血痕やら刀の手入れ具合やらから、昨日はあの木刀、旦那の腰に刺さりっぱなしでさァ。だいたいあのお人のは、よく考えりゃ鞘なしですから人を殺ったら着物に血がつく。

「ですが帰宅した旦那の着流しは真っ白でした。完全にシロでしょうね」
「上手くねンだよ。じゃあ誰だってんだ」
「さっぱりでさ。ところで土方さん」

 土方の部屋が居心地いいはずはないのに、沖田はたまにこうして茶菓子と茶を持ち込み、寝転んで長居の態勢に入る。構えば構っただけ長居をすることは土方もよく知っているので、沖田に背を向けている。


「前から旦那に目ェ付けてました?」


 すぐに答えなければならなかった。だが返答が浮かばなかった。
 その数秒が命取り。
 沖田は鼻を鳴らして、早く言ってくれりゃ俺もやりようがあったのになァなどと嘯く。
 もはや答えなどなに一つ思い浮かばない。沈黙を続ける土方に、沖田は自ら救いの手を差し伸べる。

「まあ、なんにせよ旦那は謎が多すぎまさ。暇な時から探っとくのァ賛成です。けど日頃から尾けてンなら、なんで気づかねえんでィ」
「……なに、が」
「旦那は犯人どころじゃァねえや。狙われる側ですよありゃァ」
「?」
「俺の顔見るなり掴みかからんばかりでねィ。首取られるとでも思ったんですかね」
「今回のヤマ絡みか」
「そうかもしんねーし、別のヤマかもしんねー。ンなこたアンタが判断することでしょ。俺たち隊長格じゃ」

 沖田はゆるゆると首を振って、やりたくないことをあからさまに宣言した。それから土方の部屋でのんびりバラエティ番組を見て、昼食の時間きっかりに立ち上がって出て行った。


 坂田を追っていたのは他ならぬ自分だ。自嘲して、ふと思い直す。
 沖田は万事屋で坂田を待ち、坂田と話してきたのではないのか。だからこそ土方が坂田を尾けていたことに気づいた――というより、坂田に聞かされたのだろう。
 にもかかわらず、なぜ沖田は土方を追手と決めつけなかったのだろう。土方以外に坂田を追う者がいるという口ぶりだったではないか。
 坂田を追う輩を目撃したことはない。と土方は今までを注意深く振り返った。そして目に入らなかっただけかもしれない、と思い返す。
 土方は坂田しか見ていなかった。少なくとも坂田にとって大迷惑でしかない気持ちを抱いて。だから坂田から身を隠すことを第一に考え、注意を払ったのは坂田の視線、気配だけだった。

 周りを見たことがなかった。

 坂田が土方に気づいていたのなら、坂田は他の追跡者にも気づいていたのだろうか。だからあれほど苛立っていたのかもしれない。
 確かめるために山崎を遣ろうとして、地味な監察は今、他の任務中だったことを思い出す。他の連中ではあの三人は警戒して、なにもしゃべりはしないだろう。
 聞き出すのは難しいとしたら、尾行、追跡調査だ。
 今度こそ失敗しないように。
 坂田に気づかれないように。
 土方は再び万事屋を見張ることにした。



 監察がほとんど出払っているのが本来なら厄介事なのだが、今に限っては好都合だ。監察の不在を理由に近藤を納得させ、土方は自ら万事屋の張り込み役をすることに成功した。不自然ではないはずだ。こういうとき口喧しい沖田も、都合よく勘違いしている。
 今度は階段下などという気の抜けた隠れ場所はやめた。考えてみれば間抜けな隠れ方をしたものだ。捜査の一環として空き部屋を借り上げ、そこから万事屋の出入りを見張ることにする。

 いくら万事屋が暇とはいえ、昼間の坂田はいつも誰かしらと一緒に行動しているようだった。家に篭りっぱなしのように見えても来客はある。それが家賃の取立てであっても、ツケに我慢ならなくなった飲み屋の主人であっても、遊びに来たらしきサングラスの浮浪者であっても、土方にとっては誰でもよかった。坂田がダメな大人を体現するべくパチンコ屋に出向こうが、だらしなく甘味屋で団子を食べた挙句ツケにしようが(金がないなら我慢するという発想は坂田にはないようだった。呆れた)、そのせいで万事屋の子供たちに蹴り飛ばされようが、この際瑣末なことだと思った。

 誰でもいい。誰かと共にいればいい。幸い坂田はだらしない生活にもかかわらずかぶき町では有名人だった(だらしない生活こそが原因かもしれない)。坂田が意識するしないに関わらず、町内であれば誰かが坂田を見掛けているようだ。試しに坂田が気にも止めないで通り過ぎた店の従業員に職質してみると、間違いなく土方が見たのと同じ時間を挙げて、坂田を見たと証言した。そんな情報がひとつやふたつではないことに土方は安心した。そして、あまり聞き込みを続けると今度は坂田の耳に入りそうなので、それからは出来るだけ控えた。いざという時あの町中に職質を掛ければ、坂田のアリバイを証明できるとわかればいい。


 問題は夜だ。
 ただでさえ酔漢が増え、証言が曖昧になる時刻だ。その上坂田はかぶき町にとどまらず、ふらふらと遠出する。初見の店に入るのも坂田は躊躇わない。どうせ酔うのは同じなのだからいつもの店に決めればいいのに、と土方は勝手な心配をする。なぜ今新規開拓だ。今度にしろ今度に。
 しかも夜は完全にプライベートであるらしい。例えば人の頼みで店の雰囲気を見に行く、というのなら証明のしようもある。けれど坂田ははるばる足を延ばしたくせに、どうやら店は適当に見繕うようなのだ。というのも、彼は屋台、立ち飲み屋、店構えは選ばずなんでも構わず入る。チェーン店も厭わないのが土方としては腹立たしい。チェーンならかぶき町にもあるだろう、そっちに行け、と叫びたい。顔見知りがいるのといないのでは大違いなのだ。坂田にとってはどうでもよくても、土方にしてみれば天地ほどの違いだ。気が気ではない。

 気づけば結局、坂田の後をこっそりと追い回す生活に変わりはなくなっていた。
 しかも非番を待つことなく、毎日欠かさず坂田を追える。公務と言い張れる。自分に。
 事実、公務だ。間違いない。しかし、言い訳しなければ後ろめたさに押し潰されそうだ。こんなところをまた坂田に見つかれば、今度はなんと蔑まれることか。それを想像するだけで、胃の辺りがシクシクと痛む。できればもう、罵声は浴びたくない。日頃の掛け合いだけでも心がちりちりと痛いのに、本気の侮蔑はもう、こりごりだ。


 あんな声が聞きたかったのではない。
 柔らかく笑って穏やかに話す、その声が聞きたかっただけのに。


 そうやって数日、坂田を追ったのだが、ある日坂田は夜の外出をしなかった。
 次の夜も、その次の夜も、坂田は出かけなかった。まさか裏口があってそこから、などと考えてみたがいくら思い返しても万事屋に裏口などあるはずがなく、二階から飛び降りでもしなければ、土方の目を逃れて外出はできない。そして翌日の坂田は怪我などしていない。つまり、わざわざ飛び降りて出かけてはいない。当然だ。断言できる。
 それでも数日、土方は粘った。本当に出かけなくなったことを確かめた。考えてみれば坂田は河岸を変えて十数日が経っている。馴染みでなければツケが利くまい。とうとう金が尽きたか。

 それならいい。
 万事屋の経済事情が良くないのは困るかもしれないが、今の事態にあって、坂田が飲み歩かないのは良いことだった。それに、坂田の外出日がすなわち事件の発生した日ではないことはわかった。だから直ちに坂田が犯人ではないとは言えなくても、少なくとも土方にとって、それは大いなる安心材料になった。
 いい加減にこの公然たるストーカー行為を止める時期なのかもしれない。
 それだけが、少し残念な気がした。


 しかし、真選組副長たるもの、それほど長く屯所を空けるわけにはいかないのもわかっていた。そろそろ潮時なのだろう。
 土方は、通常業務に戻ることを決意した。





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