03
「はい、どうぞ」
「あー……んむっ」
ただいま絶賛「あーん」の最中ですが、正直に言いましょう。案外平気だった。なぜなら、こないだの食堂流血事件のことはほぼ全校生徒が知っているらしく、俺たちが「あーん」していても誰も特に気に掛けなかったから。
あと、ウェイターさんがなぜかやたら嬉しそうに「あーん」してくるせいもあるかもしれない。
「はい、清水くんどうぞー」
「あー……」
「ちょっと、あんた!」
「……んむ?」
親鳥が雛に餌付けしてるみたいだなぁとぼんやり思いながら、また一口大のかけらを口に入れてもらったとき。不意に背後から声がかかった。
あんたって、もしかして俺かな。もしゃもしゃと咀嚼しながら振り返ると。
「――あ、ひょないひゃの」
「待っててあげるから、ちゃんと飲み込んでから喋りなさいよ!」
「んむ」
そこにいたのは、あの事件のとき泣きそうな顔をしていた、あのふわふわの髪の子だった。わあ、今日もふわふわだ。
ちょっと感動しつつ、口の中のものをごくりと飲み込む。どうぞとばかりに視線で促せば、ふわふわくんは口を開いた。
「僕、高橋真生っていうの。3年A組で、会長様の親衛隊長をやってる」
「わあ、まさかの年上」
「ちょっと、どういう意味よ!」
あ、イカン。口が滑った。
「えーっと……俺は、清水恭平です。2年F組です」
「知ってる」
「そうすか」
……ていうか、一体なにしに来たんだ? この先輩。
わかります? とウェイターさんに視線で問うてみても、ふるふると首を振られる。
「こないだの、ことだけど」
「はい」
「…………ごめん、なさい」
「はい?」
どうやら謝りに来てくれたらしい。いやいや、なんでだ。
「僕があんたにぶつかったから、その、怪我」
高橋先輩の目は、俺の左手に向けられていた。……なるほど、こないだのことで何やら負い目を感じているらしい。ウェイターさんといい先輩といい、なんだか生真面目な人ばっかだ。思わずクスリと笑う。
「なに笑ってんのよ」
「いえ。先輩、いい人だなーって思って」
「はあ?」
ウェイターさんには、ハンバーグを刺したまま宙に浮いたフォークを一旦置いてもらって、言葉を探した。
「えーと、そのことですけど、なんていうか」
なんだろう。
「――お互い運が悪かったですね?」
「……どういう意味よ、それ」
バカにしてんの? と言わんばかりに睨み付けられて、滅相もないと首を振る。
「先輩は、あの転校生と話に行ったら、逆ギレされて突き飛ばされた。そんで俺はたまたま先輩が突き飛ばされた先にいて、たまたまそこにあった皿の破片で手を切った」
だから、「お互い運が悪かったですね」なのだと暗に言って笑えば、先輩は一瞬目を見開いたのちに呆れた風に笑った。
「……なにそれ」
ばっかじゃないの、という言葉には聞こえないフリ。
ちょっとくらい馬鹿になったほうがラクだし楽しいじゃん。なんてよく解らないことを考えながら、俺はただにっこり頷き返した。
「ねえ」
「はい」
「一緒、食べてもいい?」
四人掛けテーブルの空席を指差して言う先輩に、俺とウェイターさんは一瞬目を合わせる。それから、無言で意思疎通をして。
「もちろんです」
「どうぞ、先輩」
ぴったり同じタイミングでそう返した。ハモった俺たちに「なにそれ」と、先輩がまたちいさく噴き出したのは言うまでもない。
「ていうか、先輩とか堅苦しいのやめてよ」
「でも事実、先輩じゃないですか」
「そうじゃなくって」
俺の隣の椅子を引きながら、融通の聞かないやつだと言わんばかりに先輩は溜息を吐く。
「真生って呼んでよ、って言ってるの」
「……真生、さん?」
「そう。僕、この名前結構気に入ってるから」
ね、と上目づかいでウィンクをした真生さんは、正直うっかりときめきそうになるくらいには可愛かった。親衛隊ってこんな人ばっかなわけ? そう考えるとちょっと怖い。
一人寒気を覚えている間に、真生さんは注文を済ませていた。真生さん、注文決めるの早いな。
「――――で?」
「はい?」
かたん、と注文用タブレットを充電器に戻した真生さんは、俺とウェイターさんを順に見てからこう言った。
「そのウェイターさんは、清水の何なの?」
俺の、何か?
「……何、なんですかね?」
「なんでしょう、かね」
「勤務先の生徒とウェイターですよね、普通に」
「そうですね、客観的にみると。まあ、普通に」
「そう、普通に」
別に何というそれらしい関係性は無いよな、と向かいのウェイターさんへ確認してみたところ、返ってきたのは同意の言葉。だよなー、そうだよなーとウンウン頷く俺。
――の後頭部にスパァンと鋭い手刀が入ったのは、その直後のことだった。
「普通に、じゃないから! 何なのあんた、ほんと調子狂う!」
「えーっと、すみません?」
「よく解ってないのにとりあえずで謝らないの!」
スパァン、と更にもう一発。真生さん、痛い。痛いけど、言ったらもっと痛いのが来そうだから、とりあえず我慢。
――でも、やっぱり痛いものは痛い。
右手で後頭部を押さえながら無言で訴えかけてみたけれど、真生さんはそれを華麗にスルーした。そして、ウェイターさんに話しかける。
「あの、こないだあの転校生にぶつかられてた人ですよね?」
「ええ、はい。そうです」
「大丈夫でしたか?」
「はい。清水くんに手伝っていただいたので……でも、」
真生さんに朗らかに答えていたウェイターさんの笑顔が、そこで唐突に曇る。きっとまた、そのせいでとか考えているんだろうことはすぐに解った。
「ウェイターさん」
だから、それより先を考える前に俺はその思考を遮る。
「ハンバーグ、ください」
催促してから、あーと口を開けて見せる。包帯でぐるぐる巻きの左手は、行儀が悪いと思いながらもそっと机の下に隠した。
早くしろと目で訴えかけてみれば、ウェイターさんは一瞬目を見開いたのち、すべてを了解したのか、仕方ないなとばかりに肩をすくめて、困ったように笑った。
「はい。お待たせしてすみません」
ひょいとハンバーグのかけらが口の中に放り込まれる。一口噛めばたちまち肉汁がじゅわりとあふれ出た。口の中でデミグラスソースと混ざって、えも言われぬ味わいになる――つまり、おいしい。
「あー」
口を開けて、
「はい、どうぞ」
餌付けされて、
「…………」
もしゃもしゃと咀嚼して。
そんなことを無言のままに数回繰り返していたら、ていうか、とふと真生さんが呟いた。
「清水、あんたなんでその人のこと『ウェイターさん』って呼んでんの?」
「あっ」
「……『あっ』?」
そう言えば、名前聞いてなかった。
ぼそりとこぼした俺に、また一発、スパァンと痛いのが入った。
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