2 「もしかしてアンタが手引きしてんじゃありやせんかィ」 沖田の嫌味にいつものような反応が出来ない。 坂田の追跡をやめてほんの数日。事件は再び起きた。 その夜土方は非番だった。 「非番っつっても、直前まで仕事してたろィ。アンタが引き上げてきた直後でさァ。発見が遅れただけで、事件はアンタの見廻り時間に被ってる可能性も高いそうですよ」 確かに沖田の言う通りだ。しかも、自分は現場付近を通っている。見廻りとして、目を凝らしてその一帯を見たつもりだし、見落としはない。ないはずだ。 決して、することのなくなった非番の潰し方など考えていなかった。間違いない。 「俺が見たときはなんもなかった」 「アンタが犯人ならまさか『死体がありました』たァ言わねーさ。あ、死体があったのに素通りしてきたンなら職務怠慢で切腹でィ。喜んで介錯しやすぜ」 嫌味を寄越す沖田に構う余裕が、正直なところない。頭の中でついさっき通った道筋を再現する。ない。何もなかった。不審の気配すらなかった。 「今度のは帯刀者じゃありやせん。商人でしょう、風態から見て」 「あきんど……」 「剣の心得もねえ素人じゃ、逃げようと思う暇もねえや。あっても避けられたモンじゃねーかもしれやせんが、今度は正面からアタマかち割られてます」 「……」 土方も被害者の傷を見た。沖田の言う通りだと思う。原型を留めないほどに頭蓋骨は叩き割られているが、恐怖に引きつった形相ははっきりわかる。いくら見慣れているとはいっても思わず目を逸らしたくなった。恐ろしかっただろう。人生の最後に、こんな恐怖を味わうことになるとは。 それは自分の手で救えたかもしれない人生だったのではないかと思うと、ゾッ、と背筋を冷たい物が走った。何か不手際があったのではないだろうか、自分に。 「で? 今日の旦那は何処ですか」 「知らねえ」 「おやおや。ストーカーはお終いですか。アンタのストーカーが終わった途端てぇのはどうなんです。あのお方」 「……」 「張り込み覚られて、裏ァ掻かれたっつっても辻褄は合いまさァ」 「そんなはずは、」 「マヨネーズ臭プンプン漂わせてたりしやせんでしたか? 餅は餅屋ですぜ。アンタが山崎より上手く張り込めるなんて。百年早ェや」 「……」 これも、言い返せない。悔しい。こんな小僧に言い込められるなんて。ホント一回殴らせろ。 「だってアンタがここ――二週間くらいですか? せっせとやったことと言やぁ、旦那が飲み屋の新規開拓ばっかりしてたって証明だけじゃねーですか。下手な張り込みがバレてたって考えるのがフツーじゃありやせんか」 その通りだ。自覚があるだけに、言い返せない。事件が起きたときに坂田が現場にいなかったことを証明するはずが、坂田が日常生活を送っている間にたまたま事件は起きなかった、というただの観察で終わった。 なぜあそこで手を引いてしまったのか。理由は明らかだ。純然たる公務には違いなかったが、後ろめたかったのだ。坂田を尾け回すことが。公務に託けて坂田を追い回す自分が。でも、今回の張り込みはバレていない。そこだけは信じたい。自分を。 「張り込み中は事件が起きねえわ、旦那は飲み歩いたり、えーと、最後のほうはヒキコモリでしたっけ? 報告書になんて書いたんです。『いつもの万事屋でした、土方十四郎』ですか」 「書くかボケェェエ!?」 だが否定出来ない。報告書そのものを、珍しく土方はまだ書けていない。いくら考えてもあのバカな監察の作文以上のことが思いつかない。坂田は犯人じゃないと思います。ただのダメ人間で飲み歩いたかと思ったら家に篭りました。きっとお金がなくなったんだと僕は思いました。 「作文んんんん!?」 「何を証明したっつーんです。旦那が平和に飲み歩いてる間は事件が起きなかった。アンタが調べてきたのァ、そんだけでしょう」 「……」 「あるいは、アンタが出歩かないときは事件が起きない、とか? うわぁ、上司が殺人犯なんて、俺どうしていいかわかんねーよう。取り急ぎ通報……」 「違えわァァ! 俺が犯人なら真っ先にテメェ殺るわ!」 沖田のノリに誤魔化されているが、言われたことは本当だ。 何が足りないのか。何かが間違っているに違いないが、何が。 「クソッ、」 現場を沖田に任せて、土方は屯所に急ぎ戻った。 もう一度、初めから。何かを見落としている。必ず。 事切れた被害者の顔が、いつまでも目の先にちらついて離れなかった。 部屋に戻ると、忠実な監察が帰っていた。 ちょうどいいとばかりに尻を叩き、疲れて帰ってきたのになどと泣き言を叫ぶのを無視して、事件のこれまでの資料を全て部屋に運び込ませた。専属の小姓がいるでしょう、俺は監察なんですけど等の文句は聞こえなかったことにする。 「報告に来たんですよ俺は。今いいですか」 資料の見直しをしながら報告を聞くくらいわけもない。新人隊士についての報告だった。 結局山崎が新人全員の挙動をひと通りチェックしたようで、今回は中でもこの前事件の通報に失敗じった新人に絞った報告らしい。決して稽古熱心ではないという。元々が悪くなかったのが仇となったようだ。怠けているわけではないが、 「俺なんか素振り千回した後に千回させられましたけどね。五百回ってとこです」 「威張るな。油だか喧嘩だか売ってたからだろうが」 「そうですけど! でも稽古は大事だってわかってましたからね、あの時は既に!」 実務は慣れないことを差し引いても、要領が良くない。この前のように功を逸って詰めが甘かったりするのは経験が少ないからだとしても、 「同じ失敗を繰り返すのが気になります」 「例えば、なんだ」 「見廻りの引き継ぎに間に合わないことが多すぎるんです。サボってるわけではないんですけど。自分の持ち時間以上に巡回しちゃって、屯所に帰るのが遅れて。次の当番にちゃんと引き継げないことが、俺が見ただけで三回ありました」 熱心に仕事をするのはいいが、次の仕事に支障を来すミスが目立つ、というわけだ。 「ふーん。まあ、今度見かけたら注意しとくけど。大したことか?」 「大したことですよ。引き継ぎって、副長はピンと来ないかもしれませんけど。副長と組んでる隊士はある意味ラッキーなんですよ。引き継ぎなんか緩くていいわけですから」 「……まあ、最終的に俺に情報を集めるための引き継ぎだからな」 「そうです。引き継ぎをすっ飛ばせるし、何より副長と同じ物を見てたっていうのは結構な安心要素なんですよ。事が起きた時に副長も知ってるって思えますからね」 「……」 自分が見落とした物もあるかもしれないというのに。今まさに、見落とした物があるに違いないとほとんど確信しているのに、前後の経緯を知らない山崎は当たり前のように語る。 土方も万能ではないと、この男は思いもしない。 先ほどの被害者も、あるいは最期に真選組の助けを切望したかもしれない、と土方は思い、ぐっと奥歯を噛み締めた。もし彼が儚い希望を持ったとしたら、それを断ち切ったのは、他ならぬ自分かもしれないのだ。 そう思うと、監察のどうでもいい報告を聞く時間が突然惜しくなった。資料をもう一度熟読しなければならない。きっと見落としているであろう点を、一刻も早く見つけなければ。 それにはこの、目の前で小姑がごとく新人を貶す男が邪魔だ。土方はさっさと彼を排除することにした。 「それだけか」 それだけならもう聞いたから、と言って部屋を追い出そうとすると、山崎はムッと口を尖らせて言い返してきた。土方の大きくはない堪忍袋が俄然膨らんだ。山崎は怯まない。 「それだけっちゃそれだけです。でも、新人のくせに見廻りが単独行動ってどうですか」 「それも時と場合によるからな」 「でも、今は臨時態勢じゃないですか。副長、ていうか真選組には真選組の思惑があって見廻りの体制も変えたわけでしょ。それを、平隊士が勝手な行動を取るって、良いとかいけないとか以前に、大胆ですよね。俺は新人のとき……」 「だからテメェは油だか喧嘩だか売ってただろうが! 新人のくせに!」 「俺はマウンテン殺鬼でしたから。器が違います」 「あーそう!」 監察とは、しかも内部の偵察とはこうあるべきなのかもしれないが、ただの告げ口としか思えない。こんなことに何週間も掛けていたのかと思うと腹が立ってきた。 「で、気は済んだのか。どこぞのオフィスで嫌われまくってるお局みてえな報告しかできねえなら、もう切り上げ……」 「え。結構大事なことだと思うんですけど」 「だ、か、ら! どの辺がだ、テメェこそ要領が悪いんだよ」 「ええ? 新人隊士が、外で、自由時間満喫しちゃってる可能性があるんですよ? 沖田隊長ならともかく、もし敵と内通してたら……」 「内通してるなら証拠持って出直して来い!」 ついに堪忍袋の緒が切れた。 土方が立ち上がるより早く、山崎はぴょんと飛び上がって障子を開き、勢いよく閉めたあまり半開きになったのに目もくれず退出していった。 章一覧へ TOPへ |