万事屋一行を呼びつけたその日は、事件らしいものは起きなかった。せいぜい酔っ払い同士の諍いで、奉行所に任せて充分な程度の軽い事件だけだった。
 改めて事件の起きた日を見直してみる。
 すべて土方の非番であった。
 昨晩は何も起きなかったが、本来は非番ではなかった。眠り込んでしまって、本来見廻りするべきが結果的に非番になったに過ぎない。近藤が大目に見て、疲れてるんだろうとかなんとか言って代わってくれたそうだ。
 謂わば急遽予定を変更したのだ。
 これは何か、関係があるのか。

 土方の非番を知り得るのは、まずは内部の者だ。
 疑うのは気が進まないが、一つひとつ洗う必要はある。山崎を呼び、監察の中でも信頼できる者を選りすぐって、まずは新人隊士の行動を洗わせた。少し時間はかかるだろう。
 次に中堅。編成替えをして一人ずつ三番隊に入れた。斉藤終と仲良く、とは言い難いがそれなりにやっている。これも、土方の目論見とは違った。隊長格は手付かずだが、ここは土方自身の目が届いている。局長は論外だ。
 内部情報とは無関係なのか。
 そもそも何の目的で何をしているのか。殺された者たちは単純にその犠牲者だったのか。

 見廻りを強化した。が、事件はあれ以来ぱったりと止んだ。見廻りが功を奏したのかもしれないが、土方は引っかかっていた。
 素人目にもわかるような強化の仕方ではなく、今回は余程注意深く観察しなければ気づかないような工夫をしている。あからさまに人数を増やして見せるのも時には大切だが、今回土方は、見廻りの回数を増やした。それも同じ道を何人もが何回も通るのではなく、一本路地を外してみたり、私服の隊士に定点で観察させたり(監察方で手の空いているのはほぼ全部ここに動員した)、目立たない細工をしたはずなのだ。
 それでも出てこない。
 気づかれたのか。だったらいつ、どうやって敵はそれを知ったのか。


 考え疲れると思い浮ぶのは、ふわふわと靡く銀髪と意図を読ませないあの紅い目。屯所に呼び出して以来、何日も会って……いや、見かけていない。今夜は非番だ。万事屋に、行ってみようか。
 数日見かけないだけで、土方には坂田の行動が把握できなくなる。何度も尾けていれば見当がつくのだが、しばらく空くときは万事屋から後ろをついていくことにしている。もちろん、気づかれないよう充分な距離を置いて。
 坂田とのそんな距離がまどろっこしいと思ったことはない。願うはただ、怒声や張合いの、緊張した関係ではない穏やかな空間を共にすること。そのために坂田が土方に気づかないほうがいいなら喜んで身を潜める。それが土方の望みであった。坂田は思いの外ひとりで飲むことが多い。普段は饒舌なくせに、店の主が話を振っても膨らませるでもなく、ひと言ふた言答えて笑って、会話から抜け出す。
 そしてゆるりと口許に笑みを掃いて、ちびちびと酒を舐める。強くない自覚はあるらしい。
 その儚い笑みが、土方は好きだった。


 その日の夕方、いつもの場所で、土方は坂田を待つともなく待っていた。もし今日は宅飲みで、出てこないならそれでも良かった。或いは既に出掛けてしまっていて、帰りが遅れるのでもよかった。坂田と一瞬でも同じ空間にいられれば、土方はそれで満足だったから。
 昨日は対面だったし、取調室だったから坂田は警戒して始終土方に反対するか、おちょくるか、いずれにせよ穏やかな時間など訪れるはずもなかった。坂田の不機嫌顔は恐ろしい。誰も気づかないのが不思議に思う。ただ不機嫌なだけではないのだ。殺気、が、漏れているように思う。
 そんな坂田ではなく、飲み屋でふわふわと笑う坂田の顔が無性に恋しい。


 階段の裏、つまり坂田の足許にひっそりと身体を縮めていれば、今まで上手くいかなかった試しはなかった。
 それなのに今日に限って、聞き慣れた足音がカンカンと小気味良いリズムで降ってきたかと思うと……その足は土方の前で当たり前のように止まったのだ。

「いい加減にしてくんない。こないだ洗いざらいしゃべってやっただろ」

 苛立ちを隠そうともしない、ささくれた声。

「得物も改めさせてやったし。武士の魂とは言わねーけどさ。テメーらにまるっと渡して」

 目眩がした。
 テメーらという言葉だが、土方は自分個人に向けられた怒りとしか思えない。
 昨日、眠る間際に感じていたのはもっと幸せな感触だったのに。

「まあ、俺のは通販だけど? ここんとこ買ってねえし、なんなら会社も調べたら」

 耳を塞ぎたかった。それでももちろん坂田は遠慮なく罵声を浴びせ続ける。今から上行って通販会社教えたげようか? お得意さんだからさぁ。記録も残ってんよ、たぶん。見せてやるから、そんでもう


「俺に付きまとうな。鬱陶しい」


 血の引く思いとはこのことだった。土方は眩暈をなんとか堪えた。付きまとうな? 鬱陶しい?

「オメー、俺の行くとこ行くとこほとんど嗅ぎつけてくるじゃん。尾行するにしてもよ、毎回って俺をナメてんの? そんなに疑いてえなら疑えばいいけどよ、目に付かねえようにやってくんねーかな。息苦しくてしゃーねえ。ストーカー行為で訴えるぞ」


 土方くん、さぁ。


 あの時言いかけたのは、これだったのか。おまえは知っているだろう、と。わざわざ屯所に呼びつけて木刀を取り上げなくても、俺の行き先は俺以上に知っているだろう、と。もちろん、そこに坂田が持つ感情は、

(知りたくねえ)

 いつもなら言い返すはずの土方が何も言わないのをいいことに、坂田は思いつく限りの悪態を並べ立てた。しかも、土方は隠しおおせたと信じていたことを、次から次へと。


 黙り込む土方を促して、坂田は万事屋へと土方を誘う。そしてわざわざ自分の机まで案内し、肩を並べて領収書を探させ、コピーしたら返せ、と命令口調で言い付けると、ふと口を噤んだ。それきり、坂田は何も言わない。
 今ならまだ撤退できると土方は思った。まだ坂田は、土方が仕事で坂田を尾行していると思っている。そう思っているうちに、引き返そうと。

「まだ証拠が残ってんじゃねえだろうな」

 出来るだけ嫌味たらしく、疑いはまだ晴れていないと信じている様を前面に出して、土方は吐き棄てる。

「武士の魂を通販で買うって発想はなかったぜ。見かけ通り非常識な野郎だ」
「廃刀令の時代だし? むしろ刀なんてどこで売ってんのってかんじじゃねーの、役人さんにゃわからんだろうけど」
「チッ、廃刀令なんざこれっぽっちも気にしてねえくせによく言うぜ。じゃあコイツは預かる。返せるかどうかはテメェの行ない次第だ」
「オイ、待て。年末調整にいるんだから返……」
「心配すんな、その頃には牢獄行きだ」

 言い捨てたまま土方は、振り返らずに万事屋を出た。坂田が獄に繋がれているところを想像しただけで目が潤むのが、自分でもわかったからだ。
 そのせいで土方は気づかなかった。坂田がまた、不思議な目の色を湛えて土方を見つめていたことに。



 そしてその夜、事件は起きた。



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