06






 フルネームを辻航平(つじこうへい)くんというらしい、まさかの一個年下だった彼と、真生さんと日下部さんと。なんだか奇妙な四人組でそこそこ楽しく夕食を終えたのち、俺と日下部さんは一緒に寮の俺の部屋へ向かっていた。
 どうして一緒なのかというと、日下部さんが

「片手が使えなくては不便でしょうし、お部屋までお送りします」

 と言って聞かなかったから。ウェイターの仕事はいいんですかと問うても「大丈夫です、有給があります」なんて言われてしまえば、もうそれ以上、俺に断る術はなかった。
 まあ、くるくると表情の変わる日下部さんを見ていると面白いから、もうちょっと一緒に居たかったというのもあるけれど。そういう下心はひっそりと胸の奥底に仕舞っておくことにする。













――恭平、と。

 普段なかなか呼ばれない下の名前を呼ばれたのは、エレベーターホールに辿りついたときのことだった。
 振り返れば、生徒会長とは違って明らかに人工物な金髪を適当に後ろでくくった男がこちらを見ている。色褪せたシャツにジーンズというラフな格好に身を包んだひょろりとした長身の彼は、もう一度俺の名前を呼びながら大股で歩み寄ってきた。

「お知り合いですか?」
「先輩です。芸術科の」
「……芸術科?」

 俺の番犬よろしく、警戒心丸出しな日下部さんを安心させるように答えれば、なぜか首を傾げられる。あれ?

「言いませんでしたっけ。俺、美術特待生だって」
「ああ、そう言えば。おっしゃってましたね」
「だから芸術科なんです」

 全国から芸術方面で優秀な高校生が集められた芸術科は、そのほとんどが美術特待で奨学金を貰っている。だからまあ、一般クラスのお金持ちな生徒たちからたまに「庶民クラス」だとか、F組であることからもじって「フツメンクラス」とか馬鹿にされたりすることもある。
 けれど、ウェイターである日下部さんはさすがにそこまでは知らなかったらしい。へえ、とただ純粋に驚きの声のみを上げた。

「恭平、お前、病院はどうした」

 たたっと俺の前までやって来て、金髪の男――芸術科3年の菅原芳春(すがはらよしはる)先輩は、不審そうに言った。まるで、まさか抜け出してきたんじゃねえよなとでも言いたげな顔だ。

「あのね、芳春先輩。俺、今日退院だったんですけど?」
「ハア? あのオッサンが一週間は入院とか言ってたぞ」
「オッサンって……理事長のことそんな風に言うのはどうかと思いますけど」

 芳春先輩は、奨学金を出してくれている学園理事長のことを、容赦なく「オッサン」と呼ぶ。一応恩人なのだから、と俺はその度にたしなめるけれど、出会ってからかれこれ一年半、彼がそれを改める兆しは見えない。

「いいんだよ、あんな変態オッサンで」
「変態って」
「事実だろ。お前のために学園敷地内にスタジオ立てようとする変人だぞ」

 いや、まあそれは、確かにちょっとやりすぎだと思わないでもないけれど。でもオッサンはどうなんだと反論しようとしたところで、それよりも先に「……スタジオ?」と、傍らの日下部さんが怪訝そうな声を上げる。

「あー、えっと、」
「恭平、誰、こいつ」

 なんと、というよりどこから説明したらいいやら。言葉を濁す俺をよそに、芳春先輩は今初めて日下部先輩の存在に気付いたのか、こちらも警戒心丸出しで問うてくる。
 いや、だから。年上をこいつ呼ばわりはちょっとどうなんですか。

「芳春先輩、こちら、食堂のウェイターさん。日下部さんです」
「ウェイターだあ?」
「えっと、日下部さん。スタジオっていうのは――」
「なんでウェイターなんかがお前と一緒にいんだよ?」

 説明をしようとした俺だったが、それは芳春先輩の不審そうな声に遮られた。いやだから、なんかってどうなんですか。なんか、って。
 ていうか、ちょっとはまともに喋らせてくれ。傍若無人な芳春先輩に俺が呆れたとき、不意にスッと俺の前に日下部さんが立ちふさがった。

「清水くん、良ければ俺から説明いたしましょうか」
「……へぇ?」

 突然の申し出に、芳春先輩はたちまち目の色を変える。好戦的なその表情に俺は内心焦りを覚えた。
 先輩は、決して不良というわけではないけれどご覧の通り口が悪い。更に言えば手も早い。そんな芳春先輩相手に、どこかのほほんとした日下部さんでは分が悪いことは一目瞭然であった。
 だというのに、制止しようとした俺の右手をやんわりと腕から外すと、日下部さんは芳春さんに正面から向き合う。

「俺は、日下部透と言います。この学園の食堂でウェイターをしております」
「それは今コイツから聞いた」
「そうでしたね、申し訳ありません」

 俺を親指で示して厭味ったらしく言った芳春先輩。日下部さんは、予想外にもそれに対して怯むことはなく、ただ穏やかな表情のまま謝罪の言葉を口にした。言い換えれば、受け流したとも言う。

「それで?」
「……それで、といいますと?」
「何でアンタはコイツと一緒に居ンだよ」

 こんなところで、と辺りを見回す芳春先輩。制服から私服へ着替えた生徒ばかりなエレベーターホールでは、あきらかにギャルソン姿な日下部さんは浮いていた。とてもじゃないが、ここは食堂のウェイターがいるような場所じゃない。そういうことを芳春先輩は言っているのだろう。
 日下部さんもそれが解ったのか。ちょっとだけ困った風に笑ったのち、意を決したように口を開いた。

「清水くんが、怪我をした理由はご存じですか」
「そりゃ、まあ。食堂で突き飛ばされて、食器の破片が手に――って」
「その、食器の破片の原因を作ったのが俺です」

 いやいや、それはちょっと違うだろう。思うも、そう口を挟む暇もなく日下部さんは続ける。

「俺が落として割ってしまったものの片づけを、清水くんは手伝ってくださっていたんです。そこに、大鳥悠里に突き飛ばされた別の生徒様が、……それで」
「それで、ぶつかったコイツは破片の中にどんっ、ってか?」
「そうです」

 日下部さんの肯定を受けて、話を聞いた芳春先輩の眉がみるみるうちに吊りあがっていく。ただでさえ良いとは言えない人相が鬼の形相へと成り代わった。

「ですから、清水くんが怪我をしたのは俺の責任です。元は自分一人で直ちに片付けなければならなかったものを、手伝わせてしまうことになった俺の落ち度です」
「……それで? それがどうして今一緒にいる理由に繋がる」
「そんなもの決まっているでしょう、左手が使えない清水くんのサポートをするためです」
「サポート、ねぇ」

 ハッキリと言い切った日下部さんに、芳春先輩は意味ありげに言葉を切った。にいやりと笑みを浮かべて俺と日下部さんを交互に見遣るその視線は決して気持ちの良いものではない。だというのに顔色一つ変えない日下部さんは、さすがはこの学園のウェイターといったところか。

「そのサポートって、どこまでだ?」
「はい?」

 唐突かつ曖昧な問い掛けに、眉をひそめる日下部さん。

「だから、アンタはこいつのこと、どこまでサポートするつもりかって聞いてんの。食事の補助とか、着替えの手伝いとか、こいつの仕事のこととか――あと、シモの世話とか?」
「っ、ちょっと! 芳春せんぱ――」

 いくらこの学園に「そういう」嗜好の人間が多いとはいえ、好意で手伝いを申し出てくれた日下部さんに対してそれは失礼すぎる。慌てて一触即発状態の2人の間に割り込もうとした、その時。

「……チッ、邪魔が入ったか」

 低く唸る震動音が芳春先輩の気を逸らした。先輩は、鬱陶しげに履いていたジーンズのポケットへ手を突っ込むとiPhoneを取り出す。むき出しのままな白いそのボディには、何色もの絵の具が擦れて付着していた。
 芳春先輩の部屋にいくつもあるパレットのようになってしまっているそれを見る度、俺は「どうして黒にしなかったんだろう」なんて考えてしまう。

「今のところは、話はここまでだな」

 二度目の舌打ちにハッとiPhoneから顔を上げると、芳春先輩の鋭い視線が俺を射抜いていた。

「理事長からお呼び出しだぞ、恭平」

 そう聞いて、俺は真っ先にこう思った。
 先輩があの人のことをきちんと「理事長」と呼ぶだなんて、明日は雨だろうか――と。





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