出す。 男の俺でも惚れ惚れするほど端正な造りの顔だと思う。そこに生真面目さを貼り付けて、ついでに愛想を徹底的に削ぎ落とすと、土方の顔になる。冷たいという奴もいる。感情が顔に出ないから土方は損をしてると思うことがある。さっきだって多分、土方は怒っていたはずだ。真面目に授業に出もせずに、女と遊びに行く俺に。それを俺にぶつけることもなく、一人肚の中に抱え込んで、苦しくないのだろうか。 土方はヅラみたいに鬱陶しく説教したりしない。沖田みたいに要領よく立ち回れもしない。自分のやるべきことをコツコツとやっていくだけだ。俺が土方のやり方を踏襲しないからといって強要しはしない。それでも不愉快には思うだろう。勤勉さに欠ける俺を見て、なぜもっと真面目にやらないのかと腹立たしく思うことも少なくないだろう。 でも、これまで一度も土方から忠告めいたことを言われたことはない。沖田なんかには遠慮なく物を言っていたから、俺のことはそれほど深入りしたい相手でもないのかもしれない。 (それはそれでなんか……やだな) 女に強請られるままに何曲か歌ったものの土方のことばかり考えていて、女に責められた。 機嫌を取るために晩飯を一緒に食っていたら雨が降ってきた。 「銀ちゃん、どうする」 「あー……とりあえず送るわ」 女は一人暮らしだった。転がり込むつもりでいたけれど、どうしても別れ際の土方の顔がちらついて消えない。 泊めるつもり満々だった女を往なして、俺は帰ることにした。雨は一時小降りになったので傘は借りなかった。そしたら途中で土砂降りになってエライ目に遭った。 翌日、土方と昼飯を食ってて、なんだかメシが不味いなと思ってたら土方が眉を顰めた。 「おい、熱出てんじゃねえか」 「え、マジで」 「自分でわかんねえのか。顔真っ赤だぞ」 言われてみたら目の前はくらくらするし、いつもと体が違う気がする。土方が体温計を買ってきてくれて、 「……うーわ、見なきゃよかった」 「何度だよ」 三十八度を超えていた。昨日降られたあと、適当に頭乾かしてそのまんま寝ちまったのがまずかったんだろう。 帰るわ、と土方に言うともなく呟いてフラフラと立ち上がる。家までの距離を考えただけでますます体が重い。こうなってみるとさっさと近場に部屋を借りれば良かったとつくづく思う。 土方がそっと口を開いた。 「家、誰かいるのか」 「いねえだろうなァ」 「……俺の部屋で寝とくか」 「え、いやでも、移るぜコレ。いいよ、ありがと」 「テメェんち遠いだろ、一人で帰れるか」 「まあなんとか」 「でもお前、」 「銀ちゃん!」 女が俺たちの会話にいきなり割り込んできた。土方は言いかけた言葉をきっちりしまいこんで口を閉じた。 「ごめん、今日はちょっと」 「なになに、どうしたの」 「調子悪いから帰る」 「えーどしたの。風邪?」 「みたい。治ったら連絡するから」 「帰るの? なんか食べてから帰れば?」 「うん……あんま食欲ないから」 「パフェなら食べられる? 一緒に食べに行こ」 「いや、ほんと帰るから」 土方を目で探したが、いつも通り席を外した後だった。今日ばかりは参った。女を振り切ってなんとか帰路についた。家に養父はいたが、すぐ出なければならないと言う。出張だって前から聞いてたからそれは想定内だし仕方ない。 やたら心配するのをガキじゃあるめえしなんとかするわと追い払い、バイト先に休むことを連絡し、さてどうしようかと座り込む。 (ま、寝てりゃ治るか) 幸いたった一人の家族は出張で帰ってこない。俺は部屋に行かず、テレビの前に掛け布団持ってきて寝ることにした。溜まってた録画をこの際見ようと思ったが、土方に何も言わずに帰ってきてしまったことを思い出して気になって内容が頭に入らない。メールしようか。いや、今は講義中だしな。後でしよう。 そのうち眠くてたまらなくなって、メールしなきゃと思ったのが最後の意識だった。 頭を撫でられている気がする。 とても、とても気持ちがいい。 体はふわふわと頼りなくどこかへ沈みそうなのに、頭に触れている手に縋れば元の場所に戻ってこられると思える。 眠気を程よく誘う心地よさ。目覚めを強要する厚かましさもなく、一人放っておくこともなく、ただただ安心で、穏やかな手。 (松陽、帰ってきたのか) 眠りに落ちてしまいそうな瞼をほんの少し上げてみれば、 「……ひじかた?」 遠慮がちに覗き込む、黒い瞳。 土方は急いで手を引っ込めた。悪ィ起こして、と小さく言って土方は目を逸らした。 「なんで、」 「……一人だって言ってたから、差し入れ。帰るわ」 心なしか慌てて立とうとするのを手を引いて押しとどめると、土方はその場で不自然に動かなくなった。 「来てくれたの」 「……松陽先生に途中で会って。それで、勝手に上がってってくれって言われて、」 「え、今何時」 養父が出てからずい分時間が経っているはずだ。時計を見たらもう真夜中だった。 「お前、帰れねえじゃん」 「実家に泊まるから別に、」 「……帰っちまうの」 人恋しい。熱のせいだろうか。 それなら女を呼べば喜んで来るだろう。だが今はあの子の声を聞きたくない。 土方はわずかに目を細めた。 「俺は、いねえほうがいい」 俺が握りっぱなしの手に反対の手を掛けて、注意深く引き戻しながら土方は囁いた。離させじと俺はその手を強く握り直す。土方が息を飲むのが聞こえた。 「いてくれよ。お前がいい」 「……帰る」 「せめてもう一回寝るまで。さみしい」 「やめろ」 「土方にいてほしい」 「やめてくれ」 土方の声が震える。 「カノジョ呼べばいいだろ。俺は……いたらダメだ」 「なんで」 「……長居し過ぎた。すまねえ」 「もっといろよ」 「離してくれ」 いつもなら悪追いせずに離していただろう。 でも、俺から逸らしたその目を、俺は今日初めて見た。そしてやっと今までの距離を理解した。 女といるときはきっと逸らされた視線。俺を見ようとせず、俺と同じ場所にいることさえ拒絶して、すぐに席を立った。 決して踏み込み過ぎず、俺に決まった相手がいるときはいつの間にか姿を消し、いなくなると自然と戻ってくる。 つかず離れずだと思い込んでいたその距離は、いつでも俺が縮めようとすれば縮められたのだ。 「あの子とは別れる」 土方の視線が、戸惑いながら俺に戻ってきた。大きく見開かれた目。なんで気づかなかったんだろう。今までつき合った女の誰よりも、その目は真摯で真心に溢れているのに。 「早く言ってくれよ。俺、鈍チンだから」 自分で自分の気持ちに気づかなかったよ。 「そばにいて。俺も、お前と一緒にいるから」 土方の手を引き寄せながら精一杯の気持ちを伝えると、土方はほろ苦く笑って、そっと握り返してくれた。 目次TOPへ |