屯所に第一報を入れたのは、巡回中の隊士だった。
 新人だ。この前土方が極秘調査を命じたとき、彼の調査はたまたま山崎が受け持った。特に規律を犯している様子はないと言いながら、『もう少し探ります』とまだ張り付いていた若者。縁者はなく、ただ悪友と野山を駆け回っているうちに足腰が鍛えられたところを、新人募集を掛けた近藤に拾われた形だ。土方もまだあまり距離感が掴めていない。新人にしたら副長など、雲上人であるばかりか時に粛清を申し渡す鬼、という認識であろうことも想像はつく。
 今回は善しとしてやらんでもないが、説教はしないとな、と土方は苦い顔を作った。
 彼は現場を見ていなかった。


 現場を見ずに、被害者の連れが助けを呼ぶところに出くわし、連れの証言をそのまま通報しただけだ。直ちに現場に急行すれば、犯人の顔が見られたかもしれないのに。
 記録を起こすと、通報を受けて他の隊士たちが駆けつけたときには既に被害者は事切れていて、次なる目標となるのを恐れた目撃者は急いで逃げたということになる――新人の証言が本当であるならば。

 沖田にやや遅れて現場に着いた土方は、連れが真っ先に逃走を図ったのは正解だと思った。一秒でも庇う様子を見せたら、この使い手は迷わず殺していただろう。


「これァ、令状モンじゃあありやせんかね。朝イチで踏み込んで、旦那がいりゃいいですが、いなきゃチャイナに出入りを……」
「総悟。これはどっからやられたと思う」

 袈裟懸けでもない。急所も狙っていない。ただ脳天を砕いて、結果死んだだけだ。頭蓋骨を死に至らしめるまで、しかも一撃で、打ち砕くのは土方でも難しいように思う。

「それでさァ。後ろから、やられたと思いやす」

 同感だった。一撃で仕留め、連れに顔を見せず……傷もそれに一致する。

「旦那が闇討ちするからって後ろから行くとは思えねーんでさ。だからこそ、今のうちに令状取って調べといたほうが……」
「お前に任せる。やれ」

 土方は沖田に背を向けた。

 思い出したのだ。
 今回は坂田にアリバイがない。そしてあの苛つきよう。無論前日に取調を受けたのが気に入らなかったのだろうが、土方が階段の下で坂田を待つのは、一度や二度ではない。なぜ今日に限って自分は追い払われたのか。


 現場を任せて土方は見廻りと称する、坂田探しに繰り出した。というより駆け出した。いつもの店で飲んでいてくれと願い、遂に店主に身分を証して、坂田が来ていないかと尋ね歩いた。
 あのやり取りのあとだ。坂田は土方の知らない店へ足を運んだだろう。どこだろうと店か、この際女でもいい。犯行時間に誰かと共にあってほしい。それが土方であればと思わないでもないが、そんな高望みを土方はしなかった。

 しかし、明け方になっても坂田は何処にも見あたらなかった。



 沖田が万事屋へ踏み込んだのが午前五時。主人は留守で、チャイナ娘が押入れで高鼾。起こすのに『苦労』したと言う沖田に、暗澹たる思いだ。土方も坂田の大家である一階のスナックは知っている。遠目に見ても禍々しいオーラを放っていた。あの婆さんちを壊してきたのか。賠償が恐ろしい。
 その上チャイナは坂田が出て行った時間こそ知っていても、その後は多少の物音には気づかないほど熟睡していた。現に坂田は帰っていないから、沖田の襲撃によってやっと目覚めたことになる。

「いてくれて、白黒つけば良かったのになぁ」

 抑揚のひとつもなく沖田は呟く。この少年は既にこの事件に飽きてきたようだ。それでも真っ先に坂田を調べようとするのは、土方がまず隊士を探って疑義を一掃しようとしたように、むしろ彼なりに坂田を慕っている証なのかもしれない。
 山崎は何に引っかかっているのか、相変わらず新人の内偵を続けている。今回の新人採用地域は武州だった。そして採用した新人たちは、日頃から常に一緒だったという。だが真選組には馴れ合いは要らないと坂田にも言った通り、近藤は剣の腕を見て使える者だけを採用した。
 振るい落とした中に、彼らの中心的存在がいたそうだが不採用になった。リーダー気取りで実力のない奴は落とせ、と土方は近藤に進言していたし、そもそも剣術がなっていなかったそうだ。実際なぜコイツが、と近藤も疑問に思い、彼を含めた数人を落として使える奴だけ連れてきた、と近藤は言った。
 といって新人たちが屯所内で連んでいる様子もない。同郷はバラけさせて別々の隊に入れているから、話す暇もないだろう。
 それでも山崎は、『なんか不自然だと思いませんか』と眉を顰めたのだった。

「俺だって、浪士隊結成の時マジで少しは顔が通ってたんですよ? や、笑わんでくださいよ! もう自覚してますから! 局長、副長、沖田隊長だから、俺は確実に負けだってわかったんですから」
「あいつらだって違いはねえだろ」
「うーん……じゃあ副長は、自分と局長と沖田隊長と俺の中で一番強いのは誰だと思います」
「……」
「や、最低なのが俺ってのはわかってますって!言いにくいだろうから俺を入れたんであって」
「総悟だろ。場面によるけど」
「それについて悔しかったり沖田隊長ぶっ潰すとか考えたことは?」
「あ? んなモン会った瞬間から今までずっとだ」

 とは言ったものの、山崎の言いたいことはなんとなくわかった。
 仲間内での競争意識は薄れ難いものだ。だから不確実な速報をしてでも仲間に一方先んじようとしたのかもしれない。
 幸い近藤以下今の幹部クラスは、道場での上下関係が身に染み付いている。何度も剣を合わせたが故に、誰がどんな剣を使うか、何が誰に及ばないか、客観視し慣れていた。沖田は天才的な剣捌きだが近藤の気組みには負ける。土方は先読みが上手いが沖田の剣は読みきれずにやられる。
 だから地道に研究する。こうしたらこう来た。防げなかった。どうしたらよかったのか、と。
 坂田との屋根上での一戦だけは未だに勝つ筋道が見つけられない。いつ形勢が逆転したのかさえわからない。確実に斬れるはずだった。気づけば首を差し出していた。
 坂田銀時、万事屋。前身は不明。後で調べてわかったのはそれだけだった。白夜叉と呼ばれ、攘夷戦争で英雄扱いされていたことは後に偶然知った。


 確信している。坂田は犯人ではない。沖田は万事屋に残って坂田を待ち、何時に帰宅したか、剣の血痕がどうか、調べてから帰ると電話で告げた。サボる気満々だろう。なんなら万事屋で朝飯にありつくつもりだろうと予想して、土方はため息を吐きかけて息を飲んだ。

 すぐ先に、突然坂田が現れたのだ。

 朝日に透かされてキラキラと銀の髪が光る。こんな時なのに、それに突然なのに、咄嗟に浮かぶのが『綺麗だ』というなんともむず痒い想いだったことに、恥じ入りながらも見つめてしまう。
 逆光のせいで表情が見えにくく、曖昧ではある。が、向こうも驚いているようだ。表情が幼くて可愛らしく思える……のは土方の贔屓目かもしれないが。
 しかし坂田はそんな土方の妄想などたちどころに一蹴した。たちまちくっきり眉をしかめ、不機嫌そのものの盛大なため息がその口から吐き出された。
 その拒絶を認めたくなかった。土方は急いで当初の目的に意識を向けた。

「テメェ……ひと晩どこ行ってやがった」

 坂田を再度目にした安心と、アリバイの不安と。土方は吐き気を覚えた。胃が痛い。息が浅くて上手く酸素が取り入れられない。
 なのに坂田は露骨に視線を土方から外した。興味の欠片もない様子を隠しもせず、足早に立ち去ろうとした。思わず白い長着の胸倉を掴む。坂田は低く、小さく唸った。


「触るな」


 息が止まった。
 ガンガンと、耳の中で血管が音を立てる。
 言い争いの間に胸倉の掴み合いや、髪の引っ張り合いになったことはあった。不本意ながら坂田を連れて潜入捜査をして、不自然にも庇い合いながら戦ったこともあった。
 接触そのものを拒まれたことはなかった。
 手を離すと、坂田は何事もなかったように去っていく。振り返りもしない。この方角は、万事屋で間違いない。


 それほどに、忌み嫌われていたか。
 その事実に土方は怯む。いつから。ストーキングに気づかれてからに違いないが、それだっていつ気づいたのだろう。なぜもっと早くに苦情を言わなかったのか。泳がせていたのか。
 頭が無性に痛い。眉間を押すと、ほろりと何かが溢れた。一度溢れると止まらない、困った物が後から後から流れていった。





前へ / 次へ



章一覧へ
TOPへ

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -