静かになったので集中して読める。


 と思ったのは最初の一時間程度だった。
 燻っていた怒りが再燃してきた。山崎め。
 あんなくだらない観察(監察じゃない、断じて)をしていたくらいなら、呼び戻して坂田の尾行をさせればよかった。

 公然と坂田の姿を追えたのは嬉しかった。個人的な感情を挟むべきではないと自分を律しても、やはり嬉しかった。
 けれども日が経つにつれ、後ろめたさにいたたまれなくなった。
 触るな、とまではっきり拒絶されておきながら、仕事にかこつけ、今は適切な人材が自分しかいないから、などと理由をこじつけて坂田を追い回すことへの罪悪感と自己嫌悪。坂田がもし気づいたら、きっと土方を心底軽蔑するだろう。怖気付いたあまり、用事が足りもしないのに撤収してしまった。無意識に逃げ帰ったようなものだ。
 山崎がいればすぐさま交代して、これほど自己嫌悪に陥ることもなかったのに、と土方は自分でも理不尽だと認めざるをえない理由で、山崎を内心詰る。理不尽上等。

 それから、何も知らない山崎が話のついでに漏らしていった『副長といればある意味安心』という言葉を思う。
 こちらは腹を立てているわけではない。寄せられた信頼に応えられなかった、後悔だ。もちろん巷で真選組がチンピラ警察などと揶揄され、嫌悪の対象であることも知っている。だが暴力の前には、しかも理不尽に謂れもなく命を奪う暴力の前にあっては、市民が頭の片隅で、真選組による救援を願うことがあるのではないだろうか。いつもの土方なら、むしろそうあれと望むだろう。
 暴力には暴力を以って対抗する。市民にとってそれは真っ当な解決策ではない。真選組はその真っ当ではない方法を取って、結果的に市民を護る集団である。自分たちが手を汚し、暴力とは無関係な人間の安寧を護る。それが局長である近藤の理想であり、すなわち土方の理想だった。

 それが実現できなかった。
 しかも、真選組、という枠組みではなく、土方個人のミスのせいで。
 そして土方は未だに自分がどんなミスを犯したのか、それすら見当がつかずにいる。なんと情けないことか。

 理不尽な八つ当たりは、自責の念によって鎮火された。
 張り込み中にも願っていなかったとは言えない。坂田の笑う顔が見たい、と。
 そんな腑抜けた想いが、ミスを呼んだに違いない。結局土方は、自分の非をありありと自覚して恥じ入るしかなかった。



 検討の結果、土方は自分の見廻りの頻度を上げることにした。
 前回の犯行を許したのは、誰に責められずとも自分の手落ちだと自覚している。が、その返上だけが見廻りを増やした理由ではない。資料を丹念に調べ直した結果、これが最善だと判断したのだ。


 資料を調べ直してわかったのは、犯行時刻に、坂田は必ずしも飲み屋にいた訳ではないという事実だ。
 沖田が土方を揶揄った、『事件はアンタの見廻り時間に被ってる可能性も高い』という言葉にはさすがに腹が立った。そこで検死に当たった担当者を問い詰めると、土方の剣幕に怯えながらも『被害者の死亡時刻は推定でしかないので』と答えた。
 死亡推定時刻なのだからある程度の幅が生じるのは当然だった。つまり、坂田が店を出た時刻が死亡推定時間の直近であれば、坂田が店にいたとは断言出来なくなり、坂田の公式な在所証明は崩れたことになる。沖田に煽られて血が上っていたとはいえ、当たり前すぎる答えに、土方はさらなる自己嫌悪に陥った。
 もちろん非公式なアリバイはある。坂田が万事屋へ帰るまで、土方が密かにその姿を逐一目撃しているからだ。自分の執着がこんなところで役立つとは、と土方は自嘲した。そして思い返す。
 程よく酔いの回ったであろう坂田は、何か思い起こしているのか、柔らかい笑みを貼り付けたまま歩くのが常だった。その柔らかさに引き寄せられたのかもしれない。土方は毎回、坂田が万事屋の玄関に消えるまで、彼を見守っていたものだ。

(確かに鬱陶しいな、俺)

 土方が証言しない限り、坂田のアリバイには空白ができてしまう。店から万事屋までの時間。あの白髪頭と木刀で目立つとはいえ、かぶき町を外れてしまえば気に留める者は格段に減る。仮にその辺りの通行人がたまたま目撃していたとしても、酔っ払いの証言では事が足りない。
 唯一有効で確かなのは、やはり土方の証言だ。どんなに考えても堂々巡りで、何通りのシミュレーションをしても結果は同じだった。

(もう、言ってしまおう)

 他ならぬ坂田が疑われているというのに、坂田に恋情(と断言するのはかなりの勇気が必要だったが言い繕いようは既にない)を抱く自分が、忌み嫌われることを恐れて口を噤んでるとは。
 見落としが多過ぎると自分でも思う。今の土方は自覚以上に動揺しているとようやく自覚する。事件が坂田に関わっている所為なのは明白だ。土方は深く己を恥じた。
 土方が情報を独占するのはよくあることだが、今回は危ない。すぐに近藤に報告しようとして、やはり思い止まったのは最早自分の利益のためではなかった。
 もう一つの可能性に気づいたからだ。


 ――あるいは、アンタが出歩かないときは事件が起きない、とか


 冗談のつもりだったかもしれないが、沖田はそうも言っていたではないか。
 坂田の外出時刻はすなわち自分の外出時刻だ。
 さらに土方は通常でも夜の見廻りを担当することがある。幹部も平隊士も、区別なくスケジュールに組み込むのは土方だ。
 最新の事件。あれは土方の非番を狙ったのではなく、土方の見廻り時間を狙ったのだとしたら。
 この仮定が正しければ、標的は土方なのではないか。


 それにしても新たな疑問はある。なぜ土方を直接狙わず、関係ない市民を巻き添えにしているのか。そもそもこの一連の事件は、誰が、なんのために起こしているのか。
 曖昧なままに近藤に報せれば、近藤は土方を案じるあまり、大袈裟に騒ぐに違いない。役職の関係ではなく親友として、そうなることは容易に想像できた。
 そんな事態は避けるべきだ。
 土方本人がまだ刺客に襲撃されていない理由があるはずだ。考えられるのは、一つにはこの考えが間違っていて、刺客そのものがいないこと。それなら問題は解決だが、二つめ、刺客を差し向けた主の、何らかの都合であった場合は、当然刺客を未然に捕らえなければならない。
 そのためには、相手の正体や規模をまず探る必要がある。つまり、当分何食わぬ顔で泳がせて元を探り、一網打尽にするべきだ。
 何食わぬ顔。刺客の可能性を、土方の胸だけにしまっておく。近藤にも知らせるべきではない。
 坂田が、その間濡れ衣を着せられることになったとしても。

 先に坂田の潔白を証明しようとも考えた。自分が標的であると仮定すると、坂田が犯人である可能性は極度に減る。いつから狙っていたか不明だが、例えば昼間の見廻り中だとか、非番の昼間とか。

(奴に会ったことがねえ)

 偶然出くわして嫌味の応酬をすることはあっても、土方一人の時に坂田が近づいてきたことはない。坂田のほうが一枚上手で土方の気づかぬうちに接近していたとして、それなら土方はとっくに坂田に暗殺されている。それだけの時間は、あったはずだ。坂田が自分を標的にしているならば、彼は土方に階段下で呑気に緩い張り込みなどさせずに、見つけた途端に一気に殺りにくる。それこそ土方がその時間に万事屋の下にいたと証明する者はいないから、暗殺は簡単に成功したはずだ。
 これまで土方の油断だらけのときを一切放棄した坂田が、土方に放たれた刺客であるはずはない。
 ならば坂田の行動をすべて近藤に報告し、連続通り魔事件における坂田のアリバイを強固にした上で坂田が犯人たり得ないことを伝え、それとは別に土方を狙っているかもしれない刺客を探ればいい。だが、腹芸があまり上手くない上司兼親友に、すべてをぶちまけるのは時期尚早だと思った。それよりも、土方が単独行動をすることで敵の行動を引き出す。そしてある程度明確になったところで報告した方がいい。
 そういう理由で、土方は自分に多くの見廻りを課した。沖田でさえ同行させないのを見て近藤は心配こそしたが、真意を探るような言葉は一度も漏らさなかった。信頼されている、と思った。ふわふわと緩んだ気分が引き締まる思いだった。


 自分が標的であるなら、それはすなわち真選組への害意だ。それだけは捨て置けない。決して。
 私情は切り捨てよう。
 所詮、実る当てのない想いだ。坂田に疎まれるだけだ。
 夜の街を歩きながら、銀色の髪が目蓋の裏に浮かんでは消えた。





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